我が病巣 〜連敗続きの闘病記

一番下へ



2002/12/31(火)
初代F−1を連れて、碓氷峠を歩く。例によって時折手ブレ補正依存症を痛感しつつ(苦笑)、大晦日とあって人気(ひとけ)の無い路を、 しみじみと撮り歩く。玉も控え目、時折交換する手間の、間合いを楽しむ。 ◆帰ってTVで、お馴染みの「アポロは嘘だった」てのが。散々勿体ぶった挙句、最初から判ってたようなネタの解説。稚拙さに呆れ。 「第三の選択」でやってたネタまで絡んできたのは懐かしかったが、お陰で本当に「解明できない疑問」は埋もれてしまった。まったく。 にしても、である。写真というのは事実を丸ごと記録出来るものではないから、結果的に「トリック」を生じることもあれば、その特性を弁えた上で、 意図的にそれを行うこともある。誤解して恥をかくだけなら、面白がるだけならまだ微笑ましくもあるが、誤解が独り歩きしだすと、 聊か厄介になる。時にアジテーターなんぞがそのテを使う・・・くわばらくわばら。かのカール・せーガン博士が(殆ど遺書のような)著書の中で、 科学的な知識や物事を見る目、自ら検証しようとする姿勢について、あまり省みられないことを嘆いていたのを思い起こし・・・・・ 「衆愚レアリスム」とか呼んでみたり。たしかに「引っかかりやすいタイプ」像というのは、あるか。うーむ・・・ふと胸に手を当ててみたりで暮れる、2002年。

2002/12/22(日)
初代F−1を持ち出す。どうも今年初登板らしい・・・。プロスト「かもしれない」赤白ストラップに、早速換える。まあ、その前から、 手持ちの赤白に換えるつもりでは、いたのだけど。でま、ぶらつきながらパチパチと。EOSなんぞ使ってて、こっちに持ち替えた時の、 「写真やってます」な錯覚(苦笑)を楽しむ。 ◆都写美で「くろがねの勇者たち」展。先達の築き上げてきた世界に圧倒され、また「写真史」として捉える妙を知る。 遺産をただ享受するだけ、それもほんの少しで終りそうな身ながら、自分なりの大きさで楽しむが吉か。せめて、 被写体へ向かう時の気分だけは、大事にしたい。 ◆ギャラリートークの終わりに、ペンタの人が見えて、例のロクイチ仕様の67IIを見せてくれた。うーむむ。どうなんかな。

2002/12/14(土)
大阪に来た。ちょっとだけ時間があったところで、八百富へ。シグマ関連など眺めてみるも今回見当たらづ。尤も聊かくたびれモードで荷物もあって、 へろへろ故に散漫ではあったのだけれど。でふと中古ストラップに目が止まる。吊るされてるのを掻き分けるようにすると、 キヤノンの旧赤白・・・両端が紐でバックルが付いて伸縮自在のアレ・・・が2本。家に何本もあるから今更要らないのだったが、 よくよく見れば片方は裏地が茶色い。んんん? 普通は黒いのである。どこぞの攻略本に、先代プロストは赤白に裏地が茶色とあった気がする。 まさか、まさかねえ・・・・・どちらも値段は同じく¥1K、付加価値無しの扱い。ふむ・・・・・しかし茶色いのは初めて見た気が。 珍しいことは確かっぽいので、決定。「EOSのタイプには通せませんのでご注意ください」と。あーやっぱ、間違える人いるんか。 そういやTシリーズ登場から、もう20年近い・・・ふう。

2002/12/8(日)
またぶらりと横浜。値段もそこそこと思ってた「自衛隊仕様」、¥450Kもしてた。見間違えたか・・・・・修正液塗ってあるけど。マウントはFらしい。 T80黄金セットはこれがまだ、ある。いつまでもあると困るんだが・・・。 ◆小物んとこで、コンタG同梱ストラップを発見。8mm幅の。今の12mm幅はどうもしつこい感じがしたので、そのうちあればと思っていたのだが ・・・・・¥900ナリ。カタログにも載っていない品故、元値が判らぬ。少々嫌な予感がしつつも、まあいいかと所望。早速通そうかと、 家でビニール袋より出すと、革風味と見せかけてやっぱりビニール製。ガサツな触感。指定の粗悪バッグを使わされた中学時代を思い出す・・・。 いっそナイロンバンドの方がマシである・・・・・と思いつつも、さて通そうかと・・・・・あ、G1買った時に付いてた輪っかが無い。 12mmのではきついので他のに換えていたのだが、1年あまりを経ていざ戻そうというこの時に、行方不明。また家探しか・・・・・万事がコレだ。

2002/12/1(日)
ぶらりと横浜。「自衛隊仕様」とかなんとか書いてある、ニッコールの600mmだったかの超望遠。オリーブ色。ややソソるものあり。 夏頃には既にあったと思うのだが、値段もそこそこ、まだあるということは、何か難でもあるんだろか。そういやマウント未確認。 T80とACレンズ3本、244Tまで付いたフルセットが、たしか¥28K也。なんと。50mmが希少らしいのだが、 この1本だけでそれくらい厭わぬ向きも、あるやも知れぬ。T80か・・・・・ちょっと前なら危なかったトコロ。今日は大丈夫。 ◆新宿で、シグマのストロボとやらを見る。「珍品」だそうである。¥3Kだそうである。ふむ。Sa−200とか言うらしいが、 かのSa−1用かとも思うも、ホットシューの接点が1つきり、汎用らしい。例のズームスーパー70のホットシューの接点はどうだっけかな・・・・・まあ、 汎用ならナショナルのがあるし、買ったところで1度も使うことなく終わりそうなので、見送り。気が変わった時にまだあったら、買えば良い。


2002/11/21(木)
発売の「レイルマガジン」誌を開くと、ペンタ67IIの限定モデル計画が進行中らしく。オノレは「ラピタ」か。・・・というのはさておき、 ナルホド鉄御用達のバケペン、ならではか。ロクイチ(EF58 61とゆー御召列車仕様の電気機関車である)のイメージというそれは、 誌面の試作機の写真では聊か調子が伝わりにくいも、茶色というかマルーンというか、独特のあの色を基調に、ロクイチの気品を譲った仕上げとするらしい。 ここはセンスが問われるナ。ふと「645 Japan」を思い起こす。あれはなにげに、渋かった。ハッセルあたりにルーツのありそうなフォルムを纏った、 あのプラ製のボディに、ふと日本伝統のラインを見たようにさえ、思えた・・・。67IIも仕上り如何によっては・・・・・そういや300mmだけは持ってるケド ・・・・・って、オイソレと手の出るシロモノでもないのが、むしろ幸い(苦笑)。645さえ殆ど出番の無い昨今、勿体無い。 LXは叶わぬが、MZ−3あたりだったら、ちと危なかったカモ。

2002/11/20(水)
そういえば雑誌の発売日だなとどれだか手に取れば、何やら勝手な名機談義。言ってることがどうも「だから何サ」的にリアリティに乏しく、 あー、いいオッサンが寄り集まってまだこんなコトやってんのかい、と思えば、そうだこれ高校生向だったなと(苦笑)。 こんなものでも貪り読んだ頃があったのか、と今は昔・・・ふう。あの頃以来、雑誌そのものを殆ど買ってないが。それでもNewF−1の話など見ると、 「ブースター」という言葉が目に入った。初代F−1の露出計のことではあるまい。ニッカドも単三も持ってて云々とある。はて??  外部電源にそおゆうモノがあったろうか? まさか、まさかモードラのことじゃあるまいな・・・・・閉じるなり放り投げそうになる。 読み返すのも鬱陶しく、本当は何を指していたのかは知らぬ。 ◆中野、新宿と。Kiss5がもうあるか。でテフノン玉はいつものことながら、EOS−1の標準マットなど。買った時に入っていたのは方眼マット。 これはこれで良かったのだけど、時々真ん中のカギカッコが欲しくなることがあるので。しかしEOS−1のモデルチェンジとともに、 こいつの仕様も変わってしまって、初代のはまだ在庫があるのかと・・・・・まあ、中古で出回るのは標準マットが多いから、気楽に構えてた。 気楽過ぎて、ままチェックを忘れる程だったのだが・・・・・新宿で発見、¥600ナリ。 ◆早速交換。ふむふむ。そうだこの間EOS630用に買ったのもあったナ、とこちらも交換して、覗くと妙にスースーする・・・・・ あれっ? あ、そーか標準のニューレーザーマットだからか。今まではレーザーマットの方眼。ニューのことなど忘れていたのである。 少々考えて、結局元の方眼に戻す・・・。そういやEOS−3はニューのまま。どっちでも良いか。

2002/11/9(土)
少々迷ったがEOS−3にせずEOS−1で出かける。ドラ無し。バリバリにどうこうするようなつもりも無かったので。 本当はFDにしたいところなのだけれど、実はEF100〜400mmISも使いたかったという事情もあり。 玉は普段のEF28〜135mmISとせず、これまたEF28〜70mm/f3.5〜4.5II。テレ側は半分しかないけれど、 気分はこっち。コロコロとまとまって、歩くと腰の辺りで、軽くポンポン跳ねている。こちらの気持ちも弾んでくるよう。 ついこの間まで、この組み合わせだったハズなれど、新鮮。 ◆EOS−1の、引き締まった立て付けの良さが、また良い。EOS−3では、こうはいかないのだな・・・・・ そうそうそのEOS−3の癖があって、どうもオーバー目に補正しないと落ち着かづ・・・・・先日など結局補正過多傾向(苦笑)、 EOS−1ではそれ自身僅かにオーバー傾向があるようだから、うっかりすればえらいことになる。EOS−3は要調整だろか。 ◆レモン社覗く。NewFD35〜70mm/f4AF。CAFSのアレである。以前見た水準より聊か安い。 これは危ない物品・・・・・と、これを見送り。発作を起こす程体力も無い昨今(苦笑)。

2002/11/5(火)
プロXでキヤノンのNPコピー機の話。偶然にも割かし最近「キヤノン特許部隊」(丸島儀一/光文社新書)なる本を読んでいたり。 丸島氏の「不本意な配属」に始まり、やがてゼロックスとの対決、ハネウェルとの駆引き等々、興味津々。 巷間に聞かれるような、勝ったの負けたの独り占めだの巻き上げられただのといった調子の話が、今更ながら貧相に思える。 ◆さて番組はこの本の最初の方をなぞる様に進み・・・・・スタッフがこの本を見つけて企画が立ち上がったんかなという邪推はさておき(ぉ、 でもいー加減ネタに窮している風だしそこへこれだとなったのかなと尚も邪推しつつ・・・・・丸島氏本人も登場したりで、 ゼロックス方式との差異は、やはり映像の方が解り易いか。一方で背景や結構興味深い話が端折ってあったりするから、 あの本と併せて1本、といったところか。 ◆それはそうと、ライカもどきをやってた頃の生産ラインの映像がちらと流れ、うーむむむと見入る。再放送録画しておこかな・・・。 そしてどうやら、失敗作を含めて過去の製品が展示されている場所があるような雰囲気。ガス橋の袂の、お馴染みの本社が映り、 あの中だろかと思ったり。あの大きな建物なら、それくらい設けられそうだけれど・・・・・気になる。 ついでに、番組の最後に1号機でコピー取ってみましょうとかいいながら、何も出力を見せなかったけれど・・・?

2002/11/4(月)
ドラ付EOS−3にEF100〜400mmISで撮ってると、ISがカクカクしだした。接触不良かとマウントをグリグリやるも、変わらづ。 もしやとバッテリーチェックすると、空(汗)。あのさ、さっきバリ3だったじゃん。この頃冷えてきたとはいえ・・・・・ しばらく懐で温めると、またもやバリ3。極端だなおい。なーんかおかしいね、こいつ。家で電池を換え、 丁度フィルムが終わったところなので空撮りで比べると、これがシャキーンと、音がでんでん違う。やっぱり弱ってたんじゃん。 そのくせバリ3と痩せ我慢。こりゃまるで、早めに先生に言いなさいと言うのに、限界まで我慢してお漏らしする子供(呆)。 この個体、やっぱりハズレではないのか・・・・・疑念は増すばかり。

2002/11/3(日)
EOS3の露出計のアンダー傾向は有名らしいと知ったのは買った後のことだけれど、いつしか殆ど+2/3デフォルト。うーむ。 入間基地でパチパチしつつ、ふと気付くと+2以上になってたり。大丈夫かね。調整してもらおうか・・・。 一方、多少ラフでもスキャナで採ってあーしてこーしてと、修正主義(ぉ に傾きつつある昨今、ネガでも良いじゃんとか思い始め。 リバーサルでビシっとキメる快感も、失敗の山にすっかり埋没なこの頃。

2002/11/1(金)
博多にヨドバシがオープン。またまたタイトル返上となる。昨年の梅田の時には1ヶ月で奪還した(馬鹿)が、今度ばかりはどうだろう。 なかなか行く用事も無い。けれど用事を作れないことも無い。(ぉ 情報を見ると、まあ売り場はどこへ行っても同じだから殆ど興味無いのだが、 新登場のSOKのロボットなんか、ふと、つくば万博なんぞ思い起こしたり・・・・・昔話はやめとくか(苦笑)。 どうやってアイツを困らせてやろうか、といった思考回路は、‘85年当時から変わっちゃいないな・・・。 ◆で、懸案事項。札幌店から忽然と消えていたカメラ博物館。昨年の夏、札幌の店員嬢は梅田に移転と言っていたけれど、 冬に行ってみたらありゃしねえ。それなら博多カナいう淡い期待も、やはり無理だった様子。次は秋葉原らしいが、どうかな・・・・・ ここで出来なかったら、新規開店での設置はもう無さげ。


2002/10/31(木)
久しぶりに中野へ回る。EOSの品揃えがスカスカ。また何か出てくるのだろうかと勘繰ってみる。どうしようかと頭の隅にある2Xエクステンダーは、 まだ旧製品の在庫がある模様。意外と出ないようで・・・・・光学設計変わったんだっけかな。しばらくウロウロするも、これといったものに当たらづ。 「MANUAL 45」なんての目撃・・・ふむ。今のところテフノンのサンゴーナナマルくらいしか、蝕雷しそうな物品も無いし。 EOS−1Dsのカタログ・・・といっても2つ折りのだけど・・・があったので頂く。ベクティスS−1のデジカメ版の、DAMAGE DiMAGE何某のレンズ何本かとセットでのカタログなんてのも。あれ、まだあったんか・・・? ◆新宿。きむらを覗くと、あのシグマニア的レア・アイテム、ピントチェッカーは売れた様子。ここもやる気無しに一周して、 さくらやで模型なんぞ見て西口。マップを降りてきて、「クラシックカメラ専科」の最新号であろうか・・・・・「F−1とF2の時代」特集、 輝ける‘70年代バリバリ・・・・・卑怯である(笑)。ちうか、ライカだのクラカメだのより、こっちの人間なので。プラ化が進む前、金属外皮に、 電気仕掛けが入り込みつつあった時代・・・・・カメラ、ことに135一眼レフの進化の方向が変わるギリギリ前の、1台1台が大切にされた時代。 ◆レジに出し「¥2550になります」と言われ、我に返る。そんなにしたんだっけかこれ。ままよと支払う・・・・・にしても、 読みたい特集ページが全体の半分も無いんだが、どうしたものだろう・・・。特集の後ろに、ちょろっとシーガルDF5000とやらの紹介記事。 うーむあのイチビったヤツな。ルイジ・コラーニの手になるエクステリアが売りらしいが、その実X−300コンパチ機の上から服を着せたに過ぎぬ。 個人的にはそういうもので「デザイン」云々には、聊か抵抗がある・・・・・ただ飾っておく代物でないのなら。T90と並べられるのも、 心外・・・・・いやT90自体、完成までに実質コラーニの手を離れてしまっているような気が、するのだけれど。 ◆ときに、シグマのSD9って、発売になった・・・・・ハズなのだが現物を見ない。早速どこぞのオークションで出てるようだけど・・・なんだそら。

2002/10/19(土)
コンタG1を持ち出す。5ヶ月ぶりか。一眼レフ+ズームという組み合わせが続いているから、この軽快感が心地良いのだけれど、 一方でお頭がズーム仕様になっていて、目移りしてひょいひょい換えたくなるもどかしさも一方で、ある。ついでに手ブレ補正無いし(苦笑)。 江戸東京博物館で特別展の展示物を撮ったり(フラッシュ焚かなければOKだった)するも、フィルムはトレビ100cだったりで、 結局同行のIXYデジの方が大活躍・・・。 ◆あ、と思い出したことが。ビオゴン21mmとホロゴン16mm、春前に例の「モニター」セールで手に入れた個体なのである。 たしかモニター報告をしなくてはならず・・・・・それは6月までではなかったか。今は10月。出してない(笑)。 尤も当初より、出さないと不都合が生じるような風でもなく、ただ報告用の粗末なコピー紙が付いてるだけだった。 提出写真は広告に採用される可能性が示唆されていた。律儀に、或いはコンテスト応募するようなノリで、 モニター報告と写真を提出した人もいたであろう。今後それは報われるのか、そこは京セラ自身の知るところ。

2002/10/3(木)
変則的に時間が出来たので、へろへろながらふらりと新宿。乗り物系DVDでもチェックするかなと立ち入ったヨドバシのソフト館(?)、 模様替えしたらしい。アダルトソフト専用フロアが出来てるのには、少々驚き。どれどれ・・・・・じゃなくて、なーんかヨドバシって、 そういうのやらない気がしてたんだけど・・・・・やはり無視出来ない市場なのか。Nゲージだのプラモデルだのは、まだまださくらやには遠く及ばづ。 やるならやってくれ、と。チョロQの絶版になりかけな気がする黄色いダンプを所望。あにやってんだか。 ◆へろへろな上に荷物が重いので覗く店を絞り、お次はマップ。エレベータで4階に立てば、あれれニコンがゴロゴロ。階を間違えたかとキョロキョロ、 たしかに4階。どうやら模様替えらしい。シャワー効果を狙ってのことか? テフノンの70〜210mmが目に止まる。 NewFDによく似た風情で少々グラつくも、ニコンマウントではどうしようもなく。サンゴーナナマル、無いものかな・・・。 降りてキヤノンなぞ物色。そういや「kasyapa」だかの名前はどうしたろ? EF17〜35mmは¥100Kを切れずにいる。中野ではどうだろう。 どうもぼんやりして品物に注意が行かない・・・。 ◆ヨドバシのカメラ館もフラフラ、Kiss5のカタログ貰う。表紙に「愛写一眼」のコピー。どーっかで聞いたような(笑)。 ベストセラー一眼云々と、AE−1に準えたか。後ろを見るなよ後ろを(笑)。ドイの店構え、DPEカウンターと、何故に宝くじ売り(笑)。 今ひとつ、中古を扱ってるように見えづ・・・・・どうもぼんやりして、品物見る気無く。今日は終了、いずれ出直すか。へろへろ。


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