我が病巣 〜連敗続きの闘病記

一番下へ



2001/9/29(土)
G用ゾナー90mmに手を出す。ま、時間の問題であった。安い個体は¥20K程度なのだが、これを見付けられず、 例によって「今日欲しい」な発作を伴い¥23K台ので手打ち。ロットによるバラツキか、鏡胴の色が心なしか濃い。光源によっては随分変わるものである。 マウント部分を見ると、青いものが沢山ついていた。この色合いは・・・・・電池室内で見たことあるような(汗)。ぎょっとして、コレはナニかと問えば、 グリスがこのような色になるのだという。たしかに拭けば取れるし、ざらつくようなものでもない。ほう。そういえばウォークマンか何か開けた時に、 こんなのを見たような気も。 ◆さて90mmの、次か・・・。(ぉ

2001/9/26(水)
G1で撮ったフィルムが上がる。写真的にトホホなのはさておき・・・・・撮る時の気分は気分、出来は出来なのである・・・・・カメラのコンディションは悪くないらしい。 シンクロソケットの蓋が無く、家で試したらEOSなんかに付いてるのがそのまま合ったので、そいつを買う。なんとなーく、気になるので。 あと中古店からそのまま入りっぱなしの電池も心許ないので、それの予備を。 ◆どちらかというと飽きっぽいというか移り気な性分と思うのだが、手の「収まり感」がたまらなく、一眼レフ必須の時以外、しばらく連れ歩きそうである。 G1とG2、G2の方が多機能である分多少大きいわけだが、サイズ的には横幅以外、数値の差は僅かなものである。ところがどうやら、その形の違いも相俟ってか、 G2ではどうもゴツゴツと手に収まらない。そういえば重さも結構違う。私の手にとってはこのへん、意外と大きい差のようである。んー。

2001/9/24(月)
G1でパシパシ撮り切って、現像に出すことにする。あと1コマというところだったのだが途中巻き戻しを試そうと思った。買ってから気付いたのだがこいつ、 例の細いモンで小さーいボタンを押すタイプなのである。さて弱った。ストラップの細い部分を折り曲げその縁でぐりぐり、 TC−1のストラップならこのあたりでなんとかなるのだが、G1は依然沈黙。家のキーも駄目。あと何があったかな、とバッグをまさぐり、 たまたま持っていたIXYを発見。そのストラップに付いてる、まーさーにソレ用の突起で、結局カタがつく。 ◆これは、困るな。新品同梱のストラップにはそれ用の突起でも付いているのだろう。しかし待て、よく考えてみればこれ、マニュアル露出出来たんだったな。 蓋したまま撮れたんだったな。なに、空撮りして終いまで送れば済むことであった。なんだ。どうせ途中入れ替えは考えてないし、そもそも自動巻き戻しでベロ残さないし ・・・・・そういえば、ベロ残しの改造は可なんだろか? ◆内蔵ズームファインダー、レンズと電気信号のやり取りをして決めるのかと思いきや、よく見ればマウント内のピンに連動してた。指で動かすと面白いようにズームする。 こいつの位置を、レンズ側のカム(?)が決める。それでヤシコン・マウントのアダプターで、レンジ切換が出来るわけか。 では35mmで要ROM交換となったのは・・・? 距離情報の電気信号だろか。システム的には必須である。ファインダーが外付けの21mmも同じ面倒があったし、 自動絞りなど無い実絞りだから、もうこれくらいしか無い。まさかと思うが、TTL測光補正情報?・・・どうかな。で、どうも距離情報関連が予め統一されてなかった、 或いは柔軟な仕様にしてなかったのでは、と勝手に疑ってみたりするのだが、しかしそんな場当たり的な設計をするものだろうか? G2でもう接点が増えてるし。 シロートにはどうにも解せぬ。

2001/9/23(日)
プラナーT*45mm/f2。いわゆるひとつのカール・ツァイスである。世間的にはツァイスはスゴイということになっているらしい。 光学系味覚音痴な私にはそのスゴさとやらが今1つピンと来ないのだが、むしろミラーボックスに邪魔されない光学系というものへの憧れのようなものは、あった。 しかしライカでは高過ぎる(苦笑)。ツァイスというとこれまで、テッサーならあった。スリムTの35mmである。結構気に入っていたのだが、 巻上げトラブル続出の欠陥(だろうあれは)で目下戦力外である。それと、ヤシコン・マウントの45mm。例のヤシカの「ヨドバシ」用なのだが、殆ど使ってないので勿体無い。 マウントアダプターでG1に・・・・・おっと。ああ、あと、手許のハンディカムも、バリオゾナーとか名乗っていたか。T*コーティングも施していないシロモノである。 このへんの玉の扱いについては、見解が分れよう。 ◆で、プラナーT*45mm/f2。とりあえずこの1本なのである。G1登場の頃、買うなら是非にビオゴン28mmを、と思ったものだったが、 今頃になって踏み込むとうの昔にTC−1を買ってしまったから、今更競合させてもなーと。それでも、2本くらいは増えそうな気配。ホロゴン16mmは勘定に入っていない。 今のところは。(ぉ ま、ツァイスの描写は云々と薀蓄たれる方面の病気に対しては、それにかかるだけの素養も無いので安心では、ある。 ◆出掛けついでに、早速G1を連れ出す。45mm1本、EOSあたりでは20mmから300mmまで一通り持ち歩かないと不安になるような気分があるのだが、 最初から1本しか無ければかえって落ち着くものであったり。キヤノネットがずっしりと来たような心地。フィルムは評価し易くいつものRDPII。試写目的ということもあり、 気楽に気軽にパシパシ撮る。ああ、こんなに楽しかったっけか、とあらためて思う半面、逆にこの頃の己がつまんなくなってただけか、と思い当たり・・・。 ◆暗闇では液晶類が全く見えなくなることに今更気付く。イルミネーターが無い。目測の距離表示も撮影枚数も見えない。ファインダー内にはそもそも距離表示が無い。 G2ではこの辺り改善されていたカモ。初代機の荒削りが好きだったりしつつ、不便は不便であるな・・・。夜景なら、MFダイヤルを端まで回して半押ししてみて、 繰り出しが多かったら至近だから反対側の端まで回せば良いだけのことだが。

2001/9/22(土)
先々週地元の中古店で見かけた、半端な数値の輸出玉EF38〜76mm。正札に「モーター音異常」と書き加わっていた。 このテの好きな目敏い客が、品定めで指摘したのであろうか。 ◆ところで、今月は歳を食っていたのであった。そうだ、そうだよ、とその点に拠り始めている己を自覚するに至り、これは我が病のぶり返しに違いなく。 出掛けたついでにいくらか立ち寄ってみるに、意外とその数多くなく、相場的にもなべて単体¥30K前後といったところ。やはり中野はどうにも怪しい。 ◆結局アレしかないな、と中野へ。玉付き¥41Kの方は売れてしまっていた。隣で小僧^H^H若者が、しきりにカノジョと思しき女性にG2を勧めている。 勧められる方はワケ解らずのように見えた。オレのカメラはねー、とやはりコンタックスの一眼の群れを指差していたから、ソッチ方面が好きなのであろう。 カノジョも染めたいという心理も、まあ解らぬでもないが(笑)。こういう場所で、これまで幾度も見て来た光景でも、ある。 ◆さて、早速最安値のボディを出してもらう。程度的にはBクラス、不足は無い。底蓋に、ボールヘッドか何かでグリグリやったらしき、リング状の派手な傷。 たしかに結構キタナイ感じは、ある。ABとBとで¥5Kの差。この差はどこにあるのかと問えば、「よく見ると少し傷があるのがABで、ぱっと見で汚いのがB」と。 ナルホド。まあ、年期も一緒に買うと思えば良いのである・・・・・というわけで決定。勿論フィルム室はチェックしたが、シールは緑。新ROMである。 参考までに古いROMの個体を京セラで調整してもらうのは有料なのかと問えば、無料とのこと。店によっては調整してから店頭に並べるのカモ。 ◆それとレンズを・・・・・1本しか無かった45mm、さっきのカップルの所にある。迂闊であった。G2と一緒に出してもらったらしい。 聞き耳立てたところでは35mmが本命のようであったから、比較の為なのであろう。いやそうに違いない。ええと、45mmが、あ、そこのソレですけどぉ、 えーと、それ、買います?、それじゃあ、あ、いいんですか?、やーどーもすみません・・・・・えへへ。いや、横取りでは、ない。 ◆税込みでも¥40Kを切った。今後G1の相場が下がることは目に見えている気がするが、タダになる訳は無いのだし、これより安くなっても、タカが知れているであろう。 しかしGシリーズは今後どうなるのであろうか。ブームはとうに過ぎた感があるが・・・・・G3となるべく機種に盛り込むものに、何があるというのか? ん、 デジカメ化というのも、否定は出来ぬか・・・・・N1の動きもあることであるし。 ◆2階へ上がり、フィルターとフードを物色。ビンボー路線で通すのである。掘ると、あるわあるわチタン色枠。スカイライトは勘弁。UVにしたかったが、 あとはプロテクターくらいしかないのでそれにする。フードは、箱の中でかき回されるうちに少々貫禄が出て来てるようで、かえって好都合。よしよし。ほどほどのを選ぶ。 そこへさっきのカップルが紙袋提げてやって来た。ああ、G2買ったんだ。それだけ認めて目を逸らす(苦笑)。 ◆新品に同梱のストラップは、細い部分が8mm級だったのだろうか。昨日買ったストラップは一般の12mm幅で、これを通すとやたらにキツイ。 仕方が無いので、輪っかを家にあった三角のに換える。12mmでは少々ごついか。吊ってるというより、両脇を抱え上げられている、という風情である。何か考えよう。 京セラ的にGシリーズ用として出しているストラップは、金色の鎖をジャラリとあしらった、とても堪えられないシロモノ。初めてアレを見た時、 やっぱりドイツ製は良いなどと言いながら長野県製のT2を見せびらかしてたオヤジどもがダブって、京セラの想定している客層が理解出来た気がしたものであった。

2001/9/21(金)
中野でG1などを眺めてみたり。何故かここにはやたらとゴロゴロしていて、相場的にも他所より安めだったりする。 なんでもキヤノンとミノルタとコンタックスのセールが始まるとかで、いよいよ¥20K切るのがゴロゴロ出てくるのではと淡い期待をするも、 セールは中古のことでは無いらしく。集結させては大放出、という流れがこれまであったようには思うが・・・。それでもプラナー45mmとで、 玉付きで¥41K、バラでは¥40K切る組み合わせがあった。うーむ、流石。少し冷ますことにして保留。 ◆若い兄ちゃんが、EFのサンニッパか何か買うところらしく、¥10K札を数えながらカウンターに並べていた。結構な枚数の筈である。 ふと、数年前NewFDのサンニッパを買った時の事を思い出したが、ボロボロだったので金額的には半分以下だったハズである・・・・・それでも、いーのかなー、いーのかなー、 と少々ビビりながら、あんな広げることもしなかったのだが・・・・・顔を見ると心なしか、勝者の笑みを湛えているようであった。いよいよ手に入れる達成感であろうか、 はたまたこれでモノにするであろう被写体へのものか・・・。隣の連れに「オマエはいいの?」みたいな風。何撮るのかなー・・・って他人のことはどうでも良い。 ◆アルプス堂が元の場所に戻っていた。初めて入る。品揃え的に、以前の記憶よりやや淡白に思えるのは気のせいか? ◆その絶対数からか、発売時の定価以上も当り前とゆー、その間のインフレを考えても尚馬鹿値を誇るFD28〜85mm/f4。とうに意識の圏外へと切り捨ててた玉である。 それが見かけることも珍しくなくなり、相場的にもじわじわ下がって来た気も。今日は¥33Kとか¥38Kとか、それくらいのまで見てしまった。 正札に特に断り書きは無かったが、そろそろ焼けてきたりしているのだろうか? 推移のしようによっては再び、圏内に入って来そうであるが・・・。 ◆ヨドバシで、「マニュアルキヤノンのすべて」なる銀色の表紙のMOOKを所望。この辺は自動的にそうなるのである。それと「CONTAX」の刺繍の入った細いストラップ。 まあ、ほぼその気になったということである。合わなければヤシカ109「ヨドバシ」に使えば良い。今は極太のアレだから・・・。ふと耳にした店内放送によれば、 アウトレットコーナーで銀塩カメラも始めた由。行ってみると、申し訳程度にちょろっと。ジャンクも少々。むむ、フジのGA645iが¥68K。うーむ。

2001/9/17(月)
マークI、毎日空シャッターを切るが、まあまあスローも動いている。これに使うレンズを、以前から捜していたり。父親のだったフジカST−701に着いてた、 今や真っ黄っ黄のフジノン50mm/f1.4や、フラフラと買ってしまったスーパータクマー28mm、同じくトキナーの135mmなんぞが転がってたりするのだが、 出来ることならシグマ玉を着けておきたいではないか。しかしこれがなかなか、無い。ふと、病気が今より重かった時分に発作を起こしたインダスターを思い出す。 テッサータイプの、パンケーキどころか口径ごと小さい、Lマウントの沈胴式の縮まりっぱなしみたいなヤツ。色は黒。こいつをマークIに着けてみる・・・・・ むむむ、これはアヤシイ。決して使いやすくはないが、当面これで行ってみようか。 ◆G1の情報を得ようと思ったが、京セラのページに出ている情報があまりにもあっさりで、結局何も判らないに等しい。なんだかな。カタログも、 最近どこにも置いていない感じ。仕方ないので家のスタック(苦笑)から捜索することにする。あるのは判っている。

2001/9/15(土)
気が付くと、量販店の自由に手に取れるデモ機がめっきり減ったように思える。G1をいじってみようという気になって、それに気付く。 特に高級機、特に京セラ? それで、G1のそれを捜し求めていたのだが、ようやくそれを発見。電池も入っている。そうそう、 立川辺りじゃ電池も入って無かったのである。構えてみて、それでおしまいだったのである・・・。 ◆さてG1、もとより、MFでぐりぐりやることはあまり考えていない。AFでちゃちゃっとやるのである。繰り出しその他もっと鈍臭かった気がするのだが、 空撮りすると、そうでもない。ただ初期ロットと同じとは限らないし、フィルムを入れると豹変する場合もあるから、油断はならぬ。 G2と比べるのも、酷であろう。第一、「重戦」G2では大き過ぎる。眼球突きファインダーは相変わらず大不満なのだが、 荷物に忍ばせ連れ歩くには丁度良い、という長所の前では、割り引く気にもなる・・・・・ただ、望遠が90mmまでで、我慢できるかどうか。 ところで、35mm未対応の個体の場合、調整は有料なんだろか?

2001/9/13(木)
調子が悪いので家で寝る。寝てたのだが、なんとなく勿体無い気分になってきたので、夕方マークIを持って近所の修理屋さんへ行く。 窓口に出た人が、見積りますとマークIを連れて奥へ消えてしばし、戻って来るなり修理不能と。機械式なのに、どういうことかと訝るも、 別の人が来て、コパルスクエア故アッセンブル交換しか手立てが無い由。そしてお約束として、交換用のユニットも無しと。 横走りならまだ望みがある(比較論として)ところ、裏蓋開けて縦走りだと、その時点で「あー」ということらしい。 機械式ならなんとかなるだろう、という認識が半ば「信仰」に近かったと思い知る。 ◆掃除だけでもとか、保証効かなくても良いからとか、ここではそうも行かないようである。そもそも開けること自体リスクがあるという。 内部配線の扱い、フレキ基板あたりの劣化とか、そんなあたりだろう。ニコイチお断り、というのは聞いていたが、 基本的には仕上りに責任を持てる仕事しかしないというポリシーのようで、致し方無しか。妙な機種であるためか、先方の話を聞きながら、 どこまで解ってんのかなー、と時々「?」なコトもあったりして、こちらも憚りながら、 ド素人とはいえ言われるまま鵜呑みにするほどウブでもないつもりなのだが、なにぶん、主導権は先方にあった。 ◆ところで当のマークIのスロー、見せるという段になって症状が再現されづ。聊か心許ないながら、ともかく動く。修理事情も少し解ったし、 だましだまし使ってみるか。いよいよとなったら、ガバナーを諦めて高速シャッターだけで使えば良いらしいのだが・・・・・ってこの縦走りシャッター、 1/125秒以上で使えというのか。幕速の遅かった昔ならいざ知らず、1/125秒では写ルンです状態・・・。

2001/9/10(月)
台風である。しかし実感の伴わない状況の中、新宿へ。ヨドバシ本店をウロついて、カルマンのボールヘッドを見付ける。これを探しに来たわけでもないのだが、 売り場を見てみたら、あった。これが店頭から消えて久しかった。よく知る店員(本店ではない)によれば、 あまり回転しない(ボールヘッドがではない)品物なので置かなくなった、とのことであった。過日一脚を買い直すハメになった折、 このボールヘッドを探したものだったのだが、そのようなわけでベルボンに落ちついてしまったのであった。 ◆見たからには、買わねばならぬ。いや、そういうものなのである。既にそれは観念化しているのである。まあ、使いやすいかといえば、 必ずしもベストではない。とりあえず買ったベルボンの方が優るやも知れぬ。しかし「好き」というのは時として、非合理を伴うものなので、ある。 まず、ストンとした円柱形が、良いのであるな。あ、ベルボンのはあちこち引っかけやすいから、理に適っているでわないか。うむうむ。 ◆マークIの修理に充てようと思っていたポイントから、これにあてる。この同じ物品を、買うのは3度目かもしれない。 初代は疲れ果てて壊れてしまい、2代目は半年前、ジッツォの一脚と共に高崎線の車中に消えた・・・・・嫌なことを思い出してしまった。 細かい仕様が変わって来ていたが、今度見る3代目は、カメラに固定する首の方の部分がプラ製であることに気付く。 むむ、そうだったっけか!? 少し冷めた。しかしマンフロットの一脚に合わせた時の姿に、免じてやるとする。 ◆マークIを取りに行く。「少々お待ちを」の一言も無く、ダラダラと待たされる。手空きの店員は目が合うと奥へ消えた。10年ぶりくらいに来た修理コーナーだが、 このダレた空気は昔とちーっとも変わっていないのであった。そういえば顔ぶれも・・・・・お前ら一生そこにいるがいい、と言ってしまってはアレか。(ぉ  で、マークIの帰還である。古いので修理しません、とバッサリである。近所に出すつもりになってたが一応、どこか修理業者を紹介してくれたりしないのか、 と訊いてみる。ここがありますヨ、とコピーにコピーを重ねたような紙片を渡される。「中古カメラ市場」と読めた。あ、そういうコトになってんだ。 ◆親にも匙を投げられてしまった、マークI。空シャッターを切ってみたりする。懸案のスローも切ってみる・・・・・ん、切れるぞ。切れる切れる。 ・・・あれはオメガだったか、ロレックスだったか、古いモデルを修理に出したところ、修理代金を請求されるどころか、新品のモデルと、 大事に使い続けていることへの感謝の手紙が添えられて戻って来た、なんていう逸話があったと思う。このマークIを見たシグマが、 代金を請求しない口実に「不能」としつつ、こっそり整備してくれたのではないか・・・・・そんな妄想が頭の中で脹らんだ。ああ、 シグマニア冥利でわないか、と空シャッターを続けるうちに、ガバナーの動きがまた鈍って来た。そんな旨い話が、そうそうあるわけなかった。

2001/9/9(日)
マークIのことで電話が入る。修理不能とシグマから戻ってきたらしい。部品交換が必要な状態だったのか・・・・・さすがに部品もあるわけなかろうが、 シグマ的にはお手上げ、或いは面倒ということか・・・・・シグマ指定修理業者というのも、聞いたことが無いし。折角のマークIである。 このままにしておきたくない。大体、まだ自分のフィルムを通してさえいないのである。このまま文鎮ではあんまりではないか・・・。かくなる上は、 近所の修理屋さんに望みを繋ぐしかなさそうだ。中身はリコーのアレっぽいので、どうにかなりそうなものなのだが。

2001/9/8(土)
サンゴーナナマルが気になって仕方が無い小堀製作所、今でもレンズを造ってるらしいのだが、自前のホームページは無いらしい。少々探してみて判ったのは、 そのラインナップらしきものと、「コボロン」なる外国向けブランド。うーむそんなのがあったか・・・・・。 ◆で、家から近いのは判っていた。距離的にGOKO以上関東カメラ以上キヤノン以下、といったところか。用事のついでに寄ってみることにする。 多摩川沿いの道を走ると、思いっきりそれがあった。なんだ、これまで幾度も幾度も通っている、この道に面していたとわ! キヤノンにも程近い。 キヤノンとテフノンの浅からぬ間柄は聞いたことがあるけど、まーさーにキヤノンの「周辺」であるな、これは。 ◆まさかと思ったが、さすがに地元の中古店にあったテフノンは、やはり消えていた。随分長いこと置いてあったのだが。 無関係なところでEF38〜76mmというハンパなレンズを見る。輸出用のアレだが、まあいいやと素通り。でテフノン、高輪台で見た個体も消えていた。 こっちは消えてると思ってたが・・・。むう、こうなってくるとサンゴーナナマル、ちょっと火が付きかけ。昔ぁ〜し貰ったチラシでも発掘してみるか。あの赤いヤツ。

2001/9/7(金)
有楽町できむらの催物。行きがてら少し時間に余裕あるので中野に寄る。なーんとなくEF70〜210mmの中古が増えたような気も。IS発売前夜か。 特にこれといったものは無いものの、なんとなくコンタG1を見てみると、これがまたゴロゴロとあるわあるわ。しかも¥20K代前半という相場。 中には¥20K切っているものまである。うーむそこまで来たか。そろそろ手が出そうな気配。(ぉ ◆G2の方が進歩しているのは十分解っているのだが、色々詰め込み過ぎて煩わしい部分もあり、大体図体がでかい。G1を手にした時の収まり具合、 特に背後から上下をむんずを掴んだ時のそれが、なかなか良い塩梅なのである。荷物に忍ばせるにも、OMと良い勝負カモ。 シャッターのタイムラグが云々されるが、手元のキヤノネットで、その長いストロークのお陰で手ブレを恐れしつつそおっとレリーズを押すことを思えば、 左程ハンデで無いような気も(苦笑)。眼球を突きそうな(実際発売当時突いた)ファインダーなど、色々あることはあるのだが、幸いにして現行モデル、 あらためて店頭のデモ機を弄ってみるか。ああ、ロットによる違いが、ありそうなのだが・・・。 ◆有楽町で、し氏と合流。特にお目当てがあるでもなく、メーカーのグッズ類をさらっと見るも、殆ど何も無し。今回ニコン羊羹も無し。ケンコーのところだったか、 ジャンクのフィルターの中から、48φ→49φのステップアップリングを発見。お里が知れそうなシロモノである。家のキヤノネットにも着いてるが、一応予備に。 ◆中古コーナーへ移動。いきなしシグマ28mm/f1.8のFDマウントを発見。フードも付きかなりキレイで¥10K也。破格カモ。むう、 既にKマウントを持っているのである。NewFD28mm/f2もあるのである。出番は、と考えたらどうも手が出なかった。惜しい気もするが、 まあ「病気」も治まっていることであるし・・・・・。テフノンの35〜80mmというのもあった。これではなくてFDそっくりのサンゴーナナマルだったら ・・・・・あの玉はFいくつだったっけかな、などと話していると、カウンターの向こうから「f3.5〜4.5というのもあったし、f4というのもあったし、 それと・・・」いや、FDなら知ってるわさ。テフノンの話なんだってばさ。 ◆し氏、αの破格白玉に触れ自爆。敬礼。


2001/8/25(土)
マークIを修理に出す。「なあ、これなに?」と店員は隣に訊いている。まあ「ををっ、マークIですかぁ!」なんて反応されたら、 こっちが驚くが。さて一応はシグマの修理部門に送られるハズ、なのであるが、その先でどうなることやら・・・・・この場合、 リコーに回されちゃったりするのだろうか? 或いは別の修理専門会社だろうか・・・・・以前Sa−1を出した時は、 一応シグマの伝票が付いて帰って来たのだが、それが傾いたコピー紙だったのであった。一体どんなトコロへ回されたのだろう、 と気になったのだが、SAシリーズの修理もやるんだろうし、マークIもどこかへは行くのであろう。生還を祈る。

2001/8/21(火)
部屋に転がしてあった、シグママークI。何とは無しにいじってみると、スローでシャッターがおかしい。ガバナーがつかえる。あん??(汗)  その症状はどうも、1/4秒以下にすると起こる。じ、じ、じじかしゃっ、と最初はそれでも切れていたのだが、段々怪しくなってきた。 じ、じ・・・・・ダイヤルを1/8以上に回してやると、かしゃん、と落ちる。タイムか?(鬱) ガバナーのある場所でどうも、引っかかるのか、 粘るのかするらしい。こともあろうにシグママークI、コレは一大事である。

2001/8/20(月)
「写真工業」が目に止まる。表紙がシグマSA−9である。以前にもSAシリーズが表紙に登場したことはあったが・・・・・ いや考えてみるとえらいことだと思うのだが・・・・・そんなわけで、ついつい手が伸びる。同誌に限らずテストレポートというのはやや抽象的で、 「fいくつ付近からやや改善する」「実用上は云々」という表現は、結局のところ「まあ、現物で確かめてみてよ」と言ってるのに等しいように思えて来たりも。 ま、誌面では限界もある。カタログで判る仕様は今更だし、そもそも性能に関して結構ラフな私にとって、最早どうでも良いような話になりかねなかったりもするのだが、 特に興味のある使い勝手についてなども、それこそ現物で確かめてみるしかないから、開発の話やコメントの妙を楽しむつもりで、読むわけだったり。 それにしてもなにげに評価が高い。勿論「使われ方」を踏まえてのことであろう。最初ズーム2本買ってそれっきりという向きには、別に独自マウントだって良いのだし・・・。 ◆安原の50mmのレポート。これもまた「現物で確かめてみてよ」ってことになってくるのだが、要は怪しげなロシア製よりは安心なお気楽玉、 ということらしい。異存は無い。見た目なーんとなく詰めの甘さを感じるのは、安原テイストか(笑)。 JANコードが付いているのは安原的には「事件」のようで(笑)、わざわざ触れられていたけど、まあ通販で買う方が「らしい」ような気もする。 ウチのキヤノン50mm/f1.5が曇ってしょうがないから、適当な玉を物色してたのだが・・・・・。中国の、 一式と同じで別名義のカメラについても触れられていて、あれは革命50周年の特注モデルである由。色々憶測を呼んでいたが・・・・・ ところでホームページ見ると二式が開発中らしい。全容はまだ明かせないという。一式の時にコシナにかき回されたのが、余程嫌だったらしい。 ◆近江屋写真用品が限定ライカを特注したとかで、「ハンザ・キヤノンからハンザ・ライカへ」という見出しは、ちょと笑った。 しかしここで引き合いに出されるハンザ・キヤノンも、なんだかなーなことであろう。そういやハンザ的には、フィールドカメラもやってたような。 ◆三脚の小特集、廣田尚敬氏も登場。なんでもこの先生と並んで撮りながら、先生に向かって薀蓄たれた鉄がいたらしい。恐ろしいことである。 ◆4000dpi級のスキャナの記事、ニコンの方が先んじているような気はするのだが、キヤノンの安さも捨て難い。 APSに踏み込んでしまっている身としては、こいつのことも考えておきたいのだが、キヤノンの今度のやつ、 マウントもイチイチフォルダーに差さねばならないらしい。前より面倒になってしまった。APSのアダプターも前のと互換性が無い。 一気にサマリーを読んでくれるとのこと、インデックスプリントがあるから、コマ数だけ判れば良いのであるが、そんなものは・・・・・。 さて冬あたり、どうかな。(ぉ

2001/8/17(金)
特にコレといったものも無いながら、新宿に寄ってみたりする。SAマウントの70〜210/f2.8なんぞ置いていた店、 とうとう物好きの目に止まったようであった。さすがにそこまでは、と思いつつ、売れてみると惜しかったような気も。 店員の1人がパソコン叩きながら「ヨド行きたいよぉ〜」を連発。なんだかな(笑)。 ◆そのヨドバシで、初めてシグマ15〜30mmを見る。なかなかでかい。覗いてみる。15mm・・・・・15mm、か。うーむ。 f3.5〜4.5、17mmスタートの玉ならf2.8なんてのがあるから、この2mmの差というのはなかなかビミョーなトコロ。 歪曲収差は、もっとあるかなと思っていた。30mm側の糸巻きが、ちょっとアレな気もするが、このびよーんって引っ張られる感じが、 かえって広角クサイ気も。クラッチ付きのピントリング、AF/MF切換スイッチと全く連動しないので面倒なだけなのだが、 ズームリングのあたりでしっかりホールド出来るからクラッチ切らなくても良いか、という気になる。或いはMFの使い勝手全面で行くのも良さげ。 しかしピントの山が難しいからAFにしておきたい場合も、ままあったりで。フルタイムMFなら申し分無いのだが・・・・・ このへんでもHSM採用したら、かーなーり手強いと思うのだが・・・・・容易いのならとうにやってるか。 ◆CJ(カメラジャーナル)100号をようやく所望。殆ど読まなくなってたが、折角なので揃えてしまう。 表紙はT3、創刊号がT2だったから、T的に1世代分なのかー、と思ったら表紙に思いっきり、 それを意識したようなコトが書いてあった。なんだ。本当はTiXでAPSに移って、T2も絶えてしまっていたのだが、結局APS自体が奮わず、 135に帰って来たのがT3であった。言わばT3は「出戻り」のようなものか。CJ誌も8年になるそうだが、そういうスパンの間には、そんなこともあった。 コンタG1、安原一式、持ち上げては放り投げられたカメラ達よ・・・・・。そして数多の吊り上げられたカメラ達よ・・・・・。(ぉ ◆さて8年前・・・・・新橋のウツキで、カタログのような何やら薄っぺらいモノを見た。手に取ると、どこぞのカメラマン(元々プロの名前は殆ど知らないのだが)が、 何やら好き勝手に色々書いているようだ。T2がボスニアだかで爆弾の破片を食らったとかいう話は初耳だったが、 「ウゴウゴルーガ」(懐)の「ちなつの部屋」でネタになってた、などという他愛の無い話に、「我々の目線の高さ」といった親近感を覚えたような気がする。 「それ、面白いでしょ」、カウンターの向こうから声がした。思わずニヤつきながら、¥100玉を取り出した。 ◆写真関係の雑誌の定期購読などしていなかった私には、¥100なら、という気楽さもさることながら、内容的に気楽であった。 その頃か、出入りしてたパソ通で「都内中古カメラ店20店行脚OFF会」など企てたりしてた私だったが、世間的にカメラが流行ったのは、 その少し後ではなかったか。キヤノネットが一律¥5Kとか、ペンが¥3Kとか、まだまだ牧歌的なノリだったように思う。 ◆CJ誌との因果関係は定かでないが、カメラのブームが起こって、色々な有名人も登場した。世界が広がって風通しが良くなるのは悪いコトではないのだが、 粗悪攻略本乱発は置いておくとして、密かな楽しみだったというか、なんとなく「我々の目線」から乖離して行くような、そんな寂しさも一方にあった。 まあ、それぞれで楽しめば良いのであるが・・・・・しかし、信仰にも似たノリで群れたがる人達が少なくないのも、なんだかなーであるな。幸いにして(?)、 あのへんの読者投票ではまず圏外の、キヤノンなんぞ贔屓にしている身としては、そんな「現象」にウンザリしてる元からのニコン党の友人を横目に、 対岸のナントカと余裕かましてたりしてたのだが、そのうちこっちへ流れて来やしないかと、内心不安を抱えていたのもまた、確かであった。 まあFDはそこそこ揃えているから、相場的には別に良いのだけど、正直言って「俄と一緒にするな」という気分は、ある。我ながら小さいヤツである。 ◆そんな現象の中、CJ誌もそのうち、なーんとなくお疲れムードが漂ってきた。同じネタの繰り返しはある意味必然(あちこち書いてればいずれ枯渇するのである)なのだろうが、 言葉尻にどことなーく、「俄マニア」や「素人カメラマン」を突き放すような雰囲気が、段々散見されるようになってきた気もする。 あー、と思ってたのだが、実際のところどうなんだろ・・・。 ◆新装なった101号も出ていたので所望。100号のついでである。多分買うのはこれでおしまいになるだろう。体裁は「ダカーポ」のようである。 意識したのは昔読んだ雑誌だそうだが、よく知らないのでとりあえず「ダカーポのような」としておく。読み物中心のようだから、 毎月相当エネルギーを注ぎ込むことになるのではないか。写真が増えてきたら要注意か。(ぉ ところでチョートク氏、 インターネットは本来チャラチャラしたものではなくそもそも研究者の間で用いられたもので云々、といった冷ややかなことを仰せである。 MOSAICよく落ちたよなー、あたりで懐かしむのがせいぜいな私でさえ、そんなことは百も承知なのだが、一頃のあの、 見ようによっては同世代のオジサン連中へ「パソコン使いこなしてるぜい」と勝ち誇ってるように見えなくもなかった、はしゃぎ気味のオジサンと、 俄には同一人格と認め難かったりする。まあ、あのはしゃぎぶりは「後から来る人達」を鼓舞する意図だったという、好意的な解釈も成立し得るのではあろうが ・・・・・尤も、どこぞから初期型NeXT(懐)を手に入れて見せびらかすあたり、元々フツーのオジサンではなかったか。

2001/8/12(日)
墓参りの帰り、墓の近くのユニクロに寄る。特に何も用事は無かったのだがウロウロすると、例の人物写真のでかいパネル、 カメラを提げた娘が目に入る。ふむ・・・・・おでこのロゴがレンズに隠れて見えないがこれは銀色の、M−1かOM−1であるか。 肩にロゴが無いし、ASAダイヤルが銀色だし。黒いワイドストラップ、裏返しっぽいのがアヤシイ。2000年記念のアレか?  レンズはノーガードで、ズイコー35mm、さすがに”OM−SYSTEM”とある。 プレミアのプの字も無かった”M−SYSTEM”が家にあるのでまあ、ちょっと意識してみるまで、なのだが・・・・・そういう小技は無い。 フィルターがついてるが背後にレンズの先の銀縁が認められる。モノコートか? そのへんまで判ったところで別に何も良いことなど無いのだが、 まあ、悲しい性である。もう良かろう、あんまりじっと見てるのもヘンである。

2001/8/11(土)
出来過ぎかもしれない。PCのモニターがようやく直ったと思ったらPC本体(机上VAIO/Win2K)が具合悪くなり、リカバリーを余儀なくされ、 再設定をしていくと今度はフィルムスキャナが使えなくなった。フォトショップからTWAIN機器として呼ぶと、これが呼べない。 製造元のキヤノンのページを当たると、Win2Kでそういう問題アリとある。はぁ? すると逆に、以前問題なく使えていたことが非常に謎。 フォトショップから呼ぶことを諦めて、キヤノンの読み込みソフトを独立で使うことにするも、 今度はスキャンを始めると「紙詰まり」云々と言い出して止まる。紙詰まりぃ!? ◆今度はスキャナが壊れたか・・・・・新しい4000dpiのが欲しいし、ええいままよ、行ってしまえ! と短気を起こしかけたが、 どうせ忙しくて構ってる暇も無いか、と気を取り直し古い机上機を引っ張り出して、繋いでみた。しったらこれが快調。無論遅いが。 ううううううむ・・・・・謎が深まる。 ◆しかし4000dpi級のは一応予定には入っていて、あとは時期的な問題。ニコンの出方を伺ってる部分も、ちょっとある。 たーだ、その解像度もさることながら、むしろ今使ってるのが機能的にタコ(シャドウの具合が悪く、しかし感度を上げるとノイズが乗るだけ、 スキャンの露出量そのものを調整したいのだが、陰険にもリバーサルのスキャンの時にはそれが出来ぬとゆー)なので、 そこから抜け出したいという方が大。

2001/8/10(金)
久〜しぶりに、中野に立ち寄る。気になるシグマ15〜30mmを探すもやはり無し。 これといって狙いも無いままウロウロしていると、「キヤノン用だけ入ってるんですが」と電話の応対の声が耳に入る。 話の感じからすると、どうもその15〜30mmくさい。えっ、と思い再び新品コーナーをサーチして行くも、 やっぱりこっちには無い。むう、早く実物を拝みたいのだが。 ◆ジャンクコーナーをゴソゴソすると、なーんか見覚えのあるルーペがあった。見るからに、 キヤノンの(多分富士も)APSビューワー用らしいのである。このビューワーというのも、 キヤノンのスキャナに付属しているのと同じキャリアに、専用ルーペを嵌め込むだけなのだが、そのルーペの方が転がっているわけである。 そして家には、キヤノンのスキャナと、このキャリアがあったりするのである。これは好都合と求めることにする。¥500ナリ。 んがしかし、ぢつわつい先だって、友人にそのビューワーを融通してもらったばかりだったり。ま、それはそれとして。

2001/8/9(木)
富士山の写真、個人的な記録としてはまあまあだったので、昨日立川ビックにプリントに出した。 あげる分なども交えて色々枚数指定をしていたのだが、上がりを持ち帰り家で分けて行くと、どうも枚数が合わぬ。これと思ったコマが足りず、 その隣のが余計にペラペラ焼かれているではないか。まーたか? 小事にイチイチ文句タレる程暇ではないが、どうもあの店でプリントすると、 殆どその都度何かしらケチが付く。あのミニラボは人材の掃き溜めか?、と毒づいたところで、状況が変わるわけでも無し。 ◆これまでに続いた、APSの日付入れの有無の間違い、プリント枚数の間違い、セピア指定をモノクロ焼きなどというものは、いずれもケアレスミスである。 機械の仕様や調子だのといった話とは根本的に違うのだが、ところが駄目出しの度に、機械がどうだとか本質から程遠い講釈を、相変わらず繰り返す。 誤魔化さんとする対応が姑息である。こっちは望んだプリントが欲しいだけだから、とっとと焼けば良いのである。 尤も、段々突っ返すのが億劫になってきたから、ああいう対応も「意味」があるのかもしれぬが。ふん。 ◆それでも利用し続ける方も、どうかしてるか。利便以外の理由は無いつもりなのだが、利便そのものもこれでは怪しい。 いい加減顔と名前も覚えられたクサイ。ま、そういうことだから。>店員各位(ぉ

2001/8/6(月)
富士山に登ったのである。誘われてくっ付いて行っただけだが、色々溜まる物があったのでリフレッシュを図ったような部分も、ちょっとある。 でま、あれも撮りたいこれも撮りたいと、超広角から望遠まで欲張るものだから、荷物が異様に膨れてしまった。当然上に行けば苦しい。 EOS−1がやたらと重い。首から提げて行こうなんて考えは甘かった。なので道中殆ど背中にあった。それでもいくらか撮ったのだが、 カメラを構えていると、やけに苦しいのである。何のことはない、息を止めているのだった。空気が薄いから、僅かな間でも呼吸を止めるのは辛い。 そんな中で、身に付いているセオリーを、妙な形で再認識したのであった。 ◆さて幸いにしてご来光も拝めた。EF75〜300mmISが逆光に弱いことを忘れてた(苦笑)。結局日の出のシーンだけで、 14mmから300mmから、ぎょぎょっと20だの何だのと総動員。持ってきたからには、というのもあったろうが、 それくらいに色々撮りたかったのである。タムロンのズームの20mmと、単玉14mmとの間の行ったり来たりが、聊か面倒に感じられた ・・・・・ズームがあればなぁ。(ぉ


2001/7/29(日)
殆ど日帰りで、京都。ついでに梅田界隈をウロつく。バルブ撮影中心の今日、ペンタ645に使うケーブルレリーズと、 換えの乾電池を忘れてしまったので、ドイに入る。期待するような店ではないのだけど、ケーブルレリーズありますかと訊ねれば、 どんなレリーズですかと返ってきた。どんなと訊かれても・・・・・ちょっと悪い癖が出たか、ライカ用じゃなくて普通のです、 と私。店員しばし沈黙、そしてケーブルので良いのですか、と訊いてきた。最初にケーブルレリーズと言った筈だが(苛)。 まあそれは一応見付かり・・・・・それにしても乾電池が高い。東京の感覚の2倍? ま、ヨドバシ出店までの命である。(ぉ ◆そのヨドバシ、既に堂々たるビルが聳え立つ。バブル期に新宿南口に出店した三越のビル(今は大塚家具だったか)を、 なんとなく思い出してしまったが、多分並べればそんなに似てもいないとは、思う。ともかくオープンはいつだったか、 今後梅田の地で大暴れすることであろう。あの巨大ビルには、店舗ときっと駐車場と、あと何が収まるのか知らないけれど、 見物するのが楽しみでは、ある。カメラのコレクションも、こちらに来るというし。 ◆八百富でシグマ関係をチェックするも、SAマウントの28〜300mm1本を残して、売れてしまっているようであった。 28〜200mmだったら、グラつきそうなのだが・・・。 ◆さて久しぶりにペンタ645を使う。梅小路蒸気機関車館の、バルブ大会なのであった。関係無いが、安原一式を提げている人を見る。 友人はスピグラを取り出し、にんまり。新幹線からSLまでこいつで撮る人間である。ちょっと離れたところにモノレール式の大判の人がいて、 そーきたかぁ!、と喜んでいた。わからん・・・。彼はスピグラを出す前にOM−4Tiブラックを提げていて、聞けば新品という。 この期に及んで購入とは、タダモノではないのである。やたら勧めてくるので覗かせてもらう。‘80年代前半生まれで、 新しい技を身に着けつつ、その清楚な身のこなしがまた、オリンパスという「家柄」らしく・・・・・おっと、あぶないあぶない。 以前彼に古いコンタックスを通じて妙な病気を移されたことを、思い出すべきなのである。 ◆さて空の沈む頃合を見計らい、フィルムを装填して、先送り・・・・・ぐじー、というばかりで、これが進まない。 ブランクの後のぶっつけ本番、やや焦る。そうだ電池が古いのだ、と昼間に高値で買った(くどい)電池と取りかえることにする。 古い電池を出すと・・・・・ああ、電極に微量ながら粉吹いてる(汗)。だから、放ったらかしてはいけないのである。 ともかく新しいのと換え、撮影開始。感触として、動作は異常無いようだったのだが、まだ何かありそうな気がして、 どうも気が気でない・・・・・。まずは忘れないうちに、ちゃんと手入れをせねば。

2001/7/28(土)
久しぶりにペンタ645を使おうと思い、ゴソゴソと一式引っ張り出す。全く手入れしていないので、一抹の不安。 案の定、35mmの前玉に、ぽつ、ぽつ、と不吉な影が。慌てて拭き取り、一応は跡も見えなかったが、今後予断は許されない。 調べてみると、昨年のGW以来の出動、前回の使いっ放しのままであった。そんなに放ったらかしてはイケナイ(自戒)。

2001/7/26(木)
3週前突っ返した、セピアのプリント。その翌日には上がってたのだが、2度連続の突っ返しでこっちも白けてしまい、 色々忙しい中無理して取りに行くこともしなかったのだが、早3週間・・・・・さて、またそのセクションの責任者らしき人の、 登場である。言い逃れなのか、誠意の表れなのか、後者と思いたいが、またもやオートメーション化されたDPEについてと、 APSの仕様の講釈が始まり、挙句PQIを使わなかったか、ときた。PCIに何の関係がある? 使った覚えは無いが、 しかし待て、PQIがヤバイというのなら、プリンターまで含めたAPSの仕様そのものが、破綻してしまうではないか。 それにセピアのフィルムを出しているのは、当の「APS5社」の富士である。 ◆だーから、そんなことは本質では無いのである。機械が勘違いしようが、設定がどうだろうが、オペレータ次第ではないか。 突き詰めれば、小難しい話以前に、オペレータの不注意を問うべきである。現に、最初は日付写し込みミスを除けば、 良好なプリントだったのである。最初の時だけたまたま、優秀な人間が作業にあたっていたのだろーか? 残りはカスと言っては角が立つ。(ぉ ◆ともかく、他の用事が続いていたので長居は無用であった。出来への不満ではなく、見当外れの講釈に付き合わされることが、 私を苛立たせた。「いーからとっととよこせ」の一言が喉元から出かかっていた。起こってしまったことはもういいのである。 ただ、グダグダやられるのが我慢ならんのである。私の余生もそんなにたっぷりあるわけではないのである。自然、 言葉尻にも棘が出てくるというものである。 ◆無理難題を吹っ掛けた覚えなど無い。平凡な注文である。たかが量販店のDPE、クウォリティなど始めから左程の期待もしていない。 ただ、ケアレス・ミスは話の次元が違う。人の話はよく聞くものだ。しっかし、それにしてもよくハズレに当たるものである。 店の体質、と決め付けるのも容易いのだろうが、先方は先方で、こっちを「クレーマー」と逆恨みしている可能性もあるか(苦笑)。 今度訪ねて緊張が走るようだったら(笑)・・・・・ま、ならばそれが「体質」ということであろう。場所的に便利だから、 まだ利用はするつもりなのだが・・・・・ナンだったら緊張感を味わうつもりもまた、いとをかし。(ぉ

2001/7/21(土)
深い意味は無いのだが、思いつきで久しぶりにT60を使う。軽量なのが何よりなのだけれども、 FD20〜35mmLなんぞ着けると完全に貫禄負けである・・・・・いや、ボリュウム的に、明らかにアンバランス。 Tシリーズ向け的軽量サンゴーナナマルを着けて出かけるも、出先で気付いたことにいやはや、こんなに歪曲収差が酷いんだっけか。 トキナー150〜500mmで俯瞰なんぞもしたけれど、ミスマッチがなかなかに。前が重過ぎてとほほ、でもあり。 にしても、レリーズ時のペカッ、ペカッ、というミラーショック主体の感触が、なんともコシナであるな、今更ながら。

2001/7/15(日)
シグマから、15〜30mmなどという広角ズームが出るという。同じくシグマの14mm/f3.5が手許にあって、 重ったるかったAFモーターも、ここんところの暑さのお蔭かやや軽くなってたりするのだが(苦笑)、 そんな領域からのズームというのは、かーなーりマズイ。 ◆EOS用に使っているタムロンの20〜40mm、どうも発色がぱっとしなくて、特に青がくすんだ感じかなー、 とはマウント違いの同じ玉を使うし氏と見解の一致を見るところなのだが、そんなのでどうも引っかかるものがあって、 あー、観念してEF17〜35mm/f2.8Lでも(何故かいきなり大きく出る)・・・・・とぼんやり考えてたりしていた。 尤も、我がFD20〜35mm/f3.5Lをもってすれば、EOSと一緒じゃボディが増えるがまあまあ、満足ではあり ・・・・・しかし20mmでなく17mmスタートというのが、悩ましいのであった。 ◆そんな折の、この15〜30mmである。思えばかつて、20〜35mmといった広角ズーム群の中にあって、 18mmスタートで斬り込んだのもシグマであったと思う。写りはどうなのか、やはり山笠歪曲収差には目を瞑らねばならないのか ・・・・・ともかく現物を見てから、か。飛び付き持て余し中古がすぐ出るだろうけど、どのくらいになるだろうか・・・。

2001/7/14(土)
出かけついでに、新橋あたりをうろつく。シグマのロゴの入ったストラップを発見、これを所望。¥500ナリ。 これ、先の方が太い。バックルの通し方からして、どうやら超望遠用らしい。使い道が無いのだが・・・・・ いや手許のNewFDサンニッパにだって一応使えはするのだが・・・・・まあ、珍しいような気はする。なかなかシブイ・・・のか?

2001/7/7(土)
久しぶりに、シグマSA−5を連れて出かける。28〜105mmはようやくの出番。 濃いぃ場所や場面はこれと言って無かったので、「!?」と覗き込む人も無し。にしても、そのAFの動作ぶりが、 どうもフラつくというか。こんなに落ち着かなかったっけかなー、と首を傾げる。 プラグラムAEからダイヤルで露出の組み合わせをシフト、というキヤノン流の操作をしたら、 露出表示が来るべき値と違ってたような気も・・・・・やや不安。

2001/7/6(金)
セピアのプリントやり直しを受け取る。日付は消えた。ところが、見ていくと何枚かたーだのモノクロになっている。 インデックスプリントも然り。あのな・・・・・先方はオートメーション化された機械の仕様を説明しだしたが、 そういうことは本質では無い。こんなものはオペレータの問題である。無論、突っ返す。(--#  写真の内容もダラダラしてたし、こんなわけで冷めてもしまったので、プリントは要らん金返せでも良かったかな、 と後で思ったり。いくら焼き直しが無料とはいえ、最初聞いた「純正ラボより早いですヨ」もとうに無効なのだし。 ◆別件でAPSリバーサルのマウントをやってもらえるかと訊ねると、それは無いとのこと。自分で切るしかないらしい。 切るのは構わないのだが、マウントへのデータ印字は惜しいことをした。 で、APS用のマウントが陳列棚にしっかり積まれてる。ちょっと驚いた。

2001/7/5(木)
昨日、APSのセピアってのを出してみて、今日上がりを見る。なるほど、あらゆるものを、懐かしくしてくれるような。 んが、裏のみと指定した筈の日付が表に思いっきり入っていた。あのな・・・・・突っ返す。

2001/7/3(火)
何故か札幌にいて、ついでの用もあったのでヨドバシを覗く。‘95年オープン時のガード下の建物から、今は隣に移っていて、 駐車場を備える。売り場も広くなっている。元あった方はというと、ベスト電器とかいうのになっていた。激戦区・・・か。CMソング、 さすがにオリジナルの1番では具合が悪いのだろうけど、2番(?)で「若者集まる札幌に」と始まる。次が具体的な地名でよく判らづ。 恐らく新作の歌詞が作られているであろう梅田の店がオープンしたら、CDで全集でも造ってくれないものか。創業40周年でもあったと思うが。 ◆シグマのSA−7とSA−9を発見。をををこっちならあるのか。んがしかし、SA−9は電池が入っておらづ。あのな。 ◆さて札幌のヨドバシといえば、ライカのコレクションを収めたフォトミュージアムである。以前(それが横浜にあった頃・・・ 10年になるか)、何かのついでで寄ったシィベルヘグナーで、このコレクションの話は聞いていた。なんでも、 連番で集めたりする大コレクターがいたらしい。その遺産を、散逸させないという条件で、ヨドバシが引き取ったというのである。 「いつ公開してくれるんでしょうね」「さあ、まだそういう話は無いようですね」といった調子でとの時は終わってしまったのだが、 その後ポイントネットワークに登場するようになり、随分経ってから、札幌で公開された。よりによって札幌である。 ◆べつにライカファンというわけではないのだが、気にはなっていたから、ちょっと見てみるかという気はあった。 さてフォトミュージアムはどこかと探すも、これが見当たらない。店内案内にも無い。別の建物なのだろうか?・・・・・ 埒が明かないので、総合案内カウンターで訊いてみる。何も知らない様子で、先輩らしき人が呼ばれ、そしてその所在が判ったのである。 ◆「今度大阪に移転することになりまして」以下略。畳まれたというのだ。今家電売り場になっている一角に、それはあったという。 ナルホド、梅田のアレか。アレならばかーなーりスペースを割けるに違いない。北の果てより反響もあるだろう。しかし、しかしである。 まだWebの掲載情報では、札幌店にあることになっているのである、これが。わざわざこれのために札幌まで来るわけもないが、 こういうことでは困る。梅田へはまあ、近いうち行くことになるのだろうな・・・。 ◆EF75〜300mmISのジャイロの具合が悪いのか、4秒周期くらいで、くっ、と画面が動く。 恐らくその合間はゆーっくりと反対向きにズレているのだろう。ズレて行って、くっ、と戻る、そんな具合のようだ。 しかしレリーズの瞬間に、くっと来られては困る。4秒というと随分間があるような気がするが、 それでも気を散らせるには十分。使い始めて4年になるか。結構振り回したから、そろそろ修理に出しても・・・・・ ふと、100〜400mmが頭をよぎる。おっと(汗)。


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