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1996,1997 ラオス旅行記
シェンクアン |
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翌日はジャ―ル平原を見に行った。なんとも不思議な光景だ。直径1mほど,丸くきれいにくり抜かれた石の壷が,他に何もない平原に散らばっている。誰が何のためにどうやって作りここに置いたかは,まったく解明されていないそうだ。ガイドが地面を指差した。草に覆われて気がつかなかったが,直径5mほどの窪んだ部分がある。アメリカがインドシナ介入の際に落とした爆弾の跡だという。そう言われてみれば,そんな窪地が所々にある。空爆の時隠れたという洞窟にも案内してくれた。 車に乗って移動する。ジャ―ル平原以外にほとんど情報を持たずに来てしまったので,どこに連れて行かれるのかは着いてみなければわからない。着いた所には,またもや石の壷が散らばっていた。 |
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ここは何というのかと尋ねたら,ガイドが"Plane of Jar thii saong"と答えた。「第2ジャ―ル平原」……。思わず笑ってしまった。そもそもジャ―ル平原というのもフランス人のつけた名前だ。この土地で牛の放牧をしている人々の間では何か呼び方があるのかも知れないが,国民的に共有され得るような地名を自分たちではつけていないのだ。そんな必要も,少なくとも今まではなかったのだろう。 昼食は,ムアン・クンという所の,小さな市場の向かいの小さな食堂でとった。米粉で作った汁麺を食べているうちに,足元に鶏と猫と犬が寄って来た。市場の屋根の向こうに,仏塔が見える。仏塔のある丘に向かう赤茶色の道を,水牛がのんびり登って行く。 |
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昼食後,再び車に揺られる。大仏が見えてきた。途中で折れた柱に囲まれているだけで,壁や屋根はなくなっている。なぜこんな姿になったのか,互いの英語とラオス語ではうまく聞き出すことができなかった。この寺の名前は紙に書いてもらった。ピアワット寺というそうだ。 続いて仏塔を2つ見た。フン塔とチョームペット塔という。フン塔はさっきの食堂から見えた塔だ。苔むして崩れかけており,レンガを積んで作ったその構造をよく見て取ることができた。チョームペット塔のほうは,完全に樹に覆われており,そう言われなければ土の盛りあがりとしか見えなかった。塔を見終わって丘から降りてきたところでは,地面の一部を縄で区画して,地雷の探査をしていた。 |
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夜は車の迎えが来て,ポンサワンの街まで降りた。ガイドの親戚が経営する食堂で食事をする。疲れていたのか,高原で気圧が低かったのか,この晩の"Beer Lao"は妙に効いた。帰りがけに地元の旅行社に連れて行かれ,半分上の空で売り込みの話を聞いていると,本当に気分が悪くなってしまい,急いでホテルに戻ってもらった。ロッジの点在する斜面を登りながら,ふと見上げると,車も煙突もほとんどないこの国の,高原の街で,しかも雨季には珍しく晴れた空に,これまで見たこともないほどたくさんの星がまたたいている……ようだった。もう1度はっきりと見定めたいと思ったが,星空はバルブ撮影の写真よろしく頭上でぐるぐる回転し始め,……次に気がついた時には,雨が降っていた。 | |||||||
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