我が病巣 〜連敗続きの闘病記

一番下へ



2001/3/31(土)
とうとう、手に入れた。シグマ28mm/f1.8(T型)、KマウントのMFタイプ。 新宿へ出たついでに、通りがかりに一軒だけと覗いた店で、遭遇。¥12Kナリ。ヘリコイドはスカスカ傾向、 その途中ちょっと斑があるものの、他にはこれといって問題無さげ。即決。 ◆その性格上か、なかなか無かった玉。これでSa−1の完全武装なった・・・か? ただ実際に取り付けてみると、 大口径ZEN仕上げ、世代的にややミスマッチな感あり。斜めパターンのピントリングも、好みではないし・・・。 似合うといえば、28mm/f2.8の軽快さが・・・・・結局そう来るか。しかしそれでも、 世界初・・・だった気がするがともかく他メーカーに先駆けて、高速f1.8を誇った28mm。 シグマニア的には、戦慄を覚える1本である。KA仕様だからA3デートに付けても良いか。 ◆一脚は・・・・・この世のどこかにある筈なのだが。未練を断ち切る頃か。

2001/3/27(火)
昨日と同じ写真を、従来の焼き方の「純正仕上げ」とやらで焼いてもらった。輪郭に怪しい縁取りなど無く、 ごくごくフツーに焼かれてきた。ほらな。

2001/3/26(月)
一脚はまだ出てこない・・・。 ◆立川ビックで35mmネガカラーを同プリで出す。上がりを見ると、輪郭にもよよんと何かある。 看板・・・のようなものの文字に、無かったはずの縁取りが。見回すとここはデジタルプリントらしい。 そういえばAPS同様のいちらんプリントが付いていた。これは有り難い・・・というのはさておき、 なるほどこれは輪郭強調処理の類のように、見える。店員に尋ねれば、何か色々言っていたが、 つまりは結局「機械の判断は大概の場合には良い方向に働く筈なれど、構図の内容によっては難しいカモ」という、 ありがち見解。そうだろな。 ◆ビックが悪いわけではあるまい。私も難しい客になるつもりはない。しかしこう、自動化の「お節介」というやつ、 コトあるごとに思うが、どうも気に入らぬ。要は素人でも扱えるような省力化が、このテの自動化。 想定外の要素があれば、機械はおかしなことをする。それを扱うのが素人であれば、施す手も無い・・・。 まだ色々過渡期なのだろうが、折角だからユーザー自ら手加減できる装置の普及も願いたいところ。

2001/3/25(日)
フォトエキスポを覗く。入るなりシグマのブース。お目当てのSA−7/9を早速手に取る。 事前に見た不鮮明な写真では判らなかったが、エクステリア的にグリップ以外は同じ風。シャッター、 電源などで差をつけている的。どこかで見たような・・・の集合体のような(笑)外観は、 SA−5に比しては随分洗練された。しかしなんとなく、SA−5(SA−300〜)ベースのような香りが残る。 スペック的に見ると、9が従来の直系、7がでチューン版、といったところか。 測距点は相変わらずの真ん中1点クロスライン。今時きつかろう。EOS−1使ってる人間には十分だが。 ◆気になる50〜500mmについて、三脚座が邪魔なのだがと問えば、今後脱着可能にするとのこと。 考える時間が増えた。大口径20mmなど見せてもらう。新型のピントリング、AF側でフリーになる機構だが、 しかしそれだけ。MF側に切り替えてもAF動力が繋がったままで、結局従来のAF/MFスイッチの切り替えは必要。 つまりピントリングがどうにかなるだけ。どうも腑に落ちぬ。EFなら、最初から1つのスイッチで両方切り替わっていたのである。 ◆タムロンの28〜200mmの小ささに驚く。これではもう、28〜70mmクラスではないか。 たまたま手に取ったのはEOS3付だったが、あの間延びした顔には最早小さ過ぎる。えらいものが出てきた。 MFタイプが出たら・・・・・出ないものか? ゴムパターンがどうも、タクマーっぽいが・・・。 ◆ペンタのMZ−S、なかなか。しかしこれをいじって思ったが、こいつの位置付けを、ペンタ的にはどうしたいのか ・・・・・旗艦機とするには、どうしても他社のそれと比べて厳しいことになるし、あのZ−1Pに取って代わるなら、 それなりの迫力が欲しい気も。大きい必要は無いが。従来のMZシリーズともやや異質で、MZ−3の上か下か、 というより「別の選択肢」といった風情。発売時期も値段も不明、その名を決めるのがやっとだったように見える。 ショーでデモ機を振る舞い様子を窺う・・・・・ペンタ自身、迷っているのではないかと思う。 ◆メガハウスを覗く。コンタックスIに、ロボットに、アサペンSPに・・・・・今後予定の試作品の数々。 しかしやはり、流れ的には昨今のアレというか、キヤノンは眼中に無い模様・・・へっ。キヤノンの方で断ったのかもしれないが。 ならばと、ローライタイプへ傾いていた気分は、いよいよ迷いが無くなり・・・。(ぉ 黒いM3も捨て難いが。 ◆総合カタログを見る。とうとう、EOS5が消えた。思えば随分と長い商品寿命だった。一世を風靡したEOS5、さらば。 こうなると3と7の価格差があんまりなので、何か埋めてくれるか? ◆リコーからGR21という卑怯なカメラが出ていて、大いに困る。GRはカメラとしてどうも好きになれないのだが、 21mm・・・・・あああ。値段が値段なのでおいそれと飛び付くわけには行かぬが、もたもたしているとすぐ消えてしまいそうな、気も・・・。

2001/3/24(土)
高崎線の電車の車内に一脚を忘れた。不覚。朝からブルー入る。お喋りが過ぎた不注意を呪う。勿論届け出るも、 果たして「一脚」で通じるものなのかどうか・・・・・このテの物の厄介のひとつ、ではある・・・。 ◆ジッツォの細長いやつ。思えば、もう10年程使っているのではないか。塗装が最近のジッツォと違ってて、 こっちの方が気に入っている。数年前にも新幹線の車内に忘れ、その時は事無きを得たが、 三脚のような「適度な邪魔さ」に足りない、というのが、盲点といえば盲点か。 ◆10年前と違い、売られている一脚も見た目がスマートになってきた。価格的にも買い換えは容易い。しかしそんな気にはなれず、 しばらく待つしかなさそうだ。どこかに存在している筈の、一脚・・・・・ふと10年の歳月を想う。

2001/3/14(水)
初めてAPSの上がりを見る。思ったより鮮明。勿論少しはザラついているものの、ISO400としては遜色無しか。 割と最近ハーフも使ったが、どちらかというとフィルムの進歩の方に感慨があったり。焼きについては、 APSならではの補正情報が効いているのか不明。そもそもこのIXYにそんな機能があったのかも、調べてなかったり。 ◆プリントの裏面に日付時刻がついているのは、表に入れているコマだけだった。意味無いと思うのだが。 入ってて困る場合もあるだろうが、磁気情報にあるのなら、裏面だけは満遍なく入れてて欲しい。 メモ的な用法・・・・・まさにオリンパス・ペンのそれだが・・・・・を考えると、オーダー出来ないものか。 ◆ぱっと見TC−1とは似た物同士かもしれない。しかしIXYと並ぶと、TC−1はやや存在が重くなる。 役ドコロがやや違う。両方取っ替えひっ替えすることもあるのだろうか。傍目は気にすまい。 ◆五プラのスリーブも上がる。魚眼は正解だったと思う。客の1人の立場で上映の合間に撮るのだからそれなりだが、 最後の訪問の記念の1枚としては、まあまあ残せたか。かつてバリバリのプロ機で鳴らしたNewF−1、 時々思うのだが、自分には静的な、物思いに耽るような気分にも、こいつはよく付き合ってくれる。

2001/3/12(月)
初めてAPSのフィルムをDPEに出す。指定出来る選択肢はあるのか、Hで撮ったコマをCで焼けるのか、等々、 いくつか訊いてみる。一緒にリバーサルを出しているので「初心者じゃないぜ」的なゆとりが、ちょっとあったカモ。 小心者はそんなことで勇気付く。絹目で焼けるのかは、訊きそびれた。

2001/3/10(土)
IXY、電池をちょっとでも抜くと、内蔵時計がリセットされることが判明。あーにやってやがる。夢から覚めた気分。それも早過ぎ。 日付時刻を乳剤へ焼かず磁気記録するのは、APSの強みの1つなのだが、出先での電池交換もあるだろうにと、気が滅入った。 ◆早速持ち出して使ってみるも、フラッシュを切っておきたい身としては、メインスイッチ切るごとにデフォルトに戻るのは辛い。 シャッターは随分遅くまで作動するようだが、気の緩んだところで切れるタイムラグと相俟って、どうも手ブレの手応え。 このあたり、多くのコンパクトと同じく、結局TC−1に惚れなおさせることになる。

2001/3/9(金)
有楽町できむらのイベント。中古市やってるかと思いきや、今回は無し。訊ねればそれは秋だという。考えてみればたしかに、半期に1度だったか。 ◆IXY用にフィルムを買わねばならなかった。5本入りしかない。舌打ちをしつつ所望。ちょっと安い。400にしておく。 特にお目当ても無いので、ダラダラと泳ぎ回る。キヤノンの所で、予約しておいたIXYを求める。小さい時刻表くらいの箱。 今時はそんなものか。応対した若い女性、ノリが良いのだがおつりを渡し際に蹴躓いた。並ぶ品物にガンと手を着いてたが、大丈夫かな、品物が。 他に写真立てと、ポスターを求める。歴代機のポスター。前回も2本買っているのだが・・・。 ◆ニコンの所でニコン羊羹。出してきやがったか。普通の一口羊羹に「ニコン」の紙片が挟まっているだけ・・・・・かと思いきや、 箱もちゃんとニコン仕様になっていて、それがまた昔のフラッシュバルブか何かの箱のように、どうにも古臭い。勿論良い意味で。 この場合レトロと言うべきか。ロゴは今の斜体だから、本当に古いわけではないのだが、なかなか味わいがある。 ◆シグマの営業の人に、SA−7/9のことを訊ねる。新たに有益な情報はこれといって無し。伏せているというよりは、 まさか訊かれるとは思っていなかった風。例のズームスーパー70を見せてみた。驚く。そら驚く。しかし喜んでくれた様子。 社内でも忘れられた存在らしい。そんなものか。話が生産工場に及ぶと、自動化が進んだ近代的な所らしく、 彼は「すごいぞシグマ」と感激したらしい。なるほど、しかしそれまでどう思ってたのか。(ぉ シグマニア的には、是非に見学してみたい。 ◆シャランの所で、ライカIIIfの文字は最初から彫り文字だったか、と訊ねてみる。最初からそうだったという。記憶違いか?、 少々混乱していると、試作機では彫り文字ではなかった、と付け加えられた。なるほど、フォトエキスポで触れたのは試作機だったから、 その時の「これすぐ剥げそうだよなー」という印象だけが、ずっと残っていたというわけか。いやヨドバシでも見た気がするのだが ・・・・・デモ用に置かれてたのが試作機だったのか? ともあれ、胸のつかえが取れた心地。ローライにも触ってみる。 凝ってる。機構的に、シリーズ中随一のリアルさではないか? かなりの危険物と見た。 ◆帰りに早速IXYを出してみる。とうとう、APSデビューか。しかも東京駅ホーム・・・。IXY、小さい上に形が悪いらしく、 取り落としそうになってどうも落ち着かぬ。手ブレ必至的。その密度感と、キヤノン初のAPS機という点に免じても・・・。

2001/3/7(水)
タイピンとカメラが届く。どちらも丁寧な梱包で、嬉しい心遣い。タイピンは社員向けなのかよく判らないが、 これを着けて狛江界隈をうろつくのは、控えた方が良いかもしれぬ。小ネタとして登場することはあろうが、大事にしようと思う。 ◆さて、カメラである。大事にされてたらしく、あるいは殆ど使われなかったのか、すこぶる綺麗である。 調べると‘91年発売の、「ズームスーパー70」というモデルで、焦点距離35〜70mm。 前年の「35AFズーム」からモデルチェンジ、あちこち曲線を入れているカタチなのだが、骨格は同じと思われる。 その上に造られるカタチは、冗長的というか、例えばセンサー部分が妙に奥まったりしているあたり、どうも「上から着せてる」印象。 前作と現物で比較出来ないから何とも言えぬが、しかし全体的にはまあまあ。勿論ZEN仕上げ。 ◆ただ、コイツの本領はそんなものではなく、なんとホットシューが付いている! 内蔵フラッシュはズーム連動で、 資料によればGN20〜30相当(ISO100)という本格的なもの(ISO400ではないよな・・・)なのだが、 そこへさらにホットシュー。コレデモカと来る。ホットシューにはオプションの接点まである。 けれどSA−300系のそれとは違うし、Sa−1とも違う。はて・・・? ◆前玉を艶消し黒に塗ったように見えたのは、球面のレンズカバー。これが開く様は、瞼のようでちょっと生々しい。 モードスイッチとは別に、レンズのそばに無限遠ボタンがある。ナルホドこれなら煩わしくない。一眼レフでもそうだが、 こういう意外な(?)小技がシグマ的カモ。パッシブAFというのも拘りか。多重露光も出来そうなのだが・・・・・ やはりタダモノでは無さそうだ。ニンマリするところだが、しかし一体、誰向けの商品なんだか。

2001/3/4(日)
シグマのコンパクトを競り落とした。やれやれ。 ◆五島プラネタリウムを再訪。多分これが最後と思う。さすがに先週と違ってえらい混雑、 整理券をもらう。列は8階から階段を伝って5階くらいまで延び。昔夏休みなんかに連れて来てもらった頃を思い出す。 ◆ドーム内で席を確保したところで、早速NewF−1を取り出し、ドームを意識して魚眼15mmで撮る。 これをやっておきたかった。巨大アリを中心に、放射状に仰向けに座る人達を、 ドームの天井(この場合天頂か?)から撮ってみたくなった。そこから見える光景を想像して鳥肌が立つ思いをしたが、叶わぬ夢か。 ◆この間と違う解説員で、大分勝手が違う。最初の夕暮れシーンは今回しっとりと暮れて行く。やがて満天の星が現れる。 ぞぉぉぉっ、という瞬間・・・・・星が滲んだ。この古い機械、ドーム内の装置全体が、全てアナログ・デバイスである。 制御も手動らしい。カール・ツァイスの技術者も、ここの関係者も、このただ「夜空を再現する」ということに、 力を尽くしている、しかもムードに終始せず・・・・・複雑な装置の計算された動作や、演出効果のひとつひとつは、 彼らの我々への心づくし・・・・・今、それを受けとめている。機械好きの思い込み大だが、感動スイッチを1個、 得してると思いたい。

2001/3/3(土)
タイピンを競り落とした。いや、競ってはいない。こんなもの(出品者に失礼だろ)を欲しがる輩は他にいなかったらしい。 比較的レア・アイテムには違い無く、シグマニア的にウハウハなのだが。

2001/3/2(金)
競りに向け、警戒態勢レベル2。PCの時計を合わせる。

2001/3/1(木)
駅のバリアフリー化が身に染みる(苦笑)。左膝は大分楽にはなってきた。 ◆リハビリなのか何なのかよく判らないが、中野に寄る。ボロのNewF−1AEを眺めたりするも、これといって何も無し。 最近G1が安いような気がするが、気のせいか。図体のでかいG2より好きなのだが・・・。 ◆新宿へ出てヨドバシ、カメラジャーナルを惰性で、それと「オリンパスのすべて」なるMOOKを所望。 今更、このテのMOOKで新たに得られるようなものなど、期待もしていないのだが、つい・・・。そういえばここのは、 ライカ、ツァイス、ニコン、と来て、ヘキサーRFと来て、オリンパス・・・・・次はどこへ行くのか、さっぱり読めぬ。 キヤノンの番は回って来るのだろうか。 ◆シャランを手にする。販売終了のFは最後にレバー巻上げの銀の、限定商品を出すらしい。ただでは終わらない。 それで手にしたM3タイプ。冷めたつもりが手に取るとずっしりと来て、なかなか危険である。 塗り銀だと思ってたが、これはメッキだったか? よく見れば文字類も殆ど彫り文字。消えそうだったのは記憶違いだったか?  まて、今ここには無いがIIIfあたりから、大分改良をしたのではないか? 最初IIIfを手にした時は、 どこかで「こんなもんだろう」というのがあったのだが・・・。改めてグラグラ来たが、急ぐこともないか。 ◆シグマの珍品が出ているぞ、と入電。タイピンと、コンパクト。コンパクトぉ!? ついに見付けたか! しっかし、およそ1年半前、eBayで落としたのはSa−1であった。それ以来のオークション参戦。、 我をオークションに誘(いざな)うはシグマ、か。

2001/2/27(火)
シャランのニコンFが販売終了とのこと。早い。発表されてから、まだ1年経っていないのではないか。 昨年のフォトエキスポで初めて触ってウハウハ言ってたのだから、少なくとも発売からはまだ1年経っていない。 やはりどうも早い。リトラクタブル・ファインダーは、たしかに苦しかったと思うが。 果たしてその手の「層」にはどう映ったのか・・・・・余程でないと、ミノックスは持て余すだろうし。 ◆ライカの方は、ファインダーはファインダーと一応まがりなりに機能が配置されていたから、 なかなか好ましかった。M3では巻上げレバーもちゃんと再現されてて、しかも小刻み巻上げ可能、 プロポーションもIIIfほど玩具っぽくなく、その生意気さに、ちょっと惹かれた。 どうもキヤノンの機種は望み薄と思われたから、結構本気で考えていた。 ◆しかしヨドバシでデモ機に触れると、銀色の部分が剥げていて、元々塗り銀嫌いとして、どうもこう、 冷める。自分が使ってもこうなるのかと思うと、二の足を踏んでしまう。そんなに使いもしないだろうが、 ポケットに入れてればすぐこうなるだろう。そういう意味でブラックが良かったり。 ◆ひとつの試みというか、色々グッズが揃ったりで面白いとは思う。一方、踊らされるなよ〜、と天邪鬼の虫が言う。 うーん、でも今しかないような、気はするんだよな・・・。

2001/2/26(月)
病院へ行く。すぐ行って縫ってもらうべきだったらしい。今更縫えないから時間がかかると言われる。 止血さえ出来れば良いのかと考えた素人の浅はかさか。そうか今度は気を付け・・・いやこれっきりにしたい。 レントゲンの機械のメーカーが気になる。結局不明。幸い骨には異常なく、裂傷と打撲ということで落ち着く。やれやれ。 ◆中途半端に時間が出来たので、銀座へ。一昨日の雪辱、怪我にも勝る病気の恐ろしさよ。最終日の終わり間際とあれば、 会場の空気も惰性の趣。一通り巡るも、これといって触雷無し。尤も方向性が違うのであるが・・・・・ シグマのMF28mm/f1.8Kマウント狙いなんてのは、なぁ。

2001/2/24(土)
閉館の話を聞いて、行かなくてはと思ってから早1年経ってしまった。ミーハー丸出しで五島プラネタリウムを訪ねた。 随分来ていないくせに閉館を惜しむのは身勝手も良いところなのだが、その昔入館の列に並んで階段をいくつも降りたなあ、 と感傷に浸ってみたり。かつて望遠鏡を強請った売店は生憎先に店じまいしていて、記念の買い物は出来なかったが、 その昔買ってもらった日時計が幸い手許に残っているので、これを忘れ形見にしようと思う。 ◆で、カール・ツァイス製のプラネタリウム。暗闇の中に、あのアリんこのような影がぼうっと浮かび上がる。 時折かちっ、じーっ、と微かに音を立てながら黙々と星空を映し出す様は、頼もしく、ある意味健気でもある。 上映の合間の明るい時、そばへ寄って見入る人が多い。その中に混じる。外にも部品の展示がある。 投影レンズはテッサーとある。この一言で参る向きもいることだろう。専門的なことは解らないが、 この精密機械のクラシカルなディテールのそこここに、技術者達の、子供達への思いがこもっているような気がしてくる。 遠くドイツの技術者から、この極東の子供達へ届けられたうちの1台が、ここ渋谷にある・・・。 自分も少しだけ、幼少の頃これに「育てられた」ことを思い出す。切ない。 ◆中古市へ行こうと思い、銀座線に乗った。銀座着。階段を登った。蹴躓いて転んだ。立て直そうとした加速を伴って、 左膝を強かに角へぶつけた。痛む。見るとジーンズに血が染みが広がってる。足首へ垂れてくる。聊か慌てる。 トイレへ行って傷を見る。3cm位ぱっくり開いていたが、血は止まっていた。止血をする。腫れて思うように歩けない。 松屋を目の前にしていたが、傷の程度も判らないし、血染めの左足を引きずって歩き回るのもアレなので、撤退を決意。 覗きたい写真展もあったのだが、これも諦める。無念。 ◆折角なのでジーンズを写真に撮ろうかと思ったが、手当てをするうちに忘れて、すぐ洗ってしまった。迂闊であった。

2001/2/20(火)
フジクロームのキャンペーンが〆切なので、点数券を送る。数えてみたら100点あまり。 いつからこれをくれていたのか忘れたが、これはそのまま現像本数でも、ある。一体何を撮ったんだか。 RDPIIIやRHPIIIの空き箱も点数の対象だそうだが、今なおRDPIIのストックを使っている身には、 全く他人事である・・・。点数ごとの賞品を選んでみたが、100点くらいではどうしようもないって感じ。 小さなポーチと、折り畳み自転車の抽選に充てた。忘れた頃に何かしら届くのだろう。 ◆本屋で写真雑誌をパラパラ捲る。やはりFM3Aか。21世紀はマニュアルだ、まで煽ってる始末。 そんなのにはうんざりなのだが、しかしたしかに、かーなーり危険なシロモノの出現では、ある。 ◆FE3待望論、というのが根強くあった。FM2の+−メーターなど冗談じゃないと思っていた。 ついにあの追針式が復活、感無量である。ハイブリッドシャッター導入で、FM/FEの流れが文字通りここに融合する。 名こそFMだが、実際はその体内にFEを宿したと言える。色々な声を拾ってこうなったのか、ニコンめ、ニクイじゃないか。 とうに退路を断っているキヤノンでは望めないことだが、それぞれ役ドコロということで、楽しめば良いか。 ◆とうとう新ロゴになったおでこ。違和感あるも、慣れの問題と思われ、そう悪くもない。ロゴ回りのディテールはFM系を守る。 よく見たら頭のてっぺんが尖がっている。Fを思わせる云々と誰かはしゃいでたが、勝手に解釈するが良い。 それにしても危険極まりない。ときめいてしまったではないか・・・。限定品でないのが心強い。 パンケーキもまたアレで、F−501に着けてみたいところだが、銀色かぁ・・・。

2001/2/18(日)
IXYのことをタラタラ書いて2、3日して、きむらから来月の「フォトフェスタ2001」のチラシが届いた。 特売の所を見るとなんと、デッドストックのIXYが¥16.8K。限定10台。タイミング良過ぎ。 それで今日、店頭予約。実際は¥15.8Kらしい。定価の実に1/3。キヤノンサイドで新たに発掘された分を合わせて、 用意できる数は40台に増えたという。それでももう残りは1ケタだというから、際どいところで押さえた格好だが、 この幸運は日頃の行いの賜物であろう・・・・・病は気からとも言うし・・・・・何か違うな。 催しの後店頭で受け取ることも出来るというが、会場で受け取ることにする。 フィルムを持参して早速パチパチ始めようと思う。とうとう、APSデビューである。 さて初日カイシャの帰りに寄ろうか・・・・・当日中央線が止まらないことを祈る。

2001/2/17(土)
朝のつばさ公園へ、ちょいとYS−11を撮りに行く。NewF−1にドラを着け、 AT−X150〜500mm/f5.6に2倍のテレコンで1000mmとする。それくらい遠いのだから仕方が無い。 フィルムはトレビ400にしたから、絞ることは出来る。マーク7を据えて狙ってみたが、しかしどうもブレてるくさい。 プロペラをブラすのは諦めるかな・・・。

2001/2/13(火)
日本エアコミューターのページを見る。4月から松本〜伊丹にYS−11を就航させる由。吉報である。 大阪より向こうへ行くのは辛いが、手前から乗れるとなると、これは好都合。ANAグループのページを見る。 7月に羽田発着のYS−11はいなくなる由・・・・・とうとう来たか。時間が無い。 こういうストレスが、発作の一因になったりする。思えば碓氷峠通いでもそうであった。 病はしばしば、「○○対策機材」という大儀をひねり出す。この夏まで、闘病もひとつの山を迎えるかも知れぬ。

2001/2/11(日)
久しぶりに、初代F−1を連れて出かける。すっかりEOS−1な身体にも、この操作感は心地良い。 そんな、感触を楽しむような、ゆとりのある日ではあったのだけれど、やはり手にしている時の気分は、 EOS−1の時よりも物静かに、しかしどこか硬質なものがあるというか。知的、というとちょっと違う気がするが、 妙な充実感というか、目覚めの良かった朝のような、ぴーんとしたものがあるというか・・・。 無論、写真の出来はまた別の話になるのだが。 ◆最近EOSを買った友人に、EF75〜300mmのISを貸す。ぐっと来るものがあった様子。へへへ。 ◆外国の見本市で、シグマがSA−7、SA−9というのを発表したそうだ。うぬぬぬぬ、そろそろ来るとは思っていたが、 シリーズ2本立てで来るとは思わなかった。シグマ、やる気らしい。どこかのページで見たら、ペンタカバーはやや鋭角的に、 MZ−7やEOS7のような感じか。両者とも向かって左肩のあたりにダイヤルがあって、EOS55あたりのような風情?  グリップの太いSA−9の方が上位か。SA−7では内蔵フラッシュはボタンではなく手で引き上げる風。ふむ。 SAマウントの外爪は健在・・・・・一体いつ使うんだよ。シグマは創業40周年らしいと聞くが、 こいつで限定記念モデルでも出してくれないだろうか。SA−5の残りでやられては困る。ダブるから(苦笑)。

2001/2/9(金)
以前から、初代IXYがなんとなく欲しい。いや本当は「なんと大アリ」。APSというものがいよいよ一斉に商品化された時、 従来品の手直し程度にしか見えぬ、見栄えしない品々の中にあって、ひときわ異彩を放っていたのが、キヤノンIXYだった。 APSそのものへの評価をすっ飛ばして、それそのものが魅力を湛えていた・・・・・こういうのが「新しさ」の体現なのかなぁ、 とぼんやり思ったりした。APSについては慎重派・・・いや疑念さえ抱いていて、規格が小出しに発表されだした当時、 パソ通なんかで「そのうちデジカメが安くなって食われる」と冷ややかなコト書いてたのだが、IXYはIXY、であった。 正直に言えば、35mmでこんなカメラが欲しかった。単焦点で・・・・・後にそれはTC−1となった。 ◆チタンボディの流行にうんざりした頃、「ステンレスはどうだろ」と考えていたことがあった。酸化膜も塗装も無しの、 地金。「バック・トゥ・ザ・フューチャー」のデロリアンを思い浮かべていた気がする・・・・・まさかそれが本当に、 しかもすぐに出て来るとは。しかし考えてみると、チタン・ブームに追従しなかったキヤノン、 だけのことはあったかもしれぬ。そしてAPSは「IXYかそれ以外か」という状況が、しばらく続くことになる。 斜に構えていた私も、「かつてAPSというものがあった」記念にIXYを、などと冗談交じりに言ってたものであった。 いや、結構本気だったのだが・・・。 ◆IXYもその後シリーズ展開され、原形タイプも改良されて現在に至るのだが、洗練された半面、初代で感じた気迫が、 やや薄れたような気もする。エクステリアも、やることが無くて困っているようにさえ、見える・・・・・ やはり初代がピュアであった。これだな、やはり。 ◆まだカタログには辛うじて残っているので、どこかにデッドストックでも無いかと思ったのだが、 なかなか身近では見付けられぬ。APSは中古店で人気が無いので、あまり扱われていないし。 勿論それ故あれば安かったりもするのだが、もうしばらくデッドストックを期待していようと思う。勿論安いものを。 おっと、限定品の金色のは、パス(笑)。あれはIXYそのものの魅力と、領域が違う。 ◆友人とそんな話をした矢先、新宿で、中古らしいが箱入りで一式揃っているものを発見。¥16.5Kという破格。 かなり揺らいだが、あまりにもタイミングが良いので、まだ見付かるかな、と見送り。今度覗いてまだあったら、 どうか分からないけれど・・・。

2001/2/7(水)
大島行きの写真が上がってきた。今回立川ビックに出してみたのだが、出し方にもよるがヨドバシより1日余計にかかる。 それでも寄りやすい場所という点で相殺しているとは、言えそうな。出来たばかりの割には空いている立川ビック、 接客接客!、という意気込みなのか、用件の内容に比してセンテンスの多い、或いは纏わり着くような店員が聊か鬱陶しいというか ・・・ヨドバシ流とは、やや勝手が違う。 ◆はともかく、上がってきたスリーブである。入っているシートがヨドバシよりやや厚手。ラボ音痴には、そんな所で好感触。 何を撮ったんだかその数8本、恐る恐る封筒(これがまたヨドバシと違って本数分別々の封筒に入っているから嵩張る) から引っ張り出しライトボックスに乗せる・・・・・うーん・・・・・唸る。 そこに写り込んでいるのは、撮影者(即ち私自身なのだが)の慌てふためいてレリーズする様・・・・・ いや、まさか自分が写っているわけもないのだが、それが見て取れるような出来具合、 身に覚えがあるだけに、どうも直視できぬ。なんだこの露出は、なんだこの構図は、こんなの覚えてないぞ ・・・覚えてないということは、それだけ浮き足立っていたということ。敗北感・・・。 ◆NewKissで撮った分が、特にしっくり来てないし、プロペラのブレ云々と偉そうに書いたが、 その匙加減も適切ではなかった。何故もっと色々手を打たなかったのだ、一体何を考えていたのだ。自問する。 2台使い分けるには、やはり自分は器用ではないということか。今度からどうするか・・・ん、今度!? ◆しかし、言葉にするとアレだが自分の写真は「目撃・体験の記録」だなという常々の思いからすると、これもまた、 リアリズムではあるな。YS−11に乗った、ときめきの表れと見ることも出来る。言い訳半分、達観半分。 実際、失敗作でもそれなりに愛しくはある。自己愛は強い方だ(笑)。 とりあえずいくつかYSネタページへ載せるとするか。

2001/2/3(土)
日帰りで大島へ行って来た。YS−11乗りたさに・・・・・色々な病気が併発してくると、闘病もなかなか苦しい。 EOS−1をメインにと考えるも、故あってあんなギーギー煩いカメラを機内で鳴らしたくは無かった。 さてどうしたものかと思案する。ドラ(パワーブースター)を着けた方がまだマシなのだが、それは比較論に過ぎぬ。 キヤノンから防音保温の専用ケースが出ているが、出費が嵩む割には気休め程度のシロモノのようで、話にならぬ。 手持ちの中ではNewKissが最も静かなのだが、いざという時に心細い。中採って630にするか?、 いやこの際機内用と外用とを用意するか・・・・・というわけで、HS状態のEOS−1とNewKissのタッグと相成った。 NewKissのグリップにシリコンクロスを巻きつけると、良い塩梅。しかし考えるに、こんな面倒というのも単に、 モーター巻上げという一点であって、手巻きに切り替えるという選択肢が無いのが、現代のカメラへの不満ではある。 α−9000やF4だったら・・・。 ◆機内より外を見ると、目の前にエンジン、プロペラがぶんぶん回ってて、時折風に煽られたりして、なかなかご機嫌である。 あんなに悩んだカメラの音であったが、機内の騒音が思ったより大きく、取り越し苦労だったような・・・・・ それでもノーマルEOS−1では煩かったろうが(苦笑)。630くらいだったら安心だったカモ。 ◆写真を撮る。逆光でエンジンやプロペラや海面がギラギラ輝く様などを狙ってみる・・・・・ん、 ハイライトを入れても切っても露光値が変わらないということは、分割評価測光のお出ましか?、 このお節介め! 主体重視で真っ白にされても困るので、わざわざアンダー補正をかけたり、部分測光でやってみたり。 中央部重点平均測光の勘が全く活かせない。NewKissでは親指ボタンを押しながら補正をかけるのだが、 逆光でファインダーの値が見難いのと相俟って、ミスっていつの間にか設定値の方が変わっていたりと、面倒の続出。 慌てると余計に具合が悪い。プロペラのブレ具合も考えると、露光量さえ合っていれば良いというものでもない。 ◆まあでも、綺麗な海を眺めたりして、小旅行を楽しんだ。なんだかレシプロ機にも乗ってみたくなったが・・・。 写真的には撮る傍から色々課題も出てきて、次は何を持って行こうか、どう撮ろうか、 と既に「次」のことを考え始めている・・・・・病との闘いは続く。

2001/1/29(月)
立川にビックカメラが出来たので、覗きに行く。ビックはあまり縁が無く、ポイントカードも一応持っているにはいるものの、 昨年5月に高崎で逆輸入のRDPIIIを求める際に作って、ほんの200だか300だかのポイントを貯めて、それっきり。 ◆元々百貨店だった建物を一杯に使って、まるごとビックカメラ。テニス用品、ゴルフ用品、 はては酒類や生花まで扱っているあたり、誠にビック的である。新しいというのに雑然と垢抜けないのも、ビック的。 しかしCDやDVDのソフトがデフォルトで10%引というのは有り難い。そこへさらにポイントが付く。今なら13%。 NHK「映像の20世紀」全11巻に大触雷。どうにでもなれ。 ◆生活圏では八王子や新宿、そして川崎のヨドバシというのが主だった利用店だったが、立川ビック、 上流に梁を仕掛けられたような感あり。フィルム類の値段をまずはチェックしたが、まずまず。 RDPIIの5+1本の在庫がまだまだある・・・大丈夫かな。ともあれどうも、ヨドバシ離れを予感・・・。

2001/1/27(土)
やらかしてしまった。結露。不覚である。EOS630の、ファインダーはおろか中でプリズムまで曇った。重症である。 雪降る中、三茶の高層ビルから下界をゴトゴト走る電車を撮ろうと思ったのだが、この大失態。 その前に外で撮ってて、すっかりカメラが冷え切っているのは認識していたものの、その認識が甘かった。 ◆フォギー何枚重ねか判らない状態でお目当ての電車を撮るには撮ったものの、一体何が写っているのやら。 仕方が無いので温めながら折り返して来るのを待つことにしたが、そのまま運転を打ち切ってしまって、それっきり。とほほ。 カメラとレンズはどうやら復活した様子。今後何事も無ければ良いが・・・。 ◆キヤノンMCを使ってみる。トレビ400を通して、ちょっと勝負。色々使い勝手の問題はあるものの、ISOダイヤル補正技が使えるので、 こいつをくりくり回しまくる。64、100、200、400、1000の5段階か。200か400あたりのフィルムで使うのが、 丁度良さそうだ。そういえばこのカメラ、逆光補正というのさえ備えていない。見てくれは良いのだが、どうも軟派な感じであるな・・・・・ ISOいじりは硬派カモ。元々露出計の傾向が判らぬものの、さてさてどう出るか。

2001/1/25(木)
シグマの28〜200mm現行モデルの、SAマウントが中古で出ている、と通報を受けた。新宿へ急行する。それはたしかに、 あった。正札にSAとある。見た目キレイである。早速出してもらう・・・・・んがしかし、数秒後に夢は醒めた。 ◆あんだ、Kマウントじゃん。これは委託品で、店員が言うことには、持ち込んだ当人がよくわかってない様子だった、 とのことだったが、どうも怪しい・・・・・KとSAとではリアキャップが共通だからややこしいのだが、 プロなら一瞥してKマウントと判らぬか? SAマウントを見る機会は殆ど無いから惑うのだろうけど。 ◆というわけで、この件はあっけなく終了。しかしSa−1用にしても良かったかな、とあとで考えたり。Kマウント用としても安かった。 ◆無念の思いから、というわけではないが、キヤノンMCに手を出す。2年くらい前、 京都の中古屋で随分悩んだ挙句やめてしまったことがある。引っかかっていたものをこれで押し流す・・・。 オリンパスXAの影響は一見にして顕著ながら、直線基調で都会的な洗練は、一眼レフのTシリーズに準じる。 つまり「あの頃のキヤノン」という顔をしている。当時の技術水準というか、企画の妥協か、そもそもデート機能が邪魔なのだが、 一見スマートな割にはゴロゴロしてて、作動音もぎーぎー煩い。AFロックの使い勝手も初代オートボーイから進歩無し。 スタイリングをまとめるのに、やっとだったのか。オートボーイやスナッピィがあって、MCが商業的にどうだったか知らないけれど、 今見てもなかなかお洒落な気はする。これでもっと小さければ・・・。 ◆他に、またあったキヤノンのスリムなストラップ。今度は紺に赤ライン。お坊ちゃんぽくて、使うことも無さそうだが・・・。 EOS−1用アンチフォグアイピース、家でズルっと膜が剥がれておしまい。(--# 60周年記念のメダル、キャップ類に埋もれてた。 EOS10の限定セットに同梱されていたものと思われる。奥にその元箱付セットがあったので、あの中にあったものでは?、 と店員に訊ねるも、どうでも良さげな反応。縁起モノで¥500。

2001/1/24(水)
どうも、身体の具合が良くない・・・。 ◆昨夜の「ろみひー」だったか、深夜のTV番組に宮崎美子サンがゲストで出てた。いきなし例の限定フィギュアが登場、 うーむそこから来るか。デビュー前後の話が中心で、ミノルタX−7のCM映像が流される。懐かしい。 なんというか、一眼レフに憧れた頃の記憶が、じわーっと甦ってくる。 あの頃は、現代より写真が楽しかったんじゃなかろかと、ふと思う。 ◆志村けんがギャグにしてたが、レギュラー出演の若い娘はそっちしか知らないという。 ジェネレーションギャップ・・・・・しかし何故そっちを知っているのか? さらに、こっちはレアらしい、 同じくX−7のノーブラTシャツバージョン、とやらも流れた。白Tシャツ姿の彼女に水をかける、 という極悪な演出である・・・・・あれっ!? ちょっとしか放映されなかったというが、そらそうだ。可哀相である。 なんでも当時、健康的な魅力ということで、大日本肥満者連盟とかいうところから表彰されたそうだ(笑)。 当人は鼻高々なのだが、そんなこと自慢されてもな・・・。 ◆例のNewFD50〜135mm/f3.5の、別の個体を見る機会を得た。あ、これもネジ丸出しだ。 形はウチのと同じようだが、ただこっちのはちゃんと黒い。塗装というより染色か。ウチのは銀色をしているが、 気持ち黒っぽく、染め損ないに見えなくもない。ロット違いによるのか? ともあれ、 やはりFD的にはここらで風向きが変わっていたらしい。心配事は晴れたけれど、聊か寂しくも、ある・・・。 これ用のケースを見付ける。使うあては無いが、一応押さえておく。

2001/1/14(日)
小旅行を兼ね、写真展を観てきた。じんわりと来た。 元日以来フィルムが入りっぱなしのNewF−1と、現場監督28HGを連れて行く。 NewF−1には20〜35mmと、早速50〜135mmを。50〜135mm、撮る分にはすこぶる具合が良い。 上がりをチェックしておこう。現場監督は久しぶり。介入もままならぬコンパクト、もどかしさの半面、ぷちん、 と弾けたような一種の無頓着感覚が心地良かったり。フィルムはTREBI400。なんとかなるだろう。 ◆それでも、工夫のしどころは色々あって(やはり弾け切れていない)、色々やってみるのだけど、 日頃使ってないので、やはりまごつく。挙句、夕暮れにホームへ入ってくる列車へフラッシュを浴びせる、 という大失態。お手軽全自動も、ボタンを掛け違うとおっかない。

2001/1/13(土)
新橋でストラップを漁る。「CANON SPORTS」とワッペンの付く超ワイドと、 細目でカーキ色に細く赤いラインの入ったものを所望。ワイドはこれで何色目か(苦笑)。 細い方は昔CPEのカタログで見た気もするが、あの頃はワイド至上主義の小僧だったから、 あまりよく覚えていない。近頃はやや軽量志向にあるので、細目のは嬉しい。紐をカメラの吊り輪に通し、 その紐を金具で引っ掛ける古いタイプ(TシリーズやEOSに使えないのが残念)なのだが、 この紐はプロストよろしくエンジ色、金具も金色でやや派手目。好みに照らすと持て余しそうだ。 ◆5、6年前か、大木茂氏に感化されて(笑)ズーム流しを試してみたくなり、 適当な焦点距離としてNewFD50〜135mm/f3.5を考えてみたことがあった。 手持ちのNewFD70〜210mm/f4ではどうも、すーっと引いてきてここぞというところで、ズームの終点に来てしまう。 けれどその70〜210mmと領域の大分かぶる玉を、それだけで買うのもなあ、とその時はそれっきりだった。 ◆暮に20〜35mmを手に入れて、この玉のことを思い出した。20〜35mm、50〜135mm、 このf3.5の2本でぶらぶら撮り歩く・・・・・悪くない。28〜50mm、70〜210mmという従来のペアを、 そのまま広角寄りへシフトさせる・・・。焦点域のカブるズームを何故に何本も、と健康な人は訝しむだろう。 しかし、ズームは単に複数の単玉を兼ねているわけではなく、つまり焦点「域」の玉である。 単玉で35mmにするか28mmにするか、85mmにするか100mmにするか、そういう悩みが、 そのままこの「域」に当てはまる。小さな差異が意外と効いてくる。細かく使い分ける。 超高倍率ズーム旺盛の中にあって、これはむしろ単玉に近い感覚か・・・? f値固定に拘ってるし。 ◆50〜135mmは数が少ないらしくあまり見かけないのだが、それが目の前に現れた。発作に見舞われる。 ボリュウムは70〜210mmとさして変わらづ。135mmでの歪曲収差は、こんなものか。 50mmでは言わねば気付かぬ程。最短撮影距離は1.5m、70〜210mmの1.2mより長いが、 しかし50mmではマクロがある。なんとかなる。外堀が埋まっていく・・・。 ◆と、正面から覗くと、中のズームすると前後する一群の一番前で、120°ずつビスが3本光ってる。 はて? 普通はここ、反射防止の同心円状のしましまドーナツになっているのでは・・・・・欠品か?  店の人は、こういうものだろうと言う。とぼけているのかも知れない。トキナーの玉なら、 こういう雰囲気は心当たりがあるのだが、しかしこれはFD・・・・・ただ、内壁に近くそんなに光線も当たらなさそうなので、 実用上はそう問題も無いのだとは思う・・・・・そういう設計と思いたければ、思えないこともない。 不安を抱えつつ結局、発作に屈する。精神的にやや不安定なところを突かれたか。しくじったかもしれぬ・・・。 ◆調べてみると、‘81年の発売、70〜210mmより少し後になる。店の人はNewFDの初期と言ったが、違う。 そろそろ各部のコストダウンが顕著になろうかという時期か。定価は¥100K近くもした。当時としては高い。 手間をかけているのか、設計が高度なのか、特殊な材料でも使っているのか、理由は知らない。しかし中をよく覗くと、 内部の反射防止策は定価¥60K弱の70〜210mmほど、徹底していないように見える。ビス丸出しも、そういうことか?  妙なギャップだが、そのうち折を見て別の個体で確認するか・・・・・やや憂鬱。 ま、ウチに来た以上、ウチの一員として暴れてもらうだけである。ガタガタ言うまい・・・言う、まい・・・なるべく。

2001/1/10(水)
野暮用ついでに中野に寄る。店員が電話越しに客と話しているようだったが、なんとなしに耳を傾けていると、 どうも電話の主は、2種類のレンズのうちどっちの方が写りが良いのか、という漠然とした、 故に迷惑な問いを発しているらしい。店員は、絞り枚数だのといった客観的なことなら答えられるが、 こと好みに左右される主観的な評価については答えようがない、といったような意味のことを電話の向こうへ説いている。 しかし多分、理解はされないだろう。まったくご苦労なことである・・・・・店員に同情したくなった。 ブームで商売は大きくなったろうが、一方でこういう面倒も随分増えたろう。 ◆新宿で、「Wストラップ」と書かれたキヤノンのストラップを見る。ダブル?、をを?、まさかあの、 2台吊るしのストラップか?、と早速出して貰い、輪ゴムを解くと・・・・・なんだ、単に「ワイド」のことか。 これなら同じ物が家にある。早合点を詫び、昔こういうのありましたよね、と2台提げの事を話すと、 そんなもの知らん、あったとしてもボロボロだろう、と感じ悪い。悪い事でも言いましたかね?  ややこしい、客とでも思われたか・・・・・ライカあたりなら盛り上がりそうな話題でも、単価の安い世界では駄目か。 ◆愉快ではなかったが、それはそれとして、初代F−1用のケースを求める。使う気は無かったが、なんとなく。 「前期」と断ってあったが、何がどう「前期」なのかは不明。一見革っぽい気もしたが、手に取ると怪しい。 しかしA−1やNewF−1のものより、仕立ては良いような。

2001/1/7(日)
成田のヒコーキの博物館などを見る。友人同行なので、妙な機材使って待たせてもいけないから(苦笑)、 EOS−1にIS玉と、手堅く行ってみる。天候が思わしくなかったが、お目当てのYS−11試作1号機に、 メラメラと燃える。機内にてすかさず14mmを取り出してみたが、どうも今ひとつ面白くない。 超広角も使い方を誤ると、臨場感が損なわれるばかりであることを知る。 ◆成田空港へ立ち寄る。そういえば10年前に利用したきりで、のんびりと見て回るのは初めてであった。 普段は羽田くらいしか見てないから、目に入る機体に物凄い違和感。丁度ノースウェスト機が集まる頃合で、 そのずらりと並ぶ様を見ているうち、ふと、ああ、日本は負けたんだ・・・とワケの解らない錯覚をする。 なんなんだか。

2001/1/1(月)
21世紀になってしまった。世の中相変わらずの流れにあって、 昨日と今日とで劇的に変わってしまってはむしろ困るのであるが、ともかく初日を撮りに碓氷へ出かける。 フィルムは久しぶりにRVP。あの発色が恋しくなった(笑)。 ◆NewF−1をメインで行く。スポット測光至上主義者を自認していたつもりだったのだが、 最近どうもまどろっこしくなってきたので、何年ぶりかでマットを標準の部分測光仕様に戻してみた。 ところがいざ撮り始めてみると、今日に限って気分がスポット寄りに戻ってしまい、やや難儀する。 自分のNewF−1的には、興が乗るとスポットなのだろか、やはり。 ◆今回久しぶりにワインダーを着けた。三脚で据えて手巻きは煩わしかったし、 モードラでは仰々し過ぎたからだけど、これがまた良い塩梅のボリュウムであると再認識。 次の出番も近そうだ。ついでにFD20〜35mm/f3.5Lを、ちょっといじめてみた。 ド逆光でどこまで付いて来るか、仕上がりが楽しみである。 こっちの目も大したこと無いから、合格ラインは低いのだけど。 ◆そしてもう1台、キヤノネットG-IIIにKRを詰めた。キャラクターのまるで違うフィルム同士で、 ちょっと遊んでみる。あとでこいつだけ提げて歩いたりしたが、これがまた独特の気分で良い。 EOSと古いマニュアル機と、行ったり来たりで傍目には節操が無いだろうなと思う。 けれど相互補完というか、これでバランス取っているような、気はするのだな。 道楽者のいわば口実に過ぎないが、でも道楽なんだし・・・・・で、そんな一年の計かい。(--;;


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