六番目の小夜子たちの物語
最終回『そして扉が開く』のあらすじです。ネタバレしています。
@2000.6.24th
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「中にいる!」
 北校舎の中に入ろうとする花宮雅子を、黒川潮田玲は必死で止めます。しかし、黒川が消防車を呼びに行った間、玲がちょっと目を離した隙に、雅子は北校舎に入って行ってしまいます。丁度駆けつけた関根秋とともに、雅子と唐沢由紀夫を救出しに行く玲。
 依然、サヨコの救出に執着する雅子を、玲は「サヨコなんていないんだ」と言って北校舎から連れ出そうとします。
「サヨコが“助けて”って泣いている。 たった一人で、誰にも気づいてもらえなくて。 だって私がそうだもの。
結局、後を追ってきた黒川に、無理矢理北校舎から引きずり出される雅子。しかし、雅子の言葉が胸に引っかかった玲は、戸棚まで引き返してしまいます。玲がついてきていないことに気づく秋ですが、由紀夫を放っておくことができず、玲を追うことができません。そんな中、北校舎へ飛び込んでいったのは津村沙世子でした。
 玲は戸棚からサヨコに関するものを無理矢理取り出そうとして、倒れてきた戸棚の下敷きになってしまいます。六番目のサヨコを二人でやった罰が当たったんだと気弱になる玲。そこへ沙世子が辿り着きます。すっかり諦めようとしている玲を、沙世子は叱咤激励します。
二人だから助かる。二人で力を合わせて」
沙世子に助けられて戸棚の下から脱出できた玲は、「六番目の小夜子」の台本を連れて、沙世子とともに北校舎から出ようとします。しかし、進むことも引くこともできないほど、既に炎に取り囲まれていました。その時、二人の目に女子生徒の後ろ姿が映りました。その少女が進んでいくと、そこから炎は消え、道ができました。玲と沙世子は少女に導かれるように、無事、北校舎から出ることができたのです。
 玲と沙世子の無事を喜ぶ面々。しかし、雅子だけは救出された“サヨコ”を喜ぶのでした。そんな雅子の姿に憤りを露わにする沙世子。雅子は台本を抱きしめながら「これは“私”だもの」と言って泣き崩れてしまいます。
「潮田さんが助けたのは“サヨコ”じゃない。あなたよ。」
沙世子は、雅子の“思い”が玲に伝わっていたことを教えるのでした。
 軽度の一酸化炭素中毒症で玲は入院することになります。雅子は玲を見舞い、今までの釈明をして玲に謝ります。こうして、二人の間のわだかまりは消えるのでした。
 玲も退院し、はじめて、沙世子と一緒に、本当の意味での楽しい学校生活が始まりました。その日々は、ずっとずっと続くと思われたのですが…。二学期の終業式の日、転校を決めた沙世子が、今日、この地を去るということを玲は知ります。玲は学校を飛び出し、駅に向かう途中の沙世子に追いつきます。
 黙って姿を消そうとしたことを責める玲に、「私なんかいてもいなくても、何も変わらない」と言う沙世子。しかし、玲は二人でやった“六番目のサヨコ”の思い出を数え上げ、「絶対に忘れない」と言うのでした。玲と沙世子は初めて名前で呼び合い、心が通い合っていることを確認します。そうして、旅立っていく沙世子を玲は見送るのでした。

私たちは、みんな、前よりちょっとだけ自分のことが見えるようになった。
ひょっとしたら、それが“”だったのかもしれない。
津村さんという不思議な転校生と一緒に、私たちが開いた“大人への扉”


みなさんの学校にも不思議な言い伝えはありませんか?
そして、“”を持った不思議な転校生がやってきませんでしたか?
その子と一緒に“扉”を開けるのは、あなたの番かもしれません。
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 ここからは、最終回について、まるあの批判が始まります。
 ものすごーーーーーーーーく、最終回に感動していて、その感動を壊されたくない方はご注意ください。(そんなにすごいことを書くつもりはないのですけど、念のため)








 さて、最終回ですが。
どうしても、“時間不足”という感が否めません。最終回にケリをつけなければならないことが、残されすぎていました。その為、あれもこれもと盛り込まれ、慌ただしいような、バタバタしたような、そんな感じがしました。
このドラマで、描かなければならなくなってしまったこと(=サヨコ伝説etc.の謎を解決すること)と、描きたいと思っていること(=秋の心の成長・玲と沙世子の友情etc.)がバラバラなのです。
前回までは、主人公達の内面について、わりと時間をとって丁寧に描かれていただけに、ちょっと残念に思いました。ただ、それって逆に言うと、“サヨコ伝説”が単なるドラマのスパイスだったということなのですよね。だったらそのまま、“謎”についてはうっちゃってしまってもよかったのではないでしょうか。まあ、結構うっちゃられている謎があるので、そのつもりだったのかもしれません。
学校という箱の中の“個”とサヨコ伝説をきちんと解決するつもりだったのなら、サヨコ伝説の解決が
  • 犯人役(=まー)の独白
  • 探偵役(=秋)の関係者一同への事後説明
によって行われてしまったというのがどうも…。
このストーリーの中で、サヨコ伝説に関わったことで最も精神的に成長したのが、まー(と加藤もかな?)でしょう。そのまーのサヨコにとらわれていた心の浄化が、どのようになされたのか、ほとんど描かれていない。
これはやはり主役じゃなかったからでしょうか。まーちゃんと沙世子との和解。それから、まーちゃんの由紀夫くんへのフォローなど。あそこまで、まーちゃんをヘビィな状況に追い込んじゃったんだから、きちんと描いて欲しかったなーと思うのです。

秋くんの成長は、幼なじみとの精神的分離、父親との再会・和解がもたらしたもの。沙世子の成長は、他人との本気の関わり合いですね。玲と沙世子の友情も、バスケが育んでます。(玲と沙世子にとって、サヨコ伝説は“わくわくする冒険”にすぎませんから。サヨコのおかげで友達 なんて言うと、加藤くんに「そんなことにサヨコを使うな」って怒られますよ←大嘘!)
なので、それらを描くとき、何でサヨコ伝説がこのドラマの中に存在するのかが不明瞭になってしまうのですよね。それで、余計に、最終回でつじつまあわせたみたいな感じがしたのかもしれません。

最後には、“遠く離れていても友達”(第9回で玲のお母さんがいってましたね)ということになる、玲と沙世子。二人は別れる必要があったのでしょうか?別れのシーンでなくては、友情を感動的に表現できないのでしょうか? 
“別離”というのは二度と返らない幼き日々の象徴ともいえますから、それもまあ、いいでしょう。でも、別離があるなら、沙世子が2−Aのクラスメイト達と馴染んでいる様子をもっと見せて欲しかったと思います。
実際、すごーく感動的な玲と沙世子のシーンの後、最後にアレでは…(ちょっぴり感動が薄れちゃいました)。最後のアレのために、沙世子が転校させられたような感じがしてしまいます。
あの最後の部分は、結局、このドラマをホラーにしたかったということなのでしょうか…。
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