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1996,1997
ラオス旅行記

ルアンパバン
ラオス国内に鉄道はない。舗装のないぬかるみ道を走る長距離バスを除けば,移動手段は飛行機になる。そしてその飛行機は,2つのプロペラの音がうるさくて,隣に座った人と話すにも怒鳴らなければならず,上空に行くとどこからか水蒸気が吹き込んできて,そこらじゅうびっしょり濡れてしまうという,あまり積極的には乗りたくない乗り物であった。しかし,2度の旅行でこれに7回も乗ってしまった。
ルアンパバンは,昔,都があったところで,日本で言えば京都にあたるそうだ。近年世界遺産に登録された。なるほど,しっとりと落ち着きのある街だ。最初の年,着いたのはもう4時近かったが,予定がつまっているらしく,すぐにワット・ヴィスンやワット・シェントーンなど有名な寺を駆け足で回った。この辺は手配旅行なので仕方がない。車で連れ回されたのだが,翌年自分の足で歩いてみると,何のことはない,ほんの数分の範囲であった。夕刻,ワット・パバート,通称ベトナム寺という,あきらかに様式の異なる寺に入った。この寺の裏はメコン川で,川面にテラスが突き出ていた。そこから対岸の山の向こうに沈む夕陽を見るのがよいという。太陽が低くなるのを眺めながら,ガイドのおじさんが長い長いラオスの民話を話してくれた。その対岸の山になった兄妹の話だった。
話を聞きながら時々蚊を追わなければならなかった。8月の終りの蚊はマラリア原虫がいて危ないが,今はまだ大丈夫だ,とおじさんは言った。

写真左より
ワット・ヴィスンのすいか塔■
ワット・シェントーン■
世界遺産に指定されたことを示すプレート■

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翌日は船に乗った。メコン川を2時間ほど遡ったところにタム・ティンという洞窟がある。上の洞窟と下の洞窟があるが,中にはいずれも人々が奉納した大小の仏像がぎっしりと並んでいる。ラオスの仏像は独特の姿をしており,手を両脇にたらした立像のものが多い。上の洞窟は真っ暗でよく見えなかった。
昼食は船に積まれていた。バンガロー風の建物が河岸にあり,複数のグループがそこに上陸して昼食をとっていた。中国だとこういう時は菓子パンにゆで卵でお仕舞いになってしまうが,おいしいフランスパンにおかずが数品,きちんとした食事であった。洋画のテーマには「草上の食事」などというのがあるが,これはやはりフランス文化の影響なのだろうか。

写真左より
タム・ティン洞窟[上]■
タム・ティン洞窟[下]とメコン川■
タム・ティン洞窟[下]内部■

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船は途中沿岸の村々に寄りながらルアンパバンに戻ってきた。それぞれつぼ造りの村とか,機織の村とか,紙漉きの村などと紹介されて,それぞれの特産品を売る店があった。機織の村でラオス式の巻きスカート「シン」を,紙漉きの村で手漉きの紙を綴じたノートを買った。
ガイドのおじさんはしきりに,ビエンチャンではもう伝統文化は失われた,ルアンパバンのほうがずっといいと言う。人々の服装,街の佇まいなど確かにそう思わせるところがある。僧侶の托鉢などもルアンパバンではまだ盛んだ。でも,おじさんの言わんとするところはそれだけではなく,料理のうまさについてもそれは大いに強調された。何のことはない,知り合いらしい人の店に連れて行かれて食事をした。まぁ,おいしかったが。

写真左より
つぼ造りの村にて■
機織■
ワット・アハームにて■

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翌日はシェンクワンに行くために,11時に空港に行かなければならないと言う。飛行機は1時過ぎと旅程表には書いてあったが,現地に来てみて事情が違うなんてことは中国でもよくあったし,特に気にしなかった。朝,王宮博物館とワット・プーシー,郊外の市場を見て,そのまま空港に行くことになった。市場で釈迦頭[ミルクフルーツ]という果物を買った。お釈迦様の頭のようにぼつぼつ突起の出た緑色の外皮の中に,とろりとした白くて甘い果肉が詰まった,いかにも南国の果物である。
さて空港に着いたが,当分飛びそうにない。手続すら始まらない。国内線は皆,向こうから飛んで来たものが,また帰るという体制なので,遅れる時はどーんと遅れるらしいのだが,どうもそうではないようだ。

写真左より
プーシーから王宮を望む■
プーシーにて■
食堂の仏壇■

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どこかから飛行機が飛んで来た。シェンクワンからではない。気がつくとおじさんが今の飛行機から降りてきた数人の人を出迎えている。中の1人を「母です。」と紹介された。つまり11時というのは彼の親戚御一行の到着する時刻だったのだ。とんでもないガイドである。しかしあきれるのはまだ早かった。彼は出迎えがすむと,それじゃあ,などと言って,さっさと御一行とともに街へ引き揚げてしまった。残されたこちらは,ひたすら待つしかない。ま,こういうこともあろうかと,日本からパズルを持参していた。随分はかどった。しかしやがてお腹が空いてきた。ここは今新空港建設中,昼食を食べる場所もない。朝買った釈迦頭と,たまたまバンコクで買ってあった「コアラのマーチ」タイ語版を食べて飢えを凌いだ。

写真左より
街の入り口の橋■
市場にて■
メコン河に面した通り■

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2度目の時は,ただひたすら街を歩き回った。驚いたのは,日本人の数が各段に増えていたこと。子供連れもいた。街のいたるところに,大きな樹が葉を茂らせていて気持ちがいい。前年連れまわされた時には気がつかなかった書店を一軒と図書館をみつけた。どちらもろくな本がないことはビエンチャン以上だ。図書館の建物は,外見福建風,中は3つの部屋を廊下がぐるっと取り巻く,面白い造りではあった。
大勢の人の威勢のいい声が聞こえてきた。声のするほうへ行ってみると,祭りに使うのだろうか,10数メートルはあろう細長い船を滑車に載せて,数10人ががりで運んでいるところであった。船は長すぎ,狭いT字路を曲がれずに立ち往生していた。舳先にあたる家の軒先のシート▼

写真左より
映画館■
船を寺に運ぶ■
図書館■

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▲が取り払われた。それでもだめで,反対の角にある食品を売る小屋を数人が取り壊しにかかった。見物客の期待のまなざしの中,小屋は片付き,出てきた船はワット・アハームへと向かった。
マンゴーの生垣にジュースという看板が出ていた。庭先に並べたテーブルで,おばさんお薦めのグリーンマンゴージュースができるのを待つ。果実と氷をミキサーにかけて作る本格派だ。まだ青いマンゴーの実は,あの黄色いねとっとした実とは違い,意外に酸味がありさわやかだった。裏にゲストハウスを作るから日本で宣伝してくれという。自由化で観光客も増え,こんな商売もできるようになったのだろうか。名前は何かと聞いたら,しばらく考えて,"Mango Tree Garden"にすると答えた。

写真左より
托鉢■
ワット・タートの壁画■
寺のお供え■

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郵便局で切手を買いこんだ。局員は他の客そっちのけで次々といろいろな切手を出して見せてくれた。わたしは十字路のもう一つの角にある銀行に,予定外の両替に行かなければならなかった。
朝5時に起きて,まだ薄暗い街に出た。どこからともなく托鉢の列が現れる。黄色い袈裟をまとった僧が一列に並び,寺ごとにそれぞれの方向から来てそれぞれの方向に去って行く。声を出すことも立ち止まることもなく,手にした鉢の蓋を開けて,ただひたひたと歩んで行くと,道端に座った人々がすばやい,また,さり気ない動作で,鉢の中にご飯やおかずを入れる。毎日繰り返される日常的な振る舞いといった感じだが,実に静かで厳かな光景であった。
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