我が病巣 〜カメラな日々

一番下へ



2007/9/26(水)
「EOSな理由(ワケ)」なる本を見かけ。ある種伝統的なカメラ好き向けというよりも、どちらかというといわゆるカタカナ職的風味のページをパラパラ。 ふーむデジ一辺倒かと思いきやさにあらづ、EOS5あたりなど今や懐かしいが、あの頃のEOSには「若さ」が漲っていたように思う。 デジなどは方向性が先に見えていて、それが出て来るのを、或いはコストが見合うのを待っているようなところがある・・・・・外野の素人目には、だが。 しかもそれは主にカメラ自体の機能性能というより言わば「感材」の部分のそれであって、銀塩カメラより受け継ぐ基本的な機構部分は、 最早安定した「入れ物」と化している感すらある。カメラ雑誌が煽ったところで(ぉ、昨今前面に謳われる事柄は、殆どパソコンのそれなのである。 EOS5の時代は、まだ「カメラ」がそれ自身、主役だった。無邪気なまでに、前ばかり見ていた・・・・・クラカメブームはその反動と言われるが。 ◆EOSの歴史や、そのシステムの特長について簡単な解説。流石に操作説明までは書いてないが、頭の中でシルビー・バルタン「あなたのとりこ」が流れ出す中、 歴代EOSの並ぶ見開き。いやはや懐かしい・・・・・EOSには既に20年もの歴史があり、その始まりは昭和時代まで遡る。 FD使いの感情も含めて、プラスチックのチャラチャラした新システムと思っていたものが、今では老舗のひとつとしてその地位にある・・・・・ 実際、AF一眼の中にあっては堂々「不変のEF」(ぉ と謳っても良い程ではないか。オトナの事情の絡むメディアは書かずとも(ぉ、 FDを切ったことへの一般ユーザーの反感は相当なものであったように記憶するが、今振り返ればそれも、英断だったと言えそうに思う。 ◆「EOSな理由」・・・・・その名が、銀塩もデジも包括しているところが、まさにEOSなのかもしれない。この本の中でも、分け隔てなく扱われる。 その昔、MF機とAF機とで行ったり来たり出来るマウントに憧れたが、EOSは時を隔て記録媒体を隔て、同じレンズが使える。手ブレ補正も使える。 クラシックEOS、という呼び方が世間的に通用するのかは知らないが、ちょこちょこ出番のあるEOS−1はさておき、思えば1年くらい前に連れ出したきりの630、 がしゃがしゃ賑やかで楽しいが相当出番が無い700、使うなら今のうち的なIX E・・・・・ここいらで、シブぅ〜くキメてみたいものだが。

2007/9/25(火)
大昔に罹った水疱瘡のウィルスが暴れだし、病院行ったら時間が空いた。週末使い損ねたG1、なんだか色々面倒臭い気分もあって、 やっぱり交通会館へ連れて行くことにする。窓口氏は前と別の人だったが、カクカクシカジカと話しつつ、微妙な温度差を感じたのは、気のせいか。 前回最悪ファインダー光学系アッシー交換と聞いていたので、部品あるうちに換えるというオプションもアリかなーと、その値段を訊いてみる。 カウンターの下から資料出してパラパラ捲るかと思いきや、奥へ消えてどこかへ電話している様子・・・・・え、ここに置いてないの!?  いずれ消える場所とはいえ、現物を挟んで「話せる」人が窓口にいないというのは、どうも辛い。カード使えないし、実質土曜しか行けないし、 それで直接持ち込む意味まで薄れるとなると、ヨドバシの修理窓口で十分でわないか。ともかく、G1を再び、2週間の旅へと送り出す。ちゃんと伝わるかな。

2007/9/22(土)
G1が上がった。カウンターで早速覗いてみる。おぉ、クモリはスッキリ・・・・・ん? 何やら飛蚊症じみた・・・・・微生物の顕微鏡写真的なモンが、 見えるんですがぁ・・・・・カウンターの窓口氏も確認。ふーむどうなんでしょうねえこれわ。尤もクモリの消えたのを確認すべく目を離したことで見えたもので、 通常のアイポイントではまず気付かない。即ち機能的には問題無いのだが、前からあったのか、今回の作業で取り除けなかったのか、 それともその必要は無いという判断なのか・・・・・それくらいは知りたいのが人情というものだが、窓口氏は判らないと言う。修理伝票には、 クモリ取りました掃除しました、くらいしか書いてない。チェックリストが付いててコメントがあって、という様式を見慣れた目には、どうにも淡白ではある。 ◆クモリはカビではない、と窓口氏は断言するも、なんだかかえって不安になる空気。気になるようなら再修理・・・要するにダメ出し・・・という選択肢もあるにはあったが、 「こんなモンですよ」の一言かもしれない結果待ちに、これでまた、2週間?・・・・・なんだか他所の星と交信してるみたいですがぁ。 保証期間はしばらくあるし、ちょっと考えようか。

2007/9/20(木)
そろそろまた連れ出そうかとT70を発掘、あの牧歌的な(?)巻き上げ音を奏でさせようかとレリーズを押すと、かしっ・・・・・ あ、プログラムシフトか。絞りをAから外して、も一回、かしっ・・・・・ん?・・・・・え?・・・・・もういっぺん押す、たうぃーっ、 様子がおかしい。も一回、かしっ・・・・・もういっぺん押す、たうぃーっ、も一回・・・・・キリなく続けるまでもなく明らかに、異常である。 レンズを外して覗くと、ミラーが上がったままで止まる。クイックリターンどころかノーリターン。 そういやOM−2が電池切れするとこんなだったな、と電池を見ると・・・・・十分ある。 ◆裏蓋を外して透かして、かしっ・・・・・あ゛あ゛っ、シャッターが開いてない! 今度はT70かぁ、修理出したら中古買うよりかかるだろぉきっと ・・・・・と落胆しつつ、シャッターは上下どっちに走るんだっけか、と傍らのT90を手に取り、裏蓋開いてレリーズ・・・・・けたっちゃぁーっ・・・・・ 「EEE」・・・・・はぁぁ(涙)。もう、どいつもこいつも。まあT90のEEEは電池の接触の具合でよく起こるようなので、電池出し入れして復活。 大丈夫、「HELP」は久しく見てないから・・・・・さて、どうするよT70。しつこくもう一回レリーズしてみると、けたうぃー・・・・・ををっ、 今度は切れた!? どこか引っかかってたか、粘ってたか・・・・・羽根に怪しい汚れはなさげだが。とりあえず動作は復活したものの、このまま使うのも、 ちとおっかない・・・。

2007/9/16(日)
今日もクソ暑いながらも秋の気配の青空、河原など歩きながらTC−1で・・・・・興が乗ってくるとどんどん進んでしまう。おっと勿体無え。 ◆ヨドバシにR7がもうあった。そういやいつ発売なんだったっけか・・・・・ちょいと手に取る。操作系は大きく変わっていないので、すぐ呑み込めた。 カメラとムービーの切り替えスイッチが横スライドに戻ってるが、またポケットの出し入れで引っ掛けやしないかねこれ・・・・・今ここで試すのは憚られるが ・・・・・R3で縦に変わったのは、たまたま、だったのか? 段差を設けたり引っ掛けにくい配慮は見られるものの、角にあるし。 ◆ADJボタンがジョイスティックの機能を持った。これに依らず下のボタンによる旧来の使い方も可能で、以前のモデルのユーザーにとってはこの、 待った無しの転換を迫られない点は、精神的に非常に楽。たーだ、折角こんな機能を持たせておきながら、ここまででお頭が一杯々々だったのか、 拡大画像のスクロールに使うことまでは考えが至らなかったらしい。このへんがリコー・テイストか(笑)。勿体無い。 ◆気になる画質、S/Nである。明る過ぎる店内、シャドウのザラザラ具合を見ようかと手で影を作ってマクロで・・・・・ピンが来やしねえ。 ちちちちち・・・ほらそこ!・・・ちちちちち・・・・・何度も通り過ぎる。そういえばこの前のR6で外部AFセンサーを廃していた。 あってもあまりアテにならないようだったが、そろそろTTLに自信を得たのか・・・・・いや、単にコンパクト化で省いただけなのカモ。まあともかく、 R4より酷いってこたないだろいくらなんでも。 ◆で、ISOを変えては撮って再生、てのをやってみる・・・・・ん、1600は非常用として、800は、400は・・・・・おっ、 意外とイケんじゃん??・・・・・手ブレ補正というものが付いているが、所詮顔から離して撮るカメラ、このホールディングのハンデを補うために、 その効果の多くはスポイルされる。大雑把には、フツーに構える銀塩コンパクト機と、どうにかイコールコンディション、くらいに考えた方が良い。 即ち銀塩コンパクト機でISO400程度を必要としていたなら、開放が同程度として手ブレ補正付のコイツでもISO400は必要、なのである。 無論画質面で譲れないセンというものもある。そのあたりでようやく、折り合いが付きつつあるのか・・・。

2007/9/15(土)
TC−1にKRを詰めた。クソ暑いながらも秋の気配の青空、周辺落ちも味わいのうちと、ぶらぶら、ぱちり。 ◆IVSbを預けに行く。ううぅ、そんなにかかるんだ・・・・・放っていた負い目もあり今回はこれで手を打つとして、次はちょっと、考えよかな。

2007/9/12(水)
リコーのホームページをカチカチ。しかし相変わらずぼんやりとした記述で要領を得ない。原寸サンプル画像などISO100のものしか見せない臆病ぶり (敢えて言う)だし、これはもう他を当たるしかないか。これに限らず、気になる表記の具体的なところは、誰かの実写レポートでも探すとして、 当面はR6を軸に「これより落ちるこたないよね?」といったセンで捉えるしかなさげ。 ◆構成が同じであるらしく、URLの "r7" の箇所を他の機種名に打ち直すだけで、その相当部分の情報が見られるのが秀逸 ・・・・・というより作り易いだけか。ともかくR4からどの代でどこいらへんが変わったのか。かつての銀塩コンパクトカメラの名である、 R1を冠した初代機は、カチカチ・・・・・まだ3年しか経っていないのか。それも遠い昔のように思われるのも、このへんのドッグイヤーぶりというものか。 ◆まだまだ過渡期の最たるものであるイメージセンサーとその処理系、現代のAF一眼であろうが戦前のライカであろうが、 ベルビアを突っ込めばベルビアの写りがする(光学系に関する要素はさておき)のと違って、「感材」と一心同体少女隊と化したデジカメでは、 「感材」に併せて本体ごとモデルチェンジする宿命にあり、商品サイクルは目まぐるしい。 ◆R1も銀塩のそれを辿るようにR1sの名でマイナーチェンジし、R1vを経てR2へと行き着く。この間には背面液晶パネルの拡大と、 光学ファインダーの廃止という、このジャンル全体の流れを反映しているようだったが、基本形態的にはここまでが第1世代と言えようか。 次のR3では基本形態から一新、テレ端の拡大と手ブレ補正が目玉だった。R4では主にセンサー周りの熟成、これが手許にある。 ◆奇数モデルで世代交代、偶数モデルはそのマイチェン、といった法則を見たような気になってたところで迎えたR5ではまた、 センサーが変わって地味目に熟成の方向。次のR6でまた大きく変わり、そしてR7に至る・・・・・ちょっとまてよ、R7の初期ロットと言っても、 部分的には必ずしもそうではない、のかな。 ◆で、R4からどこがどう・・・・・光学系はカタログスペックベースでも、R6で変わってる。ふむ。テレ端が僅かに暗くなっているのは、 描写力とのトレード・オフと信じたい。ISOは800までだったのが1600まで拡大・・・・・これはR5からだがまあこのへんはS/N次第として、 こいつのオートにR6から「HI」なるものが追加されてる。シカーモ、シフトの上限を選択出来る由。ザラザラ具合と相談して決めることが出来るわけで、 そうそう、そう来なくてわ。問題はシフトの始まるタイミングだが・・・・・手ブレ必至の速度まで落ちてからシフトなどというのは全く、意味が無い。 これを泥縄シフトという。ときに並オートだとどこまでシフトするのか、シフトし始めるタイミングは違うのか・・・・・書いてなーい。まあ上は400だろうけど。

2007/9/11(火)
近頃店頭でR6を・・・・・リコーの、R6を見かけないと思ったら、R7が出ることになってた。ふむ。まあそんな気はしてたが。R2、R4と使ってきて、 多くを望むべきでない筋合いの製品であることは重々承知しているので(ぉ、まあせいぜい、S/Nが改善していたらとか、もう少しはピント合えよとか、 待ち時間が減ったらとか、そのあたりがポイントになってくるのだが、実際どうなんだろ。画素数が増えてKissデジNと同等になってきたが、 ということはですよ、光学系はさらに精度が求められる理屈で・・・・・6M級のR4で既にボロが出てる感があるのだが、そのへんは熟成してますわよね当然。 それよかトレードオフ的にR6に比してS/Nが後退、なんてことは・・・・・十分ありそうなのがこの世界。ISO400級でそこそこなら、まあ良いのだけれど。 出来れば常用にしたいくらいだが、ISO800でも実用レベル的にリアルな水準だったりした日にゃ・・・・・んー。1600は無いよりマシ的緊急用で。 ◆IXYデジに帰りたい気もするのだが、一度ライカ判相当28〜200mmに馴染んでしまうと、なかなか・・・・・長短心得た付き合い方も、 なんだか染み込んじまった気もするし。さすがにR4より落ちるところは無いだろう、という一点が大きな拠り所でもあるのだが(苦笑)、 さてさて・・・・・一気に盛り上がったところでも初期ロットはナニだが(ぉ、そういやパナあたりの現行機はどんな具合なのかしらん。

2007/9/10(月)
ワイワイワイドやらペンEE−Sやらの、たまに使うネガカラー同プリはローソンに出していたが、どうも「まだ来てません」と言われることが続き。 単にバイトくんが日数を数え間違ってるのか、或いは近頃年賀状遅れまくりじゃんか的な類のハナシなのか知らないが、さらにいつの間にやらまた値上げしてて、 ¥750もふんだくられた。そもそも¥500だったのがローソンを選んだ理由だったが、それが¥600になったのはまだ良いとして、¥750となると最早、 ローソンにする必然性など殆ど失われるのでわないか・・・・・カチカチと同業他社の値段を見る、ホーレやっぱり。さてどうするかな、Suica使えると嬉しいが。

2007/9/7(金)
コンタックスサロン。銀座4丁目交差点傍の、鳩居堂の上にあってなんとなくブイブイ言わしてたのも、今は昔。元々そんなに馴染みのあるブランドではなく、 立ち寄ったのも数える程しかなかったが、「今度S2っての出たでしょ、あれ予約したんだけどさ、あれってAEロックあるの?」などと爆弾質問してた 紳士が、なんとなく印象に残っていたり。それでもポンと買えちゃう人はいーよなー・・・・・まあ、そんなブランドでも、あった。 ◆交通会館に移ったのがいつだったか忘れたが、近い将来ここも引き払うらしい。ツァイスの名も最早京セラの手にはない昨今、これも時間の問題ではあったが、 さてその交通会館に、G1を連れて行く。今のところ大きな問題は無いらしいものの、部品の保持期間は1年前に切れた由。そういえばそんな話をどこかで聞いた気もするが、 G1ももうそんなに、なるか・・・。見せてもらった資料によると、G2は一昨年で製造終了の由。へえ。ずっと在庫だけあるのだと思ってた。(ぉぃ  ともあれ、この先も続くG1との日々を、想いつつ・・・・・工賃だけで済めばいいけど。

2007/9/1(土)
G1を連れ出そうかと、ニヤニヤいじくってて、ふと、ファインダーに違和感を覚える。部屋の明かりに向けると、随分フレアが出るような・・・・・ あれれー元々こんなモンだったかな、暫く使ってないから忘れてるのかな、と訝りつつ、汚れだろかと接眼部を見るも特に異常はなさげ。 コーティング剥げと思しきものはあるが、これは前からだし・・・・・対物側から覗いても怪しい影は見えない。あらためて少し離して透かすように接眼部を覗く・・・・・ あ゛あ゛っ、内側の何面目かで曇ってやがるぅぅぅ。そこそこ使い込まれた風の安い中古を手にしてから、早いものでそろそろ6年。そのうち診てもらわねばと、思ってはいたが。


2007/8/27(月)
例のタムロンの手ブレ補正付28〜300mm、気になる。そういえばそろそろ現物が拝めるのでわと思いきや、発売延期の由。ちぃ、お預けか。 しかも肝心の手ブレ補正機構の不具合という。EOS用がとのことで、ならばニコン用のなら、と思えばこちらは元々、年内発売てな話で。うーむ。

2007/8/22(水)
ホリゾンの詰め替えRVP100、どうやら無事に現像上がり。んが、最後の像の端で千切れており・・・・・ああやっぱ、スプールから抜けたわけではなかったか。 その切れ目に強烈な癖が付いているのは、あの窮屈なフィルム送り機構で引っ張られた結果であろうが、しかし記憶と違い剣が峰の手前の影富士で切れたとは、 やっぱモーローとしてたんだろか。一方、日の出の半分フレアカット現象は回避出来ててまずまず。9合目で妥協したので構図は欲したものからすればイマイチながら、 蒼い雲海がなかなか。岩を転げたEOS7も正気を失っていなかったようで、カチカチの光線+ベルビアの色彩を味わえ。転げる直前の夜景は、何が写ってんだか・・・。 ◆売り場をウロついて72mm径のフィルターの値段など見たりしつつ(汗)、UNの和風ストラップがどうも前から気になる。 UNといえば昔からあるチロリアンのアレも捨て難いが(笑)、多分今年出てきたのであろう、和風のそれ。トンボ模様のがなかなかながら、リバーシブルで赤と青、 というのがどうも。1本でどちらも選べるのはいいとして、使えば捲れることもあるし、赤はちょっと、自分のイメージではなく。せめて茜色とか橙とか・・・・・鹿の子柄はそんな色なのに。 ◆それはそうと、コダクロームが消えている。多分今更のハナシなのだろうが、或いはまだある所にはある、のかもしれないが、 今は昔の昭和の時代、その描写と耐久性の評判とともに、プロの、というより「大人のフィルム」のようなイメージを抱いて憧れたのも、懐かしい。 平成の世になって何年後かには殆どリバーサルばかり使うようになっていたが、思えばウブであったあの頃(遠い目)。 ◆リバーサルも専らフジクロームを使うようになった・・・・・当初は「なんとなく」レベルだったのがベルビアの登場でこればっかりになり、 そうするうちコダックのラインナップが色々変わり判らなくなったのでいよいよ使わず、程度の理由だが・・・・・が、やはりコダクロームは別格という意識があって、 たまーに買ってみることはあった。そうそう、RHPはザラザラのカサカサがアレだったので、KLで速度を稼いだことも・・・・・1段だけでも稼ぎたい時があるのだ。 面白半分にKMでEF58あたりを静物として撮ったような気もするが、どうだったかな・・・・・そういやベルビアをよく使うようになって、KRのISO64が低いとは思わなくなった(笑)。 ◆冷蔵庫に放り込みっぱなしの3本のKRが、コダクロームの多分、最後の体験となる。期限はまだあるな、紅葉を地味に撮ってみようか、 なんとなくTC−1でも使ってみたい、いやホリゾンに突っ込んでみるのも一興、カナ・・・。

2007/8/20(月)
大家のWWWサーバがすっ飛んだらしく、テメエでイチからアップし直す羽目に。知る人ぞ知る老舗のリムネットだが・・・・・だったのだが・・・・・。 ◆ふーむキヤノンが攻勢に出てきた。EOS−1Ds系は20Mの大台、まあAPS−C級でイッセンマンとか言われりゃ、面積比で2倍くらいあればそれくらいはやるか。 40Dの方はKissデジXで先行した諸々を本格採用といった趣。しかしどいつもこいつもオープン価格、どうにも面倒臭い。どうせ買えないけどサ。 強いて言えば5Dのポジションの動向が気になるが。アレで実勢¥200K切った日にゃ、相当リアリティ出てくるのだが・・・・・一体どんだけ先の話だ。 ◆EF−Sは2本ズームセット的な廉価玉にもIS投入で、センサーシフト式に徹底抗戦の構え。光学補正派は結局、ニコンとキヤノンということになるんだろか。 他はロクに知らんが、ああ、シグマSAもあったか。まあアレは同社のEF互換玉と兄弟みたいなものだが。 ◆IXY他コンパクト系も、もうISが標準装備となりそうで。傍目にはカメラ本体の商品サイクルに比して光学系は意外と変わっていないのではと思えるのだが、 つまり使い回して量産効果が・・・・・それが出来るなら、当然やるだろうし。でま、そのネームバリューからか、 スペックを出し惜しみする感じがナニなキヤノンだったが、ようやく腰を上げたというか、腹を括ったというか。センサーシフト式は死んでも嫌であろうし(笑)。 ◆それはそうとIXY、いつの間にやら・・・・・忘れてただけだろうが・・・・・チタンボディがあったのだな。キヤノン的にはここらが初ではないのか? IXYといえば、 APSの初代からステンレスの外皮が持ち味だったハズ。初代の発売当時、世はチタン・ブーム、あれもこれもチタン外皮を纏い、色だけというのまであった中、 ステンレスで出してきたあたりは流石と、唸らせたものだったが・・・・・そういえば最近APS初代に先祖返りしたようなIXYデジがあった気が・・・・・ ブームも忘れ去られたこの期に及んでシレっとチタン採用、このあたりある意味「らしい」気がしないでもなく。 今なら追随したようには見えないだろうし、これの後から他社が続けば、思うツボ。(ぉ

2007/8/14(火)
ホリゾンのフィルムを救出せねば。幸いダークバッグが手元にある。そういえば少なくとも今世紀に入ってからこっち、自家現像などやったことがなく・・・・・ 最後の出番といえば、アレだ、碓氷峠廃止の直前、何をトチ狂ったかEIR(カラー赤外フィルム)をクーラーボックスで現場に持ち込んだ際に、 装填に使った時以来カモ・・・・・10年前か・・・・・そんな塩梅で、使い道が無いのでサウナスーツ代わりに着たりしていたのだが(嘘)、久々に、出動である。 ◆季節柄汗だくムレムレ必至、東京電力からのお願いも聞かず地球に厳しくクーラーガンガン、あまりの酷暑ぶりにあんまし効かない気もしつつ、 ホリゾンを中に放り込み、両手を突っ込んで、袖口を引っ張り上げ・・・・・あーなんか、ワクワクするねぇ・・・・・ごそごそ、パカッ、 やはりスプール付け根あたりで切れた風な手触り、像は無事か。さてこいつをスルスルスル・・・・・んー、入らん、入って行かんな。 無理に押すと、くきゅっ、とイヤーな手応え。折り目付けては本末転倒、とりあえずフィルムをホリゾンに残し、パトローネだけ取り出す。こいつのスプールの頭をカーン、 と叩けばバラせたのも今は昔、どうにもこうにも、駄目かやっぱ・・・・・仕方が無いので詰め替え用のパトローネを買ってきて、これに詰める。 聊か頼りないパトローネだが、「RVP100−36」とか書いておけば大丈夫、だろう多分。 ◆EF17〜35mm/f2.8Lのフィルター、生兵法でぐりぐり弄くり、フィルター回しのゴムを引っ張り出してきて、ふんっ・・・・・んぐぐ・・・・・回らづ(溜息)。

2007/8/13(月)
昨今旺盛な食い癖から、今年はヤバそーだなーと聊か守りに入りつつ挑んだ富士山だったが、意外や悲惨なことにもならづ、 ペルセウス座流星群を眺めながら上を目指す。三脚は諦めていたので、岩の上にEOS7を据え、登山者のヘッドライトゆらゆらの夜景を狙う。 いつもの当てずっぽ段階露光で、まあこんなもんでいいだろと持ち上げ様、ガチッ、ゴトゴト・・・・・ひぃぃぃぃ、 ストラップを岩に引っかけたらしく、レンズ辺りを持っていた手からするり抜け落ち、岩の上を転がる。落差が小さいのが救いだったか、 ともかく各部をチェック、アクセサリーシューに新しい傷があったが、受け身を取るように転がって、致命傷は負わなかった様子。 レンズはどうか、このEF17〜35mm/f2.8Lは首里城で真っ直ぐ自由落下を食らった受難玉だったりしたが、 暗闇の中で見たところ、ズームもピントもマウントも渋い感じは無く・・・・・あとは撮ってみないとわからんが、とりあえずは、 フィルター枠の歪み程度で済んでる風。しかしこれ、回りゃしない・・・・・取れないとなると、いずれ出さにゃならんか。 ◆出立も遅かったので9合目でご来光。とうとう山頂手前になっちまったか・・・・・さてさて、ホリゾンの出番。じぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ・・・・・ 昨年は首振りパノラマ特有と言える、画面の半分くらいだけフレアカットという現象に見舞われたのだが、さてさて学習効果は如何に・・・・・ って早い話、太陽光が強くなる前に撮ってりゃいい、というだけのコトなのだが。 ◆剣が峰ではテレビクルーが来ていたりして、そんな様子を収めるべく、ここでもガラシャコン!とホリゾン大活躍・・・・・ん、 ぎぎぎ、ばさっ・・・・・あ゛あ゛っ、フィルム切れやがった! 落ち着け、ロシア語で考えろ・・・・・そんな馬鹿力込めた覚えもないが・・・・・その感触から、 切れたというより、パトローネ内のスプールから抜けた、といった感じだろうか。だと良いが、カウンター見てりゃ気を付けたろうに、あーあ。本日店じまい。

2007/8/10(金)
さる方のお通夜。近頃はゆかりの品々を展示したりすることが増えてるようで、その人となり、その人の愛してきたものに接するというのは、じわりと来るものがあり ・・・・・そういえばいつぞや、縁あって交通博物館で写真展があった折、愛用の三脚やらトレッキング靴やらも展示することになったのだが、 どこかの子供がそれを指差して「ねえ、この人死んじゃったの?」・・・・・うーむ、モノ、殊に手に馴染むようなモノに何かを語らせる時というのはそもそも、 主の不在、を暗示するものなのかもしれない。まあ、靴はさすがにアレだろうけど。 ◆はさておき、主の手にあったモノ達・・・・・写真がお好きだったそうなのだけど、モスクワ五輪仕様のゼニットはじめ、怪しげな(失敬)品々はまた、 思わずニヤリとさせる程に、語ってくるようでもあり。そういえば随分前だがこちらのお嬢さんが、イエナフレックスなるカメラを提げてきたことがあって、 その恵まれた家庭環境(をゐ)を羨んだものだったが、そんなことを思い起こしつつ、をををと覗き込んでいると、年配の身内の方が説明してくださった。 これはね、ソ連が造ったニコンの偽物、こっちのこれもね、ニコンの偽物・・・・・参りました。

2007/8/2(木)
えっ、タムロンから手ブレ補正玉が出るとわ・・・・・ここのところ疎いのだが、しかもこれ、銀塩用でわないか。28〜300mmナントカカントカ。 似たような機能についてISやらVRやらややこしいが、ここでまた、VCなる呼び名が出てきた・・・・・統一しようよもう。 ともあれ、銀塩用で今出してくるというのが、スゴイといえばスゴイ気もするが、最初の28〜200mm登場以来、長らく・・・・・もう15年くらいになるのか? ・・・・・売れセンとして走ってきたこのシリーズ、ここらで最後の仕上げ、有終の美というヤツなのかも、しれづ。現物を手に取ってみないとだが、 これ1本きりで済ます気楽さも、悪くないカモ・・・・・同じ28〜300mm級で手ブレ補正付でも、EFのアレじゃあそうもいかぬ(笑)。 ◆そういえば、この売れセン玉で長らくタイマン張ってきたシグマは、どうしてる? カチカチ・・・・・お、やってるやってる手ブレ補正、 OS・・・・・だから統一しようよもう。こちらはデジ用の18〜200mm、換算で同等。タムロンはこちらはまだらしい。ふーむそうすると、 EF−S17〜85mmからまた「んなモンでいーんだよ」とこちらに転じるという展開もアリな気も・・・・・銀塩でタムロンか、デジならシグマか、 今ならそういう迷い方に・・・・・って迷ってどうする。

2007/8/1(水)
合間をこじ開けるように中野。ふーむありますな、EF−S17〜85mmIS。¥40Kに近付きそうな勢い。f2.8の17〜55mmが出てから、 どれくらい経ったかよく知らないが、そちらへスイッチした向きも少なくなさげ。しかしシグマ玉着けて「んなモンでいーんだよ」なところから踏み出そうとすれば、 それなりに負うべきものも生じてくる。即ちある程度任せるからには、ライカ判換算ワイド端28mm相当止まりでは済まないハナシになってくるのである。 となれば10〜22mmあたりも必須、1本のつもりが2本セット、中古相場でも¥100K超コース・・・・・覚悟を要するハナシなのである。 ◆とはいえEF−Sはどうも「つなぎ」っぽいし、現在展開しているAPS−C級の機種にしても、軸足を移すにはちょっと引っ掛かる。 現にEOS−1系はDsもDもAPS−Cではなく、イメージセンサーが大きいことのアドバンテージを考えると・・・・・ 改造度だけではなく感度やS/Nや焦点深度の表現・・・・・コストと処理速度が見合えばいずれ、Dsに合流するのではと踏んでいたりするのだが、 まあそんないつのことだか分からぬ、しかも手の届かぬモノのことなど、心配してても仕方が無いがぁ。 ◆ジャンクコーナーで80〜200mm級だったかのテフノン玉、しかもFD。レンズの表面にモヨモヨとあったが指で擦れば取れる程度、これはと思うも案の定、 中の方にもモヨモヨとあり、腕に覚え無く棚に戻す。キャップ類をガサゴソ、ニッポンコウガクトーキョー、なリアキャップにニヤリとするも、 次の瞬間¥2.1Kというシールが目に入り。危ない危ない、どれも同じようなジャンクと思って気安く掘り返してると、こんなトラップが仕掛けてあったか。 OM用だろうが縁にボディキャップ風なギザギザのある古そうな49mmレンズキャップ、これはウチの「M−SYSTEM」35mmにどうだろう。 NFDの52mmのはウルトロンにでも。ついでに電池やら。


2007/7/21(土)
ちょいと千葉方面へ出かける。時折ぽつぽつ来る生憎の空模様、NewF−1に高速単玉、これでも走る列車など撮ろうとすれば、ISO100ではなかなか厳しい。 そんな時には開き直ってお気楽KissデジNとなったりするのだったが、あまり使い込んでいないものだから、気を抜けば例の右傾化フレーミング(カメラが左に傾く)、 AFは怪しく、ならばとMFにするにもこのピントの山もよく分からぬマットに、倍率低く「遠い」ファインダー。もう、辛いわこれ。 我慢してれば「使える」ようになるだろか。それまで待てるだろか。夕暮れ時に、しっかり構えたつもりがボヤボヤで、これもAFがタコなのか手ブレなのか判らないが、 後者についてはIS依存症による退行である可能性大とも思われたが・・・・・ふと、昨日見たアレが過ぎり。あ、これって恋かしら。

2007/7/20(金)
ふらりと八ツ山。特に目ぼしい物無く・・・・・毎度そんなだが・・・・・先日のコンタックス139も、どうやら売れたらしい。 そんな中で、ふと目に止まった、あれはEF−S17〜85mmISだったろうか、¥50Kを大分割り込んでて、前からそうだったか最近のことなのか、 そもそも中古で見かけなかったのか・・・・・何故か妙に残像が。なんだろな。

2007/7/9(月)
病気でお悩みの方へ的なSPAMが来た(苦笑)。シューキョーだろかと訝りつつ(ぉ、そらまあ、「ほとんどビョーキ」的なアレで病巣だの闘病だの書いてあるし、 テキトーにキーワードで引っ掛けたんだろうこのお手軽なご時世に。生憎近頃健康(!)なようなんですがぁ。

2007/7/8(日)
ずっしりした感触が恋しくなり、久々にキヤノンIVSbを手に取る。連れ出してみようかと思いつつ、空シャッターを・・・・・くしゅっ・・・・・ あれれ油切れか? 10年くらい診てもらっていない気はするが、その間大して撮ってもいなかったりで、ちと不憫なことをしたかもしれない。うーむどうしたものか。

2007/7/7(土)
野暮用で出掛けたついでに、このまま丸1日潰すのも不本意であるのでふらりと吉祥寺。改札を出るなりオネーチャンが配り物してて、 ナルホドナルホドと頷きつつソレと思しき方へ向かう・・・・駅の方からヨドバシを見る風景がなんとなく、立川駅前から見るビックのそれとダブる。 そういえばこちらは三越であちらは伊勢丹だったとかんなこたどうでもよく、特にお目当てがあるではなかったが、とりあえず突入。 バッグなどはそこそこ揃っている方だったろうか、フィルムもちゃんとあるのは当たり前として、さて何か足跡を・・・・・ と、YS−11のダイキャスト模型、しかも限定品のがあんじゃんか! これにて全店制覇タイトル奪還(馬鹿)。 んが、どうしたことかこれが、帰ったら同じ物がもう1つ・・・あああ。

2007/7/1(日)
今日も碓氷。本当は昨日だけで終わらせたかったのだが、雪辱である。夕闇の中で三脚を「お神輿」にし、その時を待つ・・・・・KissデジNも、 セルフでないのをちゃーんと確認。しかし今日はなんだか暗いな。露出がきつい。周囲はまだ蒼く完全な暗闇ではないのだが、雲の具合なんかで違うのだろうか・・・・・ どうにか撮って、あとで見てみると、ISO1600のつもりがISO800になってた。道理で・・・・・ブレ量がこの半分に出来たハズなのだ。あああ。 どうも最近、つまらんことでスコーンと抜けてることが多過ぎる。なーんか、やべぇんじゃないかい?(汗)


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