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1996,1997
ラオス旅行記

パクセー
シェンクアンからパクセーへは直行便がなかった。途中ビエンチャンで乗り継ぎをする。ビエンチャンの空港で出迎えてくれたのは,先日のおじさんではなく,若い男女の2人だった。2人とも日本語はできない。しかし,何かのきっかけから,男性のほうが,自分は中国に留学していて,帰ったばかりだと言い出した。驚いて,つい"在[口+那]儿(どこ)?"と尋ねてしまった。今度はガイドが驚く番だ。会話は即中国語に切り替わった。
「どこって,武漢だけど。」
「えー,じゃ,ワンピンを知ってる?」
「知ってる! 知ってる!」
というような,展開になった。そう,最初にラオス語を習ったワンピン先生は,北京での語学研修を終えた後,武漢大学に派遣されたのだ。ひとしきり,ワンピンの話で盛り上がった。それから,彼,クアンチャイ自身の話を聞いた。彼は帰国後,とりあえず旅行社でバイトをしているが,中国では金融を勉強してきたので,それを生かせる仕事に就きたいと言った。長い待ち時間が,おかげであっと言うに過ぎたが,会話に加われない女性ガイドには悪いことをした。
クアンチャイとは,翌年,ウィリップの家を訪ねた時に,偶然遊びに来た彼とまたもや驚きの再会をした。その時まだ仕事はみつかっていないと言っていたが,それを苦にしている様子はなかった。

写真左より
中華風建築物■
元王宮のホテル■
学校■

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パクセーとは「セー河の河口」という意味。セー河がメコン河に合流する地点である。ラオスの南の端,メコン河をもう少し下ればカンボジアだ。そのカンボジアとの国境にコーンの滝という巨大な滝がある。クメール遺跡ワット・プーも有名だ。
ホテルはもと王宮で,古い建物だが,高い天井の部屋に広いバルコニーが付いていて,居るだけで気持ちがゆったりしてくる。夕刻にはセー河に面したバルコニーを川面からの風が吹き渡った。このホテルのレストランがまたよかった。どの料理を頼んでもはずれがない。今までのどこよりもおいしかった。おかげで暗くなってから街に出る必要はまったくなかった。ただし,辛さには全然手加減なく,どこよりも辛かった。

写真左より
市場にて■
野菜の山■
セー河とメコン河の合流地点■

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翌朝8時過ぎに船着場に行った。メコン河を下ること約2時間,ワット・ウップムンに着いた。熱帯のジャングルに飲み込まれつつあるクメールの遺跡だ。彫刻を施された石がごろごろしている。船に戻り,ガイドの用意してくれたフランスパンの昼食を取りつつ,更に河を下る。
川岸には,洗濯する女性や水浴びをする子供たちがいて,とてもにぎやか。観光客の船と知って,声をかける子もいる。一際高い声が聞こえたと思ったら,川面に張り出した枝に子供がぶら下がり,歓声をあげながら河に落ちて来た。大きな船にしつらえた立派な家舟も時々見えた。
ここのガイドは日本語ができることはできたが,相当怪しかった。もともと英語のガイドで,日本からのお客さんも増えそうなので,急遽転向し▼

写真左より
ワット・ウップムン■
ワットプー■
ワットプーからの眺め■

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▲たらしい。突然,前方を指差して,この先には「たくさんのまちがある」という。ふーん,こんな何もなさそうなところにそんなに街があるのか,と思っていると,ガイドはしきりに何がぶつぶつ言っている。 「まち,みち,まし……?……アイラン!」
それが"island"のことだとわかるまでに,ゆうに1秒を要した。「あぁ,島?」「そうそう,島!」
またしばらく行くと,「やはい! やはい!」と言い出した。何がヤバイのか,それにしてもよくこんな言葉を知っているなと感心しかけたが,またもや考え込んでいる様子,やはり英語で"fast"と言い直した。どうやら船の進みが速いと言いたかったらしい。うーん,なかなか。

写真左より
ワットプーの彫刻■
ワットプー神殿■
ワットプーにまつられた仏像■

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12時過ぎ,チャンパサックという街に着いた。ワット・プーはこの地のパサック山の山麓にある。車は別途フェリーでここまで来ていた。車を降りて参道を歩き始める。両側にリンガの並んだ長い参道が容赦ない太陽光に照らされて向こうまで続いている。その奥に半分崩れた宮殿,よく見ると精巧な彫刻が全面を覆っている。緩やかな登りがやがて階段に変わり,森の中に入ると,緑が濃い影を作り,少し涼しく感じた。神殿まで登り詰め,振り返ると,眼下に今歩いてきた参道とその向こうに湖が見えた。これも屋根の落ちてしまった神殿にはトタン板の屋根が掛けられ,かつてのヒンドゥー教の神殿に,今は仏像がまつられ,花やロウソクが供えられていた。

写真左より
チャンパサックの街■
フェリー■
船着場■

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チャンパサックの街で,日本人らしき人がオートバイのサイドカーに乗ってすれ違って行った。向こうもこちらをみつけて,あっというような顔をし,しばらくすると引き返してきた。20歳前後,女子学生と思しき一人旅だ。小さな袋を肩から掛けているばかり,ほとんど荷物を持っていない。パクセーからワットプーを見に来たが,帰るバスがなくなってしまった,一緒に車に乗せてくれないかという。もちろん断る理由はない。さっきまで,切羽詰ったきつい表情をしていたが,安心したのか,明るい笑顔になった。ベトナム語が少しできて,ずっとベトナムを回っていたが,ラオスまで足を伸ばしたと楽しそうに話す。彼女の姿に,わたしは数年前の自分を重ね合わせていた。

写真左より
長距離バス■
道端に残るフランス時代の道標■
コーンの滝■

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翌日は終日フリーとなっていたが,旅行社と交渉して車をもう一日雇い,コーンの滝まで行ってもらうことにした。往復で77ドル。道が悪いと言うが,パクセーまで来てこのまま帰るのは心残りだ。
7時半に出発,途中まで昨日と同じ,南へ向かう道を走る。11時過ぎ,滝のあるキナック村に着いた。どんな秘境かと思っていたら,台湾からの団体が大型バスで乗り付けていて,ちょっと拍子抜けする。しかし,滝の迫力はさすがだった。激しい音をたてて落ちる水は,雨季で茶色く濁っていて,滝というよりは洪水にしか見えない。大き過ぎて全体の様子はとてもわからない。一方でラオスを外敵から守り,また一方で外界とのつながりを困難にしてきたこの滝を,わたしは飽かず眺めた。
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