我が病巣 〜連敗続きの闘病記

一番下へ



2003/6/22(日)
早速EOS7を連れ出し。露出の傾向だけでもまず確かめねば・・・・・家で見たところでは、3と比べるとどうも半段前後オーバー傾向。ならばと1と比べれば、 これはほぼ同じ。やっぱ3おかしいよ。まあそんなこともありつつ、ISはピシっと来るしで、ウハウハ。2/3段刻みで段階露光する習慣がついていたので、 久しぶりの1/2段刻み、ちょっと多めに切ってしまい。測距点変更方式はデフォルトのまんまにしているが、ちと勝手がもどかしい。従来方式が良いのかな・・・ そうすると他に何も機能の無い十字キーが、なんか勿体無い気も。ならばと測距点変更ボタンを経ずにダイレクトに十字キーで変えられる方式にすると、 今度は端まで移動した次に逆サイには行かず、止まってしまう。どうも痒い所に届かづ。AFロックとAEロックが分離できないの、ちと辛い。 しかしま、なかなかの密度感。なかなかの使い勝手。ウキウキ。

2003/6/20(金)
書店で「金属カメラオールガイド」とやらのMOOK。一応手に取ってみるも、キヤノンのF−1の後に、Aシリーズがズラズラ続き・・・・・はん?? 表紙を見る。金属カメラ・・・・・なんだよな? さすがにTシリーズは見当たらないが、一方でペンタA3デートなんかがある不思議。 おっとシグマSa−1なんてのも。思いっきしプラプラである。この線引き、恣意的というより、作ってる方もワケ分かんなくなってんじゃなかろか。

2003/6/19(木)
へろへろ。忙しいんである。忙しさを何か形に残したく思うのは人の情というもの(か?)、懸案のサイレントEOSを、片付けちまうか。で八ツ山・・・。 今度はグリップは無いがまた所々剥げた安いEOS7が。前からあった気もしつつ、出してもらお・・・・・んが、 アジアのどこかの国から買い付けに来たらしき人の相手に忙しい様子で、なかなか構ってもらえづ。一頃、目ぼしいクラカメは日本に集まっていると言われていたらしいが、 そろそろ勢いのある他の国々へ移りつつあるんだろか、とかちょっと思ったり。いや依然「MADE IN JAPAN」伝説健在なAF一眼なんかだとまた、 事情が違うんだろうケド・・・・・にしても次から次と指差す様は、「買い漁る」とはこのことかと。自分の楽しみに買うのでないのは、手つきで判る。 ◆そんなことはさておいてEOS7、動作はまずまず。あとは試写だな・・・・・決定。はふ。早速家で色々いじくる・・・・・ぬお、 テレコン付けた時のISの動作が、EOS−3より断然安定しているでわないか! キヤノンのx1.4エクステンダー、3では絞り動作時にやや揺らいだが、 7ではそれが無い。ケンコーのx1.4とx2のテレプラスPROともなると、3ではガタガタでどうにもならなかったが、7ではこれが、 ピタっと張り付くように据わる。1などクラシックEOS対策の、例の裏技を施したままで、使える。スバラシイ! サイレント役だけでは勿体無い。 ちうか、3の立場はどうなる・・・。 ◆うーむむ、7でまた連動系の世代(?)が代わっていたのは判っていたけれど、これは嬉しい限り。しかしどうも、ことにISの動作に関しては、 手元のNewKissでも3と同様な傾向があったのだが、この頃のは何かあったんじゃなかろかと邪推。レンズへの電力供給が不安定なカンジ。 さて一方シグマ玉は・・・・・28mm、24〜70mm、14mm、魚眼・・・・・あーららやっぱり、全滅である。潔い程に全滅である。 AFこそ作動するも、見事なまでに、絞りがピクリとも動かづ。一体どういうプロテクト(ぉ なんだか。EOS7発売当初、 シグマから改造サービスのアナウンスがあったハズだが、さてさて、まだやってくれるんだろうね? Webから消えてるケド。 ◆ベルビア100が発売になってたので、早速購入。待ってたのである。ISO50で頑張った頃もあったが、その感度からどうしても心して使うカンジ、 ここ数年はさっぱりであった。やはり100とは有り難い。蛍光灯なんかでどんな緑になるのか、ちょっと気になる。で、フジクロームキャンペーンのチラシ。 一旦廃止前の内容の記憶と、もう比べる気にもならづ。

2003/6/14(土)
A−1が戻ってくる。構えてみると、つん、と懐かしい匂い。オイルか樹脂系の交換部品だろうけれど、新品の頃嗅いだ気がするそれは、 20年も前になってしまった、この「カメラ」との出会いの頃のときめきを、思い起こさせ。うーむ切ない。 ◆サイレントなEOSに悩むこの3ヶ月ばかり。100か55か7か・・・・・こう並べると、中古相場やら内容やらで、割り切りの100、高機能の7に挟まれて、 55という選択はちょっと半端な気も。黒少ないし。ふらりと八ツ山。グリップ付で¥35Kという超破格の7発見。グリップは特に必要でもなかったが、 フツーの相場より¥10K以上安いのではなかろか。見ると剥げ難いという処理の表面に銀色がちょろちょろ、結構使い込んでる風。これはマズい・・・出してもらい。 ふむふむ・・・・・適当に玉も付けてもらう・・・・・あら? スースーって、AFのピンがでんでん合わづ。店員氏も、駄目ですねえと(笑)。 ストラップ通す耳も曲がってたし、こりゃ使い込んでるだけではないのカモ。危ない所であった・・・・・って財布のことだが(汗)。

2003/6/3(火)
スカーラの名をしょうもない時事ネタにからめたりするも時期を逸しまくりなこの頃。そのスカーラのプライチ増感が上がり。 TC−1に入れてちびちび撮ってたものだったが、今回2本目。どうも全体的にアンダー傾向。これ前回も気になったこと。 まさか間違えてノーマル現像したんじゃないだろな、と俄に猜疑心が頭をもたげるも、連続でこうなると、こういうものなのかなとも。 モノクロというのは個人的感想として、黒つぶれにしてもシャドウ部の闇に、妙に意味が生じるような、そんな存在感がある気がするのだけれど、 かといって好き好んでアンダーかますわけでもなし。封筒の明細を見ると、ちゃーんと増感分も記されており・・・・・ああっ、 こんなに取られてたんかい。ノーマル200で良いか、もう・・・。 ◆もう1本はトレビでテフノン試写の。ふむふむ、なーんかもんやりと軟らかい気がするのは、玉のせいか気のせいか。キレの無いコマは、 どうやら手ブレ。300mmをたしか1/250位で切ってなかったかえ?・・・・・緩やかな手ブレ傾向などと言っていられたのも過去のこと、 IS依存症の進行は最早不可逆な段階かもしれづ(沈)。


2003/5/18(日)
ようやくにして、NewFD35−70mm/f4と、テフノン75−300mmの試写などを。本当はA−1と行きたかったのだが、先の事情によりT90。 久しぶりにNewF−1を連れ出したくもあったのだが、前述の通りこのテフノンと相性が良くないようなので・・・。出かけるついでに、 地元の電車やら羽田でヒコーキやらと寄り道。昨日今日の話ではないのだがすっかり身体はEOSになっており、気安く構えてしまうのはISをアテにしているソレ。 しばらく構えてからブレる理由を知るくらいだから、重症である。露出決定までの思考の流れもT90のそれを意識して「思い出す」ことをしなくてはならない。 当然余計なタイムラグがある。さらにピントが合うのを待つという悲しい習性が染み付いているのを思い知らされ、一方で、 マットの端でもどこでも即座にピンが合わせられるという妙な喜びに、浸ってみたり。駄目だこりゃ。 にしてもT90にNewFD35−70mm/f4の、この佇まい、惚れ惚れ。

2003/5/17(土)
近所の修理屋さんへA−1を連れて行く。OH扱いの見積もりがこれまた結構ずっしりと。中古が軽く買えるに違いない。ヘタすると今時2台買えるのでわ??  んがしかし、だがしかし、もう20年の付き合いになる(汗)この個体、かつては駆け抜ける荷物列車を捉え、親しい人達、或いはベルリンの壁を写し、 そして碓氷峠の記憶を刻んだ。オンリーワン、なのである・・・。交換部品が無いとの宣告を受けて久しい。まずは生還を祈る。 ◆見積もりの間ふと気付くと、ドラ付初代F−1やらEOS100やらのカットモデルが。ボタンを押すとカシャカシャと連写してくれるではないか。 ことにF−1のそれは、様々な機械連動が丸見えでソソるものがあり。いやそれぞれに存在する明確な意味をなす部品達の、使命感に満ちた振る舞いに、 感動すら覚えるのである。はしたなくも、しばらくウハウハとボタンを押し続けてしまった。

2003/5/13(火)
ふらりと中野。ジャンクを漁るとNewFD用フードBW−72が。20〜35mmに付いたハズ。そのうち見付かるだろうと気長に構えていたのだが、 よそじゃもっと高いよなー、という値頃感、即決。尤も出番があるかどうかは・・・。あとEOS−1V用標準マット。EOS−3用に探していたのである。 「CIII」と入っているのをちゃーんと確かめ。 ◆むむ、T90のアイカップ。¥300とな。一頃は貴重品扱いだった物品である・・・・・EOS用と思われたか。T90・・・昭和も遠くなりにけり。 どうしようかと思うも、視度補正仕様、あまり気が進まづ・・・・・手元にもたしか1つあったし。他に色々見ていると、Q−Pic花の万博記念セット(笑)。 うっひゃぁ。¥8Kナリ。箱からして結構綺麗な・・・・・かなりグッと来るも、踏み止まる。フロッピー手に入るんかな。 ◆家で早速20〜35mmにフードを付ける。緩みが来てるでもなく、よしよし。EOS−3のマットを換えてみる。おっとCF0も変えておかないと ・・・・・とりあえず、前よりピンの山が掴みやすくなったような、気も。まあ気分は大事である。

2003/5/2(金)
転がりだすと続くもので、何故かシグマ17〜35mm/f2.8〜4が手元に・・・・・EFのL玉持ってて何をまた、と健康な人間ならば思うところである。 ところであるがしかしこれがまた、SAマウントだったりするからどうしようもない・・・あー(沈)。早速SA−7に着けてみる。やっぱでかい・・・。 手にしてから気付いたことに(ぉ、これHSM。をを初めてだ。そういえばクククと僅かに音がする程度で、これが静か。EFのUSMの、スースーと行く方じゃなくて、 フルタイムMF出来ない方のソレに近い。そういやこれもフルタイムMF出来ないんだったかな・・・・・と調べりゃいいものをぐりっと回してみる・・・・・ やっぱヤバーい感触(をゐ)。


2003/4/30(水)
SA−7を連れ出す。どこかで見たようなの集合体のようなこのカメラ、EOSの美学とは違いながらも、意外と結構操作がし易かったり。 高級感とは縁遠いながらも、EOSなんかにありがちな、上のクラスに遠慮した卑屈さが無く、のびのびとしてて良い。その点ではMZ−3あたりもそうだけれど、 ああいう生真面目でもない。しかしなーんで堂々とミラーアップがあるかな(笑)。機能的にはシャッターダイヤルと指先クリクリダイヤルとの共存も、 まあそんなもんだと思えばそんなもので、あとはクリクリダイヤルのクリック感がもうちょいか。クリック感といえば、メインスイッチダイヤルのそれが、何故か上品。 ◆一方で、どうもファインダーが見辛く。そもそもSA−5よりAFが弱々な気がするのだけれど、これは個体差か?・・・・・はともかく、 ピンが合ってるのかどうかを見ようにも、どうにも怪しい。光軸の関係かと目の位置を変えてみても、どうも甘い。 ファインダー光学系のトホホさ加減はSAシリーズの伝統かとも思うところだが、縦位置で覗くと途端にシャッキリ来て驚く。その差が尋常じゃない。 ここの所2線ボケ傾向がさらに進んでいる気がする乱視の身、もしやこのファインダー光学系には乱視用眼鏡のような癖があって、 それで縦位置と横位置で合う合わないが出てくるんだろか・・・? 難儀だな。

2003/4/26(土)
A−1の空シャッターを切ってたら、「クシュン」・・・ああぁ。

2003/4/24(木)
八ツ山。ああ、まだあるよ・・・・・回収(沈)。なんかまた病気らしくなってきたな・・・・・状態はほぼ新同ながら付属品が何も無く、 新品買ってポイント付きまくったらと思うと、差額的に少々ビミョーな気も。ともあれとうとう、SA−7。折角小さくなったのだから、元より9より7。 あらためてしかし、小さいねこれ。グリップとエプロンの間が、ちと窮屈だけど、手元のSA−300や5と比べて、きゅっ、とした密度感。 EOS−3やらに馴染んでしまった手には、尚のこと。外寸的にNewKissといい勝負ながら、カクカクとしたフォルムに両肩のダイヤル、 このあたりでよりタイトな風情。MZ−3/5に近いか・・・・・って発売当時思ったっけか。しかしこの、きゅっ、きゅっ、と掌の中に納まる感じがなんだか愉し。 いいねいいね。いよいよ28〜200mmか・・・・・などととりあえず考えないようにしつつ、手元の28〜105mm/f2.8〜4を着けてみる。 ふぅーむ、玉が少々大きくなっても、ボディの小ささ分でか意外と嵩張る感じがせづ。当面はこれ使うか。ストラップはストックの中から「SIGMA」入りにしようか、 ペンタのデニムにしようかと少々迷いつつ、あのタムラックの人が沢山描いてある細身のを。軽快。しかし、試写も済んでないままに機材が増えてるんだが・・・。 それと思いっきりダブった28〜80mm、どうしたもんかいな・・・。

2003/4/19(土)
ふらりと八ツ山。特に目当てがあったわけではないが、触れる陳列棚にSA−7が。¥18Kナリ。かなりぐらつく・・・・・ んが付いてる玉が28〜80mm、これ持ってんだよな・・・。28〜70mm/f2.8〜4であったら・・・・・しかしどうも未練、 また行ってあったら、ちと危ない。 ◆ジャンクの箱を漁ってたら、NewFD35〜70mm/f4、¥4Kナリ。ガラスケースの中に鎮座しているのも、¥4Kナリ。 またしても謎をかけられる・・・。また漁ると、今度は¥2.5Kのが出てきた。少し縁が剥げたりしているものの、目立った傷みは無い様子。 FD特有の仕掛けから、ちょいといじってどうにか絞りが動くようにして、シャキシャキとチェック。覗くとキラキラと見えるは、 埃か気泡かクモリの兆候か・・・・・クモリならそれで、進行するまで見届けてやろうか。 ◆NewFD35〜70mm/f4。f2.8〜3.5のように半ば伝説化された誉れに与るでも無く、 後に続くよりコンパクトなf3.5〜4.5との間に挟まって、後の世から見ると少々地味な存在かもしれず、中古の世界でもあまり省みられていない様子。 しかし‘80年代初頭、AE−1Pなどとともに、この玉は多くの人を一眼レフの世界へと、誘(いざな)った。そういう意味では、名玉かも知れぬ。 そういや修学旅行だかを機に、AE−1Pとこの玉とを手に入れた同級生がいたな。 ◆家で奇麗にしてやる。カブセ式のキャップは、ストックの中にあった。カメラに着けてみると、これが収まりが良い。 28〜50mm/f3.5はシブいながらこれよりちと大きかったし、28〜85mm/f4となるとさらに「やる気モード」な感じが、ちとアレな。 それにFD末期のトホホな仕上げ・・・。その点、普及玉とはいえNewFDの最も良き時代の作である35〜70mm/f4の、この身嗜みの良さよ。 そして控え目なスペックによる程々な大きさ・・・・・蒸機で言うならライトパシフィックのような端正な佇まいには、楚楚とした趣さえある(やや誇張)。 そのシブさに、70〜150mm/f4.5、或いは100〜200mm/f5.6と地味ぃ〜なトコロで揃えてみたい誘惑さえ・・・おっと。

2003/4/4(金)
ふらりと八ツ山。隣の小さな公園では、地元の商店会か何かの花見会が催されていてなかなかの賑わっているのを横目に、店内へ。 この間のEF22〜55mmのことを思い出すも、さすがにまだあるわけもなく。少々くたびれたEOS55に目が行く。 なるほど銀ボディでも角で表面処理が剥げてくると、こうか。ふむふむ。チタン外皮と同様らしい。そこいらへんが銀梨と違うような。 奥の手に取れる棚ではEOS1000S。電池が入っていたので、例のメロディを聴いてみる・・・・・うーむ、音の出る電報なんかより、 ちゃっち過ぎないかえ? もうちょっと可愛げのある音色であったなら。 ◆ジャンクの箱の中で、テフノン75〜300mm/f5.6が。‘80年代の作であろうか。FDマウントというのが悩ましい。 覗くと多少黄色っぽい気もするものの、絞りの粘りも無く、状態は悪くない。高いか安いか¥3Kナリ。ふう。 やけに艶々しているものの、いくらかFDっぽい風情を持つそれは、ボリュウム的には、NewFD70〜210mm/f4と、 同100〜300mm/f5.6の間くらいであろうか。後者は手元に無いので、この玉を使えばまあ、コンパクトに300mmに届く。 トキナーのf4の玉は、聊か嵩張る・・・・・尤もコンパクトで行くなら、EF75〜300mmISがあるわけだけれど。 ◆家で早速ボディに合わせてみる。NewF−1・・・・・見た目的に、なんか駄目くさい(笑)。空シャッターを切ってみると、 ブラックアウトのままになって焦る。どうやら自慢の大きなミラーが、どこかで当たるらしい。締め付けリングを少し戻すと、カタ、と直った。うーむ・・・。 初代F−1はそういうこともなく、見た目的にも、世代の匂いみたいなもので通じる感じ。そうなると、やっぱA−1かな。 T90とでもなんとなく、そういうもの、という感じが無くも無い。ふむふむ。で、使うのはいつなんだよ・・・。

2003/4/3(木)
川崎のヨドバシが模様替え。方角が分からなくなる。一眼レフはフィルムコーナーの裏の、狭い場所へ押しやられてしまった。思えばここの開店当時は、 まだまだカメラが数ある商品の中で、原点としての威厳を保っていた気がする。新宿の本店では銀塩カメラが締め出されてしまったし、なかなか厳しい。 そもそも客層が違うのであろう、広いフロアのほぼ逆サイに、デジカメのコーナー。互いの売り場は、全く接していない。


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