![]() (並んで歩くからだ) ![]() 90分2部構成 初演:東京公演 1996年11月 イーストギャラリー ヨーロッパツアー:1997年ロンドン、パリ、ケルン、ベルリン
![]() ACT-1 ベル〈鐘〉と呼ばれる市場がある。 巧妙な「うそ」とともに売買されているのは 「血統」という体。 「血統」の決め手は2つ 1.何と並んでいるか? 2.並ばないようにしているのは何か? 19のドアが開き、19のドアが閉まる。 超技巧の純スイ歩行、37億年前の 水たまりから動かす肘、 新しい足の見えないスピード。 行き場を失った「リアル」は無数の フォルムに施錠され、 観る者のボーダーは、〈やって来なかった私〉 を追いはじめる。 目から落ちる涙、 手から落ちるアイスクリーム。 輝きはじめるノイズ。 ACT-2 「帰れ」という声 ただ行くという 〈私〉。 ドアから次々と出てくるのは、 ドア、ドア、ドア・・・ すべての鍵は開けられたのか? ギア、ページ、シャッター、 速度のイマジネーションが展開させる 激しいダンス。 一転、絃のような微動のダンスは、 静かで、そして痛切だ。 光で見ることの出来ない、 見失った〈私〉から 虹の涙が落ちる、水のないプールに。 もう一度〈私〉は生まれる。 ![]() 〈私〉にとって必要なのは並んで歩く〈体〉である。私が「ワタシ」と言うとき、発語するのは〈私〉であり、〈体〉である。誰も振りかえらない、「ワタシ」というその音は〈私〉を傷つける。傷つく〈私〉は、いつ生まれたか?私が〈私〉に気を取られている間も、この〈体〉は、フィルムのように感光を続けている。きっとこのまま、真っ黒になって死んじゃうんだろう。「体は消滅しても私は残るか?」なんて言うお話は、どっちだっていい。わかるのは、うれしかったり、悲しかったり、痛かったり、誰かを暖めたいと思ったり、ほとんどカッコワルイ毎日を、選んだ憶えもないこの〈体〉といつも〈私〉はいるということだ。ドアを作ったのは誰だ?ここは密室か?入り口であり、出口である〈体〉が音をたてる。聴こえてくるのは、五感という〈体〉のボヤキ?〈私〉が生まれた瞬間、地下に沈んだ世界。コトバ以前のその時間の中で〈私〉と〈体〉がこすれ合う、摩擦音としての「ワタシ」。〈私〉の思いがどうであれ、その音は、空気を震わせる。アナタは振りかえるだろうか。
〈体〉と並んで歩ける、新しい〈私〉が必要だ。地下のリアルを抱えて、地上への帰還は成功するか?地下という空間で行われる、新作「side body」は、地上での歩き方と、息の仕方を教えてくれる。
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