我が病巣 〜カメラな日々

一番下へ



2007/3/31(土)
近所の修理屋さんにF−1を連れて行って、診てもらう。たしかギャラリーだったような、 という隣の部屋に佇むケータハム・スーパーセブンに唸りつつ待つこと暫し、開けてみなければ詳しくは判らないながら、 OHからおよそ1年ということもあって色々配慮いただき、有難や。

2007/3/15(木)
パノラマのDPE上がり。またまたくるくるロールながら今度は、シートがついてきた。ぶーたれたのが聞こえたのかな・・・・・まあ、 カットされたりロールだったり、カットもその切り方が違ったりと、ラボで当たる作業者次第、てとこか。

2007/3/10(土)
碓氷へ出かける。晴れると聞いていたから出てきたというに、終始どんよりと暗く、TC−1に詰め込んだ折角のフォルティアSPも、 KissデジNに100〜400mmでテレコンかましてどーん、という目論見も空振りくさい。それでも後者については、 データ収集を兼ねて無理矢理試みてみたが、どうもまたこの、ISが不安定であるらしい。バッテリーはフル充電でダブルにしてたのだが、 テレコンかますと流石に厳しいか・・・・・レリーズの刹那、フッと横へ振れているようなのである。APS−Cサイズのトリミングも活かして、 折角どーんとかましてやろうと思ったのに・・・・・せめて晴れてれば、もう少しシャッター速も稼げたのだが。 ◆帰りに郷土本漁りがてらふらりと前橋まで足を伸ばす。日暮れと共にそのまま街ごと暗くなってしまうのに聊か面食らいつつ、 とりあえず何年ぶりかで前橋中央駅に立ち寄り、乗務員バッジやら上毛グッズに蝕雷。そういえば前に来た時あったハズ、 と駅舎の背後へ回り込めば、果たして中古カメラ店あり。変わらずゴロゴロと犇く品物。そろそろ閉めるところらしかったが、 ちょっとだけ覗かせてもらう。探し物は、と店の人。うーむ強いて言えば・・・・・「FDのテフノンとかありますぅ?」。をゐ。 いやマジでそれは見付け次第回収なのだが(馬鹿)、これがまたこちらの意を汲みまくってというか、ごそごそと棚を探ること暫し、 振り返るやオーサワやらマキノンやらだったかを、ビシビシ撃ち込んで来た。舳先のすぐで水柱が上がる。飛沫を被りながら踏ん張っていると、 「えーと他にヘンテコなのあったかなあ」などと豊富な残弾をゴソゴソやってる・・・・・しかしヘンテコって(笑)・・・・・ 結局命中弾を喰らうには至らなかったが、うーむむむ、今度はゆっくり、覗いてみたい。

2007/3/8(木)
気になってF−1をまた覗いてみる。暫く弄るとファインダー内のシャッター表示、ちゃーんと全速付いてくるようになった。 やれやれ暫く様子見かなと安堵していると、いつの間にか「2000」のまま動かなくなっており。え?? こりゃ出さにゃならんかな・・・・・ この表示が無くてもカメラとして機能はするのだが、それは最後の最後にしておきたい。

2007/3/3(土)
連れ出す気分のカメラは・・・とF−1を手に取る。バッテリーは大丈夫か、とチェックしつつ空シャッター切ったりして、 ガバナーの音が聞きたいなとスローへ回す・・・・・あれっ? ファインダー内のシャッター速表示、 「30」と「15」の間で止まってる。ぐるぐるとBまで回す。変わらづ。シャッター速そのものはダイヤルのままに切れる様子なのだが、 っかしーなー、っかしーなー、と繰り返すうち、ファインダー内の表示も「2」くらいまで回っていた。 直結じゃなくてなんかそういうテンションかかったような連動で、それでちょっとした加減で引っ掛かったんだろか、しかし結露といった状況でもないし、 なんだろな・・・・・もう少し、シャッターダイヤルをぐりぐり回してみたが、ファインダー内の表示はやっぱり、スロー域の入口・・・・・ というのはたまたまかもしれないがともかく「30」付近で、引っ掛かる。余計なグリスでも付いて粘ってんだろか。しかしなぁ、 OHから上がったのが昨年2月、ついこの間である。そういうのと関係する筋合いの話なのかは、知らないけれど。


2007/2/24(土)
学生時代のサークルでお世話になった顧問の先生を囲む。全く以って話は横道へ逸れて、それぞれにそれなりの歳を重ねたOG&OBの面々、 相変わらずライカ見せびらかしてるヤカラは放っといて(ぉ、写真の仕事に就いているとある後輩氏の、完全に「式場カメラマン」然とした様が評判を呼ぶ。 これは私物らしい年季モノのF4に、グリップ型のストロボ2丁を備え、会場の中をキビキビと、しかし気配を消すが如く目立たずに、動き回る。 目配り、気配り、迷いの無い手付き。トーシロや自称ナニナニにありがちな、自己陶酔や自慢ホレホレ的な臭い漂う風情とは異質の、 地味で、そして終始当たり前のような身のこなし・・・・・やーなんか、惚れましたわ(笑)。プロフェッショナル・・・・・もうね、 BGMにスガシカオのアレだから。いやしかし、なんというか、武士ですなぁ・・・・・ってそういや、座右の書が五輪書とか言ってたな昔。 臨兵闘者皆陣列在前、て手刀切るだけじゃなくて全部指組めるとか言ってたな(笑)。F4なのに巻き戻しは何故か手動でくるくるやってる。 問えば電池の節約だと言う。かの坂井三郎も空戦で弾を使い切らず不意に備えたと書いていたが、武士ですなぁ・・・・・ちと無理あったかなこれわ。 ◆生来トーシロでいる身の、ぶよぶよなユルさを思い知るようでもあった。でもいつぞや、記撮しようと我が愛機NewF−1をスッと構えた瞬間、 被写体から「怖い」と言われたことがあったような。そんなにスゴんだつもりもなく首を傾げたものだったが、 道楽ながら根詰めてるうちに「入っちゃってた」のだろう多分その頃は。まあいつもゴロゴロしてる飼いネコが突然ネズミ銜えて帰って来るような、 そんなようなコトなんだろか。何言ってんだがわからんが。

2007/2/22(木)
そういやカメラショー(今の呼び名知らづ)っていつだっけか、もう色々出て来ても良いんじゃなかろか、と思っていたら、 EOS−1D Mark-III 様のお通りである。なかなかDsと合流しませんなぁ・・・・・ライカ判でもない、APS−Cでもない、 こういうものと思えばそれで済むのかもしれないが、どうしても過渡的な気がして、Ds系の処理速度待ちなんだろか、などと愚考してみたり。 ◆IXYデジも何か出ていたけれど、IS無し。無しかぁ。その代わり高感度化で手ブレに対応しようということらしい。フジが採ってきた方向ですな。 キヤノン的にはセンサー移動式なんぞ死んでも採用したくないであろう(笑)。かといってISで頑張るにも、サイズも値段も抑えたいIXYデジのような機種では、 難しいのかもしれず・・・・・ならばイメージセンサーの高性能化で・・・・・それを内製するキヤノンならではの、選択肢ではある。 例えばISO6400級でもよゆーのS/Nで階調で発色でとなった日にゃ、尚も要手ブレ補正という状況は最早特殊といえる。 被写体ブレも抑えられる、ストロボのGNも稼げる・・・・・手ブレ補正機構が手ブレ補正の役にしかならないことを考えると、 こっちなのかな・・・・・なーんだ手ブレ補正なんて要らないじゃん、てな話が、意外と近くまで来ているのカモ?・・・・・ その割にはセンサーの大きなEOSデジは感度もS/Nも程々なんですがぁ。コンパクト機は相当、 無理し 頑張っちゃってんのかな。

2007/2/19(月)
DPEの預けと上がり受け取りで地元のヨドバシ。ホリゾンのスリーブがぐるぐる巻かれて戻って来た。シートくらい付けやがれ、ちぃ、 コダックゆっくりコースなんてこんなモンかねとぶーたれつつ、シートのストックが要るなと用品フロアへ・・・・・・以前より、 そう京急の駅ヨコ時代から「におい」は十分あったのだが、ここにきてまたド鉄写真が大氾濫。お馴染み京急シリーズから、 遠征したのかことでん・・・ああこれも京急ネタか、山崎の大カーブ・・・うへこれも京急の甲種!? 銚子電鉄や水色のキハ35など最近話題のものから、 写真立てやパネルやアルバムや、売り場の写真を挿めそうな場所に尽く、これでもかと電車が覗いているのである。をゐをゐチミ達・・・・・ 今度こっそり自分のも混ぜとこ(冗談だってば)。 ◆あ、そうそうシートである。100枚も買うと少しも使わないうちにどこかへ行ってしまいそうなので、ちと割高だがHCLの20枚入り。 ナチュラも切れそうだったかなと、お次はフィルムの所へ・・・・・一応見てみたがさすがにもう、「ワイワイワイド」の姿は無く。 たしか賞味期限が最長4月くらいまでだったような。それはそうとフォルティアSP! いつの間にやらバラ売り始めてんじゃんか!  わー、これは参ったなー、と2本ばかり摘み上げつつ、そうかこいつの後の繋ぎかと傍らのベルビアを見てみれば、賞味期限はいよいよ今年一杯。 とうに製造は終えているので、ここらがもう終点なのだろう。そこから新ベルビアの登場までは、フォルティアSPをどうぞと・・・・・ しかし待てよ、新ベルビアが出る頃にはフォルティアの発色に侵されて、もう後へは戻れない、なんてことになってやしまいか・・・・・怖いね、怖い。 習慣性あるしね(嘘)。あ、もしや最初からそういう・・・・・。(ぉ

2007/2/17(土)
昌平橋からてくてくと外堀通りを上って・・・・・前にここ歩いたの相当前だな・・・・・御茶ノ水橋を渡りつつ聖橋の方を振り返る。 下り坂の空模様、色合いもひんやりと沈んだ風景の中へ、オレンジ色の電車が挿す。 ポケットからペンEE−Sを取り出して覗いてみると、聖橋のアーチと電車と、誂えたかのようにぴったり収まった。をを。 これまで印刷物などで幾度も見て来た、ありふれた構図ながら、撮る瞬間から既に懐かしいような感覚を楽しみつつ、 ぱちり。尤もいつもそういう気分のカメラでは、あったが・・・・・前世紀末にジャンクで拾い上げて以来、 修理らしきこともしないままこれまで過ごしてきたペンEE−S、ひょっとしたら大当たりの出会いだったのか・・・・・ 主力部隊でバリバリなコトもとりあえず一段落な昨今、コイツを掌中にぶらぶらと定番の風景を巡るのもまた、をかしからずや。

2007/2/14(水)
気になるG1のフィルムの上がり。うーむコマ間の乱れは無いようだが、ブラックアウトのコマがあるな・・・・・例の、シャッター音が無く、 びゅいん、と唸るだけのことがあった現象、巻上げだけはしていたようである。切れないんじゃ意味無いが。次のフィルムでは空振り無し・・・ふむ。 凶兆には違いなかろうが、もう少しだけ様子見か、やっぱり出すか・・・・・まあ、いずれは一度出すつもりだし。

2007/2/10(土)
未聴CDをガシャガシャ持ち出し、ふらりと茂木へドライブ。ハンターカブやらバモスやらNRやらにウハウハ、C11でウハウハ。 連れ歩くはNewF−1とKissデジN、あとホリゾンにペンEE−Sもいたな・・・・・それぞれの機能や持ち味で適当に役割分担しつつ、 葉巻型のF1やらスーパーカブ一族の並びやらC11の連結作業やらをホリゾンでがらしゃこん!、あ、C11以外は屋内故、じぃぃぃぃぃぃぃぃ・・・と。 そういえばKissデジNではやったことなかったかなと、AIサーボAFで正面からC11を追ってみる。まあまあか。ただEOS−3や7で、 追いながら視線入力での測距ポイント切り替えが結構重宝していたのを最認識。EOSデジで視線入力は、もう無いだろか・・・・・ あれはあれで使い出はあるもので・・・・・手動切り替えでささっと出来るまでになる自信無し。 ◆そのまま宇都宮に出て久々のEF57にウハウハの後、駅前のララナントカに突入。ヨドバシMM宇都宮。早速トイレでマーキング、 これにて全店訪問タイトル奪還(馬鹿)。平べったく2階分を占める構成は上大岡を思い起こさせたが、上大岡の方が広かったろうか。 足跡を残すべく何か買わねばと思うもこれといって特に無く、チョコエッグのマツダ編があったのでこれを所望。 シークレットのランティス(嘘)とは言わないがRX−3あたりが出れば嬉しく・・・・・パリパリ、ポコッ・・・・・ふーむFDか。

2007/2/7(水)
開いてる間にヨドバシに寄れないというのは辛いものがあり。この間のG1の出来が気になるのだが未だ現像に出せづ。ふぅ。 ◆それはさておき早朝にKissデジN+100〜400mmISでカマしてみたが、1/125まで落とすのに少々躊躇するも、今日のISは結構安定してる風。 そういえば今日のバッテリーは充電したて、やはりそのへんの余裕か。するとですな、2丁仕込めるグリップの意義が出てきますな・・・・・ 例のフレーム右傾化問題(ぉ を克服(?)して水平が出せるようになってからこっち、嵩張るばかりなので全く出番が無かったグリップ、 こいつには乾電池も入れられたが、ちょっと寒いともう動かないとかいう話なので、ISカタカタは必至くさい・・・・・そっちはあくまで最後の手段か。


2007/1/28(日)
KissデジNとEF100〜400mmISで撮ってると、どうも甘いことがある。いや少なくない。ピントがそもそも怪しい気もするのだが、 1/125秒ならよゆーの筈だがと訝りつつ、常用ISO100のところ400まで上げシャッター速度を稼いでやると、ピタっと来る・・・・・まさか、 ISがヘロヘロなんじゃ、あるまいな。ISO400でも実用レベルなのでどうにか・・・・・それではISの意義に関わる。余程大飯喰らいなのか、 電力に余裕が無かったり、接点がちょっと汚れてたりですぐカクカクし始めるこのIS、KissデジNではどうも、レリーズ時のブラックアウトの刹那、 像が横へ流れているような気がしてはいたのであるが・・・・・銀塩NewKissでもそんなことが・・・・・診てもらってどうにかなるスジの話なら良いが。 以前EOS−3との問題では、それぞれ単体では異常無しで組み合わせて初めて云々と、梃子摺ったことがあった。EF75〜300mmISでは、 これまでそんな類の話は無く・・・・・キヤノンの人の話ではISユニットの大きさが全然違うので早い話無理が無いということのようだったが・・・・・ まあAPS−Cサイズなら、銀塩での100〜400mm相当以上の長さ、周辺切ってオイシイ所だけ、てな理屈ではあるが。 ◆実用的というか即物的というか、そっち方面の運用は徐々にデジな一方で、銀塩機はより嗜好品的運用へシフト・・・・・とわざわざ言うほど顕著なわけではないが、 ともかくカメラはその醸す気分を連れ出すようなところでもって、G1の出番がちょっと続いた。んがこのG1、 レリーズすれども「シャキッ」というシャッター音が聞こえず、びゅいん、とモーターが僅かに力無く唸るだけ、ということが何度か。 カウンターを見ていなかったので結局撮ったのか巻いたのか、現像するまで不明だが、思えば中古で手にして以来整備らしい整備もしておらず、 そろそろ京セラへ連れてってやる頃合か。コンタックスサロンだけは、たしか残ってたよな・・・。

2007/1/14(日)
よく見ればT70の裏蓋、フィルム窓なんか無えじゃんか。T90と混同したか・・・・・ならばコマンドバック、着けちゃおっかなー、 と先週の店を覗いてみれば、ショーケースのそれと思しき辺りが空き地になっており。むう、一足遅かったか。ま、そんなもんだ。 ◆ときに、ヨドバシでコダック指定でスリーブ仕上げに出すと、+1日でフジより安かったりしてたのだが、 昨年末あたりからもう1日待つとさらに安いサービスが。ローソン同プリより安い。スバラシイ。現像を急ぐようなことも、 そうはなくなりつつある気もするし、のんびり楽しむには吉か。待つのも銀塩の楽しみのうち、などと言われたりしてる昨今でもあるが。

2007/1/7(日)
散歩がてらホリゾンで河原をぱちり・・・いや、がらしゃこん。小堀製作所もがらしゃこん(笑)。ついでにペンEE−Sでもぱちり。 なんともユルいな今日は・・・・・で、大きく蛇行している川のカーブ1つをヘアピンの如く収められないかと以前より気になっていた場所があって、 試してみるとギリギリ、どうだろうといった塩梅。思いっきりド逆光、ホリゾン名物「部分ハレ切り」を食らったかもしれないが、まあラボから上がってのお楽しみ。 ◆久しぶりに覗く蒲田のお店は建て替え中らしくちょっと離れて仮店舗。テフノン、さすがにもう無いみたいだな・・・・・フラフラと新宿へ出て、 これまたえらく久しぶりに中古店巡り大幅割愛コース。特に目当てがあるでもないのだが、T70のコマンドバックが目に止まり。 ジャンクではなくショーケースに収まり、プラケース付¥1Kナリ。スバラシイ。使い勝手はウチのT90のそれと同様・・・・・ というよりそもそもT70用がベースでEOS−1用まで至る流れなわけだが・・・・・ しかし今更インターバルタイマーだのタイマー付バルブだの長〜いセルフタイマーだの使うだろうか?、使う時は使うんだが今後はどうかね、 しかもT70で。ノーマルのフィルム窓も捨て難いし・・・・・とりあえず見送り。しかしT70登場当時、これぞキヤノンの先進性、 と小僧のお頭に染み付いたコマンドバック・・・・・うーむやっぱりちと、未練あるかな。

2007/1/1(月)
トロトロと近場で初日の出。アンちゃん共が、出る、出ちゃう、だの盛り上がってる横でKissデジNでもって雲の上から覗く火球をぱちり。 急に畏まって撮ってくださいとケータイを渡され、撮ってあげる。ハイと返した画面見てすげぇ、って何がすげぇんだよ(笑)。 しかし、あー、すっかりメインになりかけでわないか、KissデジN。少々焦るものありつつ、しかしやっぱりどうもこの、 どちらかというと即物的な風情と言えなくもない。むしろそういう使い方で出番があると言えたが・・・・・要するに便利ってことだけど。 ◆望遠がからむとどうもISウハウハのEOSになりがち、身軽さではG1、いっそTC−1まで行ってしまったりで、 ここのところ出番の少ないFD軍団なのだったが、今年の1本目はA−1に通し、これを連れ出す。ワインダーと旧FD28mm/f2.8、シブい。 もう1本ウルトロン40mm、これまたシブい。思えばA−1も利便性追求の権化のようなカメラであり、ある意味即物的でもあったハズであり ・・・・・単にノスタルジーなのか? 銀塩への一種の贔屓目に過ぎないのか? どっちでも構わないや、もう・・・・・ ん、A−1とはそろそろ、四半世紀の付き合いになるのか??(汗)


もっと前へ

CUB's CAMs