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1996,1997 ラオス旅行記
ルアンパバン |
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翌日は船に乗った。メコン川を2時間ほど遡ったところにタム・ティンという洞窟がある。上の洞窟と下の洞窟があるが,中にはいずれも人々が奉納した大小の仏像がぎっしりと並んでいる。ラオスの仏像は独特の姿をしており,手を両脇にたらした立像のものが多い。上の洞窟は真っ暗でよく見えなかった。 昼食は船に積まれていた。バンガロー風の建物が河岸にあり,複数のグループがそこに上陸して昼食をとっていた。中国だとこういう時は菓子パンにゆで卵でお仕舞いになってしまうが,おいしいフランスパンにおかずが数品,きちんとした食事であった。洋画のテーマには「草上の食事」などというのがあるが,これはやはりフランス文化の影響なのだろうか。 |
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船は途中沿岸の村々に寄りながらルアンパバンに戻ってきた。それぞれつぼ造りの村とか,機織の村とか,紙漉きの村などと紹介されて,それぞれの特産品を売る店があった。機織の村でラオス式の巻きスカート「シン」を,紙漉きの村で手漉きの紙を綴じたノートを買った。 ガイドのおじさんはしきりに,ビエンチャンではもう伝統文化は失われた,ルアンパバンのほうがずっといいと言う。人々の服装,街の佇まいなど確かにそう思わせるところがある。僧侶の托鉢などもルアンパバンではまだ盛んだ。でも,おじさんの言わんとするところはそれだけではなく,料理のうまさについてもそれは大いに強調された。何のことはない,知り合いらしい人の店に連れて行かれて食事をした。まぁ,おいしかったが。 |
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翌日はシェンクワンに行くために,11時に空港に行かなければならないと言う。飛行機は1時過ぎと旅程表には書いてあったが,現地に来てみて事情が違うなんてことは中国でもよくあったし,特に気にしなかった。朝,王宮博物館とワット・プーシー,郊外の市場を見て,そのまま空港に行くことになった。市場で釈迦頭[ミルクフルーツ]という果物を買った。お釈迦様の頭のようにぼつぼつ突起の出た緑色の外皮の中に,とろりとした白くて甘い果肉が詰まった,いかにも南国の果物である。 さて空港に着いたが,当分飛びそうにない。手続すら始まらない。国内線は皆,向こうから飛んで来たものが,また帰るという体制なので,遅れる時はどーんと遅れるらしいのだが,どうもそうではないようだ。 |
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どこかから飛行機が飛んで来た。シェンクワンからではない。気がつくとおじさんが今の飛行機から降りてきた数人の人を出迎えている。中の1人を「母です。」と紹介された。つまり11時というのは彼の親戚御一行の到着する時刻だったのだ。とんでもないガイドである。しかしあきれるのはまだ早かった。彼は出迎えがすむと,それじゃあ,などと言って,さっさと御一行とともに街へ引き揚げてしまった。残されたこちらは,ひたすら待つしかない。ま,こういうこともあろうかと,日本からパズルを持参していた。随分はかどった。しかしやがてお腹が空いてきた。ここは今新空港建設中,昼食を食べる場所もない。朝買った釈迦頭と,たまたまバンコクで買ってあった「コアラのマーチ」タイ語版を食べて飢えを凌いだ。 | |||||||
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2度目の時は,ただひたすら街を歩き回った。驚いたのは,日本人の数が各段に増えていたこと。子供連れもいた。街のいたるところに,大きな樹が葉を茂らせていて気持ちがいい。前年連れまわされた時には気がつかなかった書店を一軒と図書館をみつけた。どちらもろくな本がないことはビエンチャン以上だ。図書館の建物は,外見福建風,中は3つの部屋を廊下がぐるっと取り巻く,面白い造りではあった。 大勢の人の威勢のいい声が聞こえてきた。声のするほうへ行ってみると,祭りに使うのだろうか,10数メートルはあろう細長い船を滑車に載せて,数10人ががりで運んでいるところであった。船は長すぎ,狭いT字路を曲がれずに立ち往生していた。舳先にあたる家の軒先のシート▼ |
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▲が取り払われた。それでもだめで,反対の角にある食品を売る小屋を数人が取り壊しにかかった。見物客の期待のまなざしの中,小屋は片付き,出てきた船はワット・アハームへと向かった。 マンゴーの生垣にジュースという看板が出ていた。庭先に並べたテーブルで,おばさんお薦めのグリーンマンゴージュースができるのを待つ。果実と氷をミキサーにかけて作る本格派だ。まだ青いマンゴーの実は,あの黄色いねとっとした実とは違い,意外に酸味がありさわやかだった。裏にゲストハウスを作るから日本で宣伝してくれという。自由化で観光客も増え,こんな商売もできるようになったのだろうか。名前は何かと聞いたら,しばらく考えて,"Mango Tree Garden"にすると答えた。 |
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郵便局で切手を買いこんだ。局員は他の客そっちのけで次々といろいろな切手を出して見せてくれた。わたしは十字路のもう一つの角にある銀行に,予定外の両替に行かなければならなかった。 朝5時に起きて,まだ薄暗い街に出た。どこからともなく托鉢の列が現れる。黄色い袈裟をまとった僧が一列に並び,寺ごとにそれぞれの方向から来てそれぞれの方向に去って行く。声を出すことも立ち止まることもなく,手にした鉢の蓋を開けて,ただひたひたと歩んで行くと,道端に座った人々がすばやい,また,さり気ない動作で,鉢の中にご飯やおかずを入れる。毎日繰り返される日常的な振る舞いといった感じだが,実に静かで厳かな光景であった。 |
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