加藤彰彦が入院した夜、校庭で
津村沙世子と一緒にいたところを見た人がいたようで、学校は、今度はその噂で持ちきりです。
関根秋は、死んだ
津村沙世子のことを調べるために、
昭和六十三年度の卒業アルバムを探します。しかし、図書室にあるはずのものは、誰かが借りているようで見ることはできませんでした。昭和六十三年度の卒業アルバムだけ、学校内には一冊も残っていないようなのです。調査する手段が絶たれたかのように思えましたが、秋と
潮田玲は2−A担任の
黒川先生から、死んだ津村沙世子について話を聞くことができました。
- 昭和六十三年にこの土地に引っ越してきた、転校生であること
- 文化祭の日に、一家三人が車で学校に向かう途中、交通事故にあって死んだこと
- 彼女の家は社宅で、古くなって取り壊された後、そこにマンションが建ったこと
- 彼女の家を覚えている者はここには誰もいないこと
……
現在の転校生・津村沙世子については、秋が神戸の友人を通じて調べていました。その結果、「二人の津村沙世子には何の接点もなく、血縁や親戚でもない。生まれ変わりだとか、ましてや、
亡霊ではない」ということを、玲に告げます。
津村沙世子が校庭の
碑の名前と同姓同名であるということは、なぜかもう既に全校に知れ渡っていました。そして、沙世子に関する噂はエスカレートしていました。「生まれ変わり」、「亡霊」、「加藤は呪いをかけられて入院した」などなど…。それらの噂のせいで、学校で沙世子に近寄る人は誰もいません。そんな沙世子の姿に胸を痛めた玲は、二人で
六番目のサヨコを争うのはやめようと思うのでした。そして、バスケットボールの試合で沙世子と心が少し通じ合ったと感じた玲は、「二人で一緒に六番目のサヨコをやろう」ともちかけるのでした。
しかし、死んだ津村沙世子について、西浜中OBの人から新たな情報を得た秋は反対します。死んだ津村沙世子は
二番目のサヨコで、その年にいたもう一人のサヨコとの激しいサヨコの奪い合いの末、交通事故が起こったというのです。秋は、サヨコが二人いることの危険性を諭そうとします。しかし、「
サヨコ伝説が本当に危険なのか確かめたい。それで、本当に秋に危険が及んでしまったときは、私が必ず秋を守る」とまで言われて、それ以上何も言えなくなるのでした。