我が病巣 〜カメラな日々

一番下へ



2008/3/28(金)
FD50mmを新宿のキヤノンに連れて行く。カウンター氏、レンズ本体とリアキャップを持って、んっ、と力んだので慌てて止めた。そこのリングだけを回すんですってば ・・・・・えええ、マジかよぉ(汗)・・・・・そおかあ、もうFDもそんだけ旧いわけかいな・・・・・ってそんな次元じゃないだろ。 ◆カウンター氏が奥へ消えて暫し、絞りは異常無い由。多分、粘ってないとかそういう意味なんだろうが・・・・・交換部品枯渇により云々、とすっかりお馴染みの断りがあって、 さてさて見積もりは・・・・・うーむ。いくらで買ったんだっけかな・・・。

2008/3/22(土)
茨城方面を走った。連れ出すはA−1+ワインダーを中心に、20、28、50、135mmと旧FDで固めて、我ながらシブい布陣。50mmの懸案も、AEでなら大丈夫そうなので ・・・・・最近こればっかだが、広いファインダー、長い宿暮らしから我が家へ帰ったような、ほっとした安心感。単玉でシブくキメ、その長方形の中で進行する情景を切り取りながら、 手軽さ半面、今ひとつ息の合わないKissデジNとの間で萎えていた自信が、取り戻されてくる心地。 ◆KissデジNではどういうわけか、ハイ今!、という瞬間からレリーズが遅れる。機構的な意味でのタイムラグではなく、今だ、おっと押さなきゃ、あー、遅れた・・・・・ そういう自覚がハッキリと、ある。つまり、視覚は一部始終を捉えていて、身体が付いて来ていない・・・・・衰えというものに愕然としていたのだが、先日のT90やEOS−1など、 また今日のA−1でも、遠く過ぎ去りし日の「列車が止まって見える」級ではないまでも、まだまだドンピシャリと・・・・・少なくともその近いところへ・・・・・来る。首を捻る。 KissデジNのファインダーの見難さ、「入って行けない感じ」はしつこく触れたが、どうにもならんのだろか・・・。

2008/3/21(金)
ヨドバシでRVP100の20本箱。半年ぶりか・・・・・大分開いたな。 ◆FD50mm/f1.4無印。銀縁のアレ。これとももう、8年になろうとしているらしい・・・・・もうそんなか(遠い目)。初代F−1前期型を手にした直後で、 あまりにも似合うために発作に至ったものだが、実のところあまり出番が無く純粋コレクションと化していた。なかなか綺麗な個体ながら、少々難があった。 絞り機構に狂いが出ているようで、開放から半段回しても、絞り羽根が出て来ない。f2から羽根が現れる。F−1なら元々いい加減なものなので構わないし(やや語弊アリ)、 気になればそのつもりでメーター読みから半段ずらして撮ればいいのだが、開放でギリギリの状況で半段調整したい時には、ちと困る。 ◆今更ながらふとボディ側制御で試してみた。このへんA−1やT90ならではの芸当だが、ボディ側で絞り優先AEにしてみると、ちゃーんと開放から半段でも絞り羽根が見える。 絞りリングを合わせる、やっぱり出ない。1段絞ってみる、半段相当の羽根の出方のように見える・・・・・何段か観察してみると、ボディ側制御では半段ずつそれらしく推移。絞りリング設定も、 ずっとそれと半段ずれている訳ではないようで、どこかで辻褄合わせがされて、最小絞りでは同じっぽいか? うーむむむ。ついでに、クモリと思うが怪しい影がうっすらと・・・・・出すか。

2008/3/20(木)
久々に中野。UNの和風ストラップと同じと思しき生地の、しかしUN名義ではないらしい細身版、まだあったのでトンボ柄のを所望。支払いの際に、 ここの店のオリジナルなのですかと訊いてみれば、やはりそんなコトらしく。ただ咄嗟に答えた風だったので、依然、多分そうなのカモのまま(笑)。 ジャンクでレンズキャップを漁り。暮にボロ市で見つけたNFD35〜70mm/f3.5〜4.5用に、あのフードのバヨネットに引っ掛けてパチンと嵌めるアレと、 相変わらずFD系のストック。ホースマンのロゴ入りのスクリュータイプの金属キャップが¥100ナリ。まさかLマウントに、などと淡い期待をしつつこれも求めたが、 帰って試すと僅かに大きかった模様。かといってM42でもなく。やはり暗箱系のソレだったか・・・。

2008/3/19(水)
学生時代のサークル仲間と久々に飲む。例によって買っちゃったーネタがちらほら。テカリも殆ど無いやたら綺麗なCLEなど触らせてもらい、本能的に危険を感じてすぐ返す(汗)。 AE−1Pの底蓋が金属かプラかといった議論やら、三角リングが回って継ぎ目が見えるのが嫌だとか、プラの部品が付いて回らないのあったよなとか、そんな話をダラダラしつつ、 こちとら急に都合が付いたので何も持って来ておらづ・・・・・キャプリオR7だけは携行しているが・・・・・とりあえず、最近ローライ35買っちゃったー、 などと振ってみるとオレも持ってる、とか返されて、でもシュナイダーなんだこれが、とムフフ含みで付け加えてみると、そういやアイツもシュナイダー持ってるって言ってたぞ ・・・・・えー?・・・・・聞けば、レチナに手を出したらしい。外苑前あたりでヘンな病気もらって・・・・・なんてパターンは今は昔だが、 意外な人物の意外な買い物にその経緯を質してみれば、最後のコダクロームは是非にコダックのカメラで、という成り行きらしく。 ふーむ・・・・・シカーモ、コダックのカメラで何か無いかなー、と探してみるまでレチナなど殆ど知らなかったらしいから、これはこれで相当、ヘンなヒトだ。 本国送りになっても使い切る勢いのようだが、手持ちのコダクロームが終わったら、レチナはどうすんだろ。 そういえば森羅を現場監督に詰めてみるとか、色々チャンスはあったんだな・・・・・最後のベルビア無印、フジカST−701に詰めるというテも、あるな・・・・・ま、 シルヴィF2.8あたりが現実的か。その前にナチュラ化改造を戻さないと・・・・・DX接点に貼ったテープ剥がすだけだケド。

2008/3/13(木)
朝の河原で「銀河」など。今日はまたやけに人が多く、お気楽KissデジNだったがもしやと、RAWでも記録してみようかという気になった。 定時になり、果たして赤いのが牽いて来た。カシャカシャ、カシャカシャ・・・・・ん? 切れない。動揺しつつレリーズをグリグリ押す。視野の下にシャッター測ではない文字を捉える。 b・・・・・あ、バッテリー? 満タンに換えたばっかだぞと改めて見れば「busy」。えっ?、これっぽっちで!?・・・・・ワタワタしてグズグズのまま、終了(泣)。 ◆後に判ったことだが、RAWがらみにすると連写は4コマまでらしい。ベタ情報なんだから足枷にならんだろう、とてっきり思い込んでいた・・・・・うー、 余計な設定をしなければ・・・・・ナチュラ入れたつもりの気楽な使い方してて、そもそも気楽な使い方ばかりな昨今ということもあって、KissデジNの出番が多かったりなこの頃、 気楽な半面、ちょっと踏み出そうとすると厳しくもあるKissデジN、あーなんか、往く先が見えて来ちゃってませんかね(汗)。

2008/3/9(日)
ヨドバシでキャプリオR8を見かけ。手に取り使い勝手は大体判るとして、なんか大きいなと思い、GR風に振った直線基調のスタイリングのためかと思いつつ、 傍らのR7と合わせてみれば、やはり投影面積からして、若干大きい。何が嵩張ってんだろ・・・・・ストンとポケットに落とす時、このあたり際立ちそうな・・・・・ その軽さから若干のカサカサ感でもって「空き箱」然とした第一印象・・・・・さすがにモックじゃないことは確認したが(笑)。いやべつに買うワケでもないんで、当面はR7で頑張るんで。 ◆そういやそのR7、ワイド端でどうも左上がケラレてないかねこれ。


2008/2/23(土)
松屋銀座の中古市を覗く。エレベータが開くとワインの催し物、ふとそちらへ引き寄せられるも¥1K/L以上のは飲んだことないので薀蓄攻勢に耐えられるワケもなく、 ともかく中古市・・・・・その入口で加賀錦のストラップ、なるものを見かけ。どこかで見たような・・・・・UNのアレとはまた、別モノなんだろか。UNのストラップといえば前に、 和風のアレのスリムバージョンを中野で見かけたが、アレもUN名義のパッケージではなく・・・・・ふーむ。 ◆目当ては無しながら、程々の客入り具合で眺めて回るには丁度良く。ジャンクのOーProductが¥5K台、電池蓋の周辺にお漏らしの跡が見られたが・・・・・ ウチのもナチュラ化して使ってみようと思いつつ、そのまんまなのが不憫。シングル8の小さいの、少々グッと来る。ローライ35関連も色々見ていたが、 やはりクセナーはそうそうあるものではないようで。ふーむ。オリジナルと思しきストラップが¥3K台、もういいかこれは・・・・・日本製であるらしいサードパーティー製は、 結構あちこちで扱ってる風。ふーむ。純正と思しきは・・・・・う−、そんなに。

2008/2/20(水)
あ、キャプリオR8ですか。まあ半年毎のアレで・・・・・ふむ、とうとうこちらもイッセンマン。あの新機軸を盛り込んだもののまだまだまだまだこなれていないというか、 足の踏み場ならぬ指の置き場の無いというか、窮屈で誤操作しまくりな背面操作系は整理されたようで、なんで最初からこうしないのか。ツナギだったからなのか。

2008/2/16(土)
数えたくない程久しぶりの生田緑地。旧客の方は記憶に無かったが、D51も懐かしく。汽笛の音とか仕込んでなかったっけかな昔・・・・・はさておき、 メガスターを堪能。貸し出される双眼鏡はビクセンとオリンパスがあるらしいのが、その使い方の前説で判明(笑)。ただ、渡されたビクセンのそれは、散々擦られてか接眼レンズが曇ってて。 今度は自前のを持参するか。ドームの中央には懐かしの蟻んこと天道虫と並んだような格好、蟻んこの方は五藤光学とあり。こっち方面は明るくないが、聞いたことある。 続いて岡本太郎美術館など。今更ながら顔のグラスが欲しくなったりしつつ、愛用のカメラが目に止まる。何があったか忘れたが、結構メーカーは混ぜこぜで。コンタクトはハーフのものもあったり。

2008/2/2(土)
RVP50のバラ売りが出ていたのを見つけ。残り僅かのRVP無印と混ざりそうな置かれ方でややこしかったが、ふーむ、とりあえず1本、試してみようか。 RVP無印の「もう1本」6本セットと併せて所望。初代RVPとも、このへんで最後になるだろか・・・。


2008/1/31(木)
数本現像が上がり。怪しいクモリのあったNFD35〜105mm/f3.5〜4.5は、特に苦しいところもなく。ローライ35も馴染んできたか。 で、RVPのスリムT、RVPとの相性も良かったのか、露出もまあまあ、10年以上のブランクをモノともせづ。タイムラグで思いっきりタイミングを外してたり、 時々ピントを外すのも相変わらずだが(苦笑)、あーこれなら、イケそう。今度はフォルティア試してみよか(笑)。出色というか注目すべきは、鉄道博物館の屋内でのカット。 ISO50というのに、意外やブレずに収まっており。よーしまだまだ、自分を褒めたい・・・・・というよりやはり、顔に着けたホールディング、だよな。 コンパクトデジなどこのへん大きなビハインドだが、まあ、頑張ってもらうしかない。R7のISO400などザラザラの代わりにボソボソだし。 そういえば富士からバリバリ高感度のが出るらしいのを予約受付の貼り紙で知ったが、ワイド端28mm相当、テレ端も140mm相当・・・・・ リコーに我慢する理由も、そろそろ薄れそうな。(ぉ

2008/1/26(土)
昨年買ったジャンクのNFD35〜105mm/f3.5〜4.5を、ようやく使う。これに合わせるにはT90か・・・・・ということになったが、 撮った後無意識に裏蓋を見てしまうのが哀しい。以前半押しでピントが合うのを一瞬とはいえボーっと待ったのも、ISO合わせを忘れることがあるのも、 何かが着々と進行中、ということなのか・・・・・ともあれ、広いファインダーの開放感に、今日は浸る。同行のようやく撮り切りのスリムTも途中棄権無く完走。イケるか?

2008/1/24(木)
頃合とは思っていたがカメラショーを前にやはり出たKissデジX2。ペケツーと勝手に呼んだりしつつ、 先代の「X」が「10代目のKiss」を意味したという話からすると、Xの名自体が独り歩きしつつあるのか・・・・・って、ん??  KissデジX2じゃなくて、Kiss X2!? デジタル、の断りが名前から消えた。うわあ、とうとう来たか・・・・・あいや、Kissだけの話かなこれわ。 上位機の「D」は一文字くらい邪魔じゃなかろうし、一緒に発表のIXYデジも、IXYデジのままのようだし。 ◆べつに新製品紹介ページじゃないのでアレだが、カタログスペック的には今やもうあまりやることがないような気もするデジ一眼、 もう勘弁してくれ級のどうでも良くなりそうな次元での解像度アップは置いといて、コマ速と連写枚数など熟成はシブく進んでいる様子。 今回もISO1600止まりらしい高感度で、S/Nなんてのはどんな具合か、そっちが気になると言えば気になる。50D(仮称)は当然このへん踏襲だろう。 ライブビューは初搭載だろか、意外と出番がありそうに思え・・・・・場所を弁えぬ真っ白操作画面は色使いを変えられるようになった。 あとは屋外での見え具合次第だが、先代はとうとう改良しなかったんだろか。Xの時はイッセンマン画素よりも背面大型液晶よりも、 ゴミ取りが全てのように見ていたが、今度は大分、時期が来たカナ的第一印象。何の時期だよ。

2008/1/19(土)
考えてみると今年はまだローライ35とスリムTにしかフィルムを通していない(汗)。鉄ツーを含めお手軽撮影にはKissデジNが出しゃばり、 これが出るとR7すら出番が無くなったりしてる。軸足をデジへ移してしまうことへの、漠とした引っ掛かるものは依然あるものの、荷物が嵩張らないし、 ISO感度が自在というどうにもならないアドバンテージも、あるし。 ◆今日は2度目の鉄博訪問、その自在なISOを切り替えまくってウハウハなのだが、前回どうにもボヤボヤになるのに苦しんだ局面での、 今回はリベンジ方々その検証も、あった。AFを疑いMFでギチギチに追い込んでみるも、駄目な時はやっぱり駄目。シグマ玉のヘタレ描写かとも疑ったが、 屋外では開放でもちゃんと撮れるし・・・・・となると、手ブレなのかやはり。IS依存症がやはり、進行しつつあるのか・・・・・EF−S18〜55mmのIS、安いよな。(ぉ ◆まあ、よくよく考えてみるに、フィルムでの解像度を超えたところに既にあるとするならば、光学系を苛めるという他にも諸条件がよりシビアなわけで、 身体に染み付いた手応え感も見直す必要が、あるか・・・・・シャッターであれば1段分くらいはマージンを見る必要がありそうで、 折角のISO設定自在S/N改善でも、その1段分はスポイルされる・・・・・か。 ◆なかなか撮り切らないスリムT、巻き上げ音にビクビクしながらようやく終盤まで撮り進んだが、なんだか大丈夫な風。奏功か?

2008/1/18(金)
「安原製作所 回顧録」読了。紙が厚いのでスイスイ。(ぉ 恨み節のひとつでもという、まことに失礼な予感はあっさり外れ、安原製作所の活動を軸に、 この10年ばかりのカメラ業界についての諸々が綴られていた。関係無いがエンジンの基本設計が‘50年代で云々というその愛車、 乏しい知識ではW1系くらいしか浮かばんのだがなんだろね・・・・・そういえばライダー神風は旭日旗翻るクラブマンだったな(笑)。 ◆たしかに、AF一眼レフはほぼ、行き着くところまで行き着いてしまった感があった。特に話題性という点では魅力を失い、反動的懐古ブームがそれに取って代わった。 そしてデジカメの台頭・・・・・振り返れば、撮影機能の行き詰った後の、デジの画像処理系が普及レベルに来るまでの谷間の時期に、クラカメで繋いでいた格好になるな ・・・・・そんな「あの頃」をやや俯瞰気味に、顧みる。モノ造りの上での、外野からでは知り得ない事柄にナルホドと頷く一方、 あの頃のカメラ業界周辺に対して抱いていた疑念のようなものが、あっさり解説(?)されたりして、なーんだやっぱりと合点することもあったが、 これはシガラミ抜きで語れる立場からの、代弁でもあったのかも、しれない。 ◆重ね重ねまことに失礼ながら、読み進みながらコシナについての記述の登場を待っていた。(ぉ 一式の量産化が遅々とし・・・・・て見え・・・・・た頃、 その横を追い越すように登場した・・・・・ように見えた・・・・・のが、フォクトレンダー・ベッサLだった。同社は元々、 中身が殆ど同じの一眼レフをあちこちへOEM供給していたが、ベッサLはその共通ボディーのファインダーとミラーボックスを取り払っただけのもの ・・・・・と少なくとも素人目には映った。後から見れば、独自の市場調査に基きリスクを最小にして上げた、 RF機ブームの観測気球のようなものだったのかもしれないが、傍目には、開発過程を公開しながら進めてきた一式の横からススっと出てきた格好だったから、 牛の背から駆け下りた鼠、或いは砕氷船理論(?)と映らなくもなかった。事実関係はともかくコシナはこのシリーズで成功を収めるのだが、 安原製作所は次作の「秋月」においては開発過程の公開をやめ、Web上ではコシナを牽制するような記述・・・・・と読めた・・・・・も見られた。 そういえば、発表します、と言いながら関係者(?)向けには「先行者」の写真を出すという小技もあったか(笑)。今や懐かしいですな先行者も。 ◆そんな回想を交えつつ読んでいたが、とうとうソレな話は出て来づ。そうと思えば行間に、という箇所が無いではないものの、今更ほじくってもまあ、しょうがないか。 優れた技術があり他社へOEM供給しながら自社のブランドが確立していない、といったメーカーの例はコシナを連想させたが、文脈からして他意は無いか多分。 安原製作所は世界で初めての直販専門だそうだが、そういや昔のコシナもなんか、独特な販売方法だった気も・・・・・どうだっけかな、まあいいや。 ◆「自主制作カメラ」一式を取り巻く過熱ぶりの記述は、リアルタイムな記憶の追体験を交えるようだったが、老人力氏のイラスト、そういえば覚えてますわ ・・・・・で、「このムーブメントに参加したい」と書いてきた顧客の話は、その浮かれ様の一例として、挙げられたのか?・・・・・ いや、そんなようなコトを書いた気がするので(汗)。まあ他にもいたカモ・・・・・ただ、部品メーカー寄せ集めのショップ組立のパソコンが当り前に売られ、 Webで誰もが発信出来るようになり、というご時勢に、素人目ながら「自主制作カメラ」の出現にある種の「流れ」を感じていたのもまた、事実で。 安原一式は、様々な周辺事情がタイミングよく噛み合ったが故に誕生したといった話は、たしかに。銀塩カメラの終焉間際に咲いた花、という。 それを仇花と揶揄することは容易い。けれど本当の仇花はそんなモンではなく、意外と大企業がやらかしたりするもので・・・・・APSなんてのは。 ◆秋月の顛末は、聊かトホホで残念でならない。発表された価格を見て躊躇したのは量販品の水準が頭にあったからであって、「ムーブメントに参加する」覚悟が、 やはり足りなかったか・・・・・まあアフターケアの不安も無いではなかったのだが。ついにというか未だ実物を見たことが無いが、 程よく手に馴染む大きさ重さであったなら、いつも連れて歩いたカメラだったかも・・・・・ちょっと、惜しいことをしたかもしれない。 ところで一式とそっくりなモデルが、中国で販売されたらしいという噂があったように思うが、真相や如何に。 ◆ちょっと偏屈(失礼!)で、虚勢張らぬ自然体というか、すっとぼけたような客観というか、実際に「やって見せた」人の、淡々とした語りには、 いつの間にか納得させられていて、あの業務停止時のお尻ペンペンすら、「参加者」であった思い出のように感じられ・・・・・まんまと包まれたか(苦笑)。 或いはこうも穏やかに受け止めてしまっているのは、私自身ももう「銀塩時代」から離れつつある、ということなのだろうか・・・・・。

2008/1/12(土)
「安原製作所 回顧録」。書店で見付けた。今や懐かしい・・・・・どのツラ下げてという向きもあるかも知れないケド(ぉ・・・・・パラパラ手に取ってみると、 京セラを去るきっかけから、その経緯というか顛末というか、綴られている様子。個人的には「安原監督」としての顔にも興味津々だったりするが(笑)、 残念ながら相当離れた話のようで・・・・・実物の仕上がりを知る者としては製造元との間の話も気になるトコロ。しかしこの、「自主制作カメラ」の出現した頃の、 いわば時代背景というか・・・・・AF一眼レフ万能主義(?)からの反動、金属ボディ、手動操作への回帰、中古カメラブーム、RF機ブーム・・・・・ そういった空気の中での、大き(過ぎたかも)な期待と、それに比例するかのような後の反応、諸々・・・・・あの頃、を追体験しつつ、その当事者ならではの視点を借りて、 あらためて振り返ってみようか。その前に「国防挺身隊」やら「ライダー神風」やら、久々に観ようかね(笑)。

2008/1/11(金)
ローライ35で撮った分が上がり。をを結構撮れてんじゃん・・・・・カメラがというより自分が。露出計がアンダー気味と思っていたが、 結果的には出た目まんまの方が適正に近いカモ的な気も。

2008/1/9(水)
全く別件でふらりと地元のブックオフ。目当てのモノは無く帰りがけに通りかかった棚でふと目に止まるは「コンパクトカメラ通信」。 普通に売られていた頃に手に取った記憶はあるが、そういや持ってなかったなと所望。半額。えらい値で取引されているところもあるようだけれど・・・・・ いわゆる「高級コンパクト」主体、ちょっと前の単焦点コンパクト機各社競演やらは出て来づ。TC−1の記述に「え?」というのも無いではなかったが(ぉ、 ローライ35に結構ページが割かれているのが、めっけものか。これ見ると、新橋で見つけたストラップはどうやら、サードパーティーぽく・・・。

2008/1/3(木)
京セラ・スリムT。一頃は常に荷物の中に忍ばせていたカメラだったが、ここ10年以上、戦力外にあった。それもこれも巻き上げのトラブル続出・・・・・ 途中から巻上げが重くなり、エンドと認識して巻き戻してしまう・・・・・に苛まれたからなのだが、京セラに出しても異常無し、 或いはとりあえず圧板交換か何かで帰って来て、訝りつつ詰めた1本目から再発といったことを繰り返し、もーイヤこんな生活、となったのだった。 ◆ローライ35がらみでテッサーという名に触れるうち、このスリムTのことを思い出した。あの持病さえ無ければ・・・・・買って暫くは快調だったのだから、 何か起こっているハズという疑念を抱きつつ、同じ機種を使う人を捉まえてもそんな症状は聞かれないし、独り悶々と悩むばかりなのだったが・・・・・ 時は流れてネット時代、そこいらをカチカチやってれば何かしら見付かったりするご時世となっていることを思い出し、そうだとあらためてカチカチ・・・・・ ん、いたいた、似たような症状を訴えるお方が。対処法も綴られていて、なんでもああしてこうして・・・・・むむっ、コレか!? ◆そのページはどこだったか、もう判らない。ここでお礼を言うくらいしか出来ないが、メカニズムとしてはどうやら、こういうことらしい・・・・・ パトローネ室には、バネのようなものがあってパトローネを底蓋側へ押さえつけているのだが、この力が弱くパトローネがガタつくようだと、 引っ張り出されるフィルムが正しい向きや位置にならず、ずれてスプールに巻き上げられる可能性がある。スプールにはガイドがあるわけでもなく、 そもそもスペースに余裕が無いため、フィルムが僅かにでもずれて巻かれようものなら、ロールの縁がたちまち広がって上か下の内壁に当たり、その摩擦で巻上げが重くなる ・・・・・で、そのバネを引っ張って強くしてやり、パトローネをしっかりホールドさせれば・・・・・ナルホド!(ぽんっ) 腑に落ちまくりである。 ◆心当たりのあれこれが、一気に繋がった。2時間ドラマならば1時間半過ぎの展開、あとは真犯人を崖っぷちに呼び出して問い詰めるだけである。 何本もフィルムを出し入れするうちに、あのバネがヘタっていた可能性は十分、考えられる。買って暫くはなんともなかったというのも頷ける。 しかし、しかしだ、何度も返してよこした京セラはつまり、このことを把握していなかったわけか・・・・・やれやれ。 ◆で、早速、賞味期限の怪しくなってきたRVPを詰めてみた。たしかに僅かに遊びがなくなった気がするが、どうなんだろう。 ISO50に対応しているというのもスリムTの魅力のひとつなのだったが、たしかオーバー目の傾向があったから、実効40なら丁度良いかもしれぬ。 とりあえず撮り始めたが、果たして最後まで巻けるか・・・・10年以上を経て、久々の前線復帰。今となってはその名のようにちっともスリムじゃないが、 手に程よい大きさというものも、ある。 ◆そういえばいつぞや、学生時代の写真部のOB&OGで飲んだ時、一眼レフなんぞぶら下げてくるのは誰もおらず、 それぞれ当時流行りの単焦点コンパクトカメラを持っていて、取り出してゴロゴロとテーブルに並べたことがあったっけか。 それでもカメラを持ち歩いているというのは良い心掛けと笑ったものだったが、スリムTの他にはたしか、ビッグミニ、ティアラ、ニコンミニ、μもあったかな、 R1やT2なんかはどうだったろう・・・・・そうそう、どういうわけかライカミニ(笑)。ライカ・ツァイス戦争ここに、などと無邪気に言ってたあの頃。

2008/1/1(火)
京浜島でご来光を迎え。これがまた今朝に限って滑走路が逆向きの「羽田トラップ」に引っかかり、離陸する飛行機が朝日と重なって、 などという期待はあえなく消え、それなりのたーだの日の出写真をぱちり。傍らには三脚を据えてビデオで狙っている人がいたが、 一段落ついてそちらを見やると、今度はホルガを雲台に載せてぱちり、そのまた次には、シングル8を引っ張り出して、ジー、と撮りだした。 こらまた春から、濃いぃですな。 ◆感度自在のKissデジNのお気楽さに流されている中、今年1本目はRVP100をローライ35に。毎年恒例の干支HM付の京急の電車やら、 あちこちぱちり。まだ試写の出来も判らないままだが・・・・・ドキドキ。


もっと前へ

CUB's CAMs