さて、最終回ですが。
どうしても、“時間不足”という感が否めません。最終回にケリをつけなければならないことが、残されすぎていました。その為、あれもこれもと盛り込まれ、慌ただしいような、バタバタしたような、そんな感じがしました。
このドラマで、描かなければならなくなってしまったこと(=サヨコ伝説etc.の謎を解決すること)と、描きたいと思っていること(=秋の心の成長・玲と沙世子の友情etc.)がバラバラなのです。
前回までは、主人公達の内面について、わりと時間をとって丁寧に描かれていただけに、ちょっと残念に思いました。ただ、それって逆に言うと、“サヨコ伝説”が単なるドラマのスパイスだったということなのですよね。だったらそのまま、“謎”についてはうっちゃってしまってもよかったのではないでしょうか。まあ、結構うっちゃられている謎があるので、そのつもりだったのかもしれません。
学校という箱の中の“個”とサヨコ伝説をきちんと解決するつもりだったのなら、サヨコ伝説の解決が
- 犯人役(=まー)の独白
- 探偵役(=秋)の関係者一同への事後説明
によって行われてしまったというのがどうも…。
このストーリーの中で、サヨコ伝説に関わったことで最も精神的に成長したのが、まー(と加藤もかな?)でしょう。そのまーのサヨコにとらわれていた心の浄化が、どのようになされたのか、ほとんど描かれていない。
これはやはり主役じゃなかったからでしょうか。まーちゃんと沙世子との和解。それから、まーちゃんの由紀夫くんへのフォローなど。あそこまで、まーちゃんをヘビィな状況に追い込んじゃったんだから、きちんと描いて欲しかったなーと思うのです。
秋くんの成長は、幼なじみとの精神的分離、父親との再会・和解がもたらしたもの。沙世子の成長は、他人との本気の関わり合いですね。玲と沙世子の友情も、バスケが育んでます。(玲と沙世子にとって、サヨコ伝説は“わくわくする冒険”にすぎませんから。サヨコのおかげで友達 なんて言うと、加藤くんに「そんなことにサヨコを使うな」って怒られますよ←大嘘!)
なので、それらを描くとき、何でサヨコ伝説がこのドラマの中に存在するのかが不明瞭になってしまうのですよね。それで、余計に、最終回でつじつまあわせたみたいな感じがしたのかもしれません。
最後には、“遠く離れていても友達”(第9回で玲のお母さんがいってましたね)ということになる、玲と沙世子。二人は別れる必要があったのでしょうか?別れのシーンでなくては、友情を感動的に表現できないのでしょうか?
“別離”というのは二度と返らない幼き日々の象徴ともいえますから、それもまあ、いいでしょう。でも、別離があるなら、沙世子が2−Aのクラスメイト達と馴染んでいる様子をもっと見せて欲しかったと思います。
実際、すごーく感動的な玲と沙世子のシーンの後、最後にアレでは…(ちょっぴり感動が薄れちゃいました)。最後のアレのために、沙世子が転校させられたような感じがしてしまいます。
あの最後の部分は、結局、このドラマをホラーにしたかったということなのでしょうか…。