我が病巣 〜カメラな日々

一番下へ



2010/6/20(日)
ふらふら徘徊。すっかり更地になってしまった交通博物館、ああ、と撮っていると201系電車が現れ、色々なものの終焉にしみじみと。 久しぶりに秋葉原の中古店など覗きつつ、意味無く入ったヨドバシでついついペンタ645Dを手に取ってしまい。出てたのは知ってたが縁が無いものとロクに調べてもいない。 少々操作にマゴつきつつどうやら構えてみたりすると、店員氏がじっとこっちを窺ってるので、初代645持ってるんですヨ、と言ってみるも反応鈍かったが(苦笑)、 それはそれとして色々訊いてみたり。サイズはセミ判のセミ判みたいな具合でライカ判よりちょっと大きいくらいな。レンズの互換性は変わっておらず、 テレセントリックがどうとかいう話は判らぬままに、なにげにライカ判フルのデジより安いじゃんかというところに気付いてしまい・・・・・ありゃー。 連写は難儀なようだけれど。2つのダイヤルに、もしやハイパープログラムだのハイパーマニュアルだのが復活?、と問えばそうですとのこと・・・・・ それを懐かしむ世代じゃないようだったが、ふーむそおかあ。これを手にすることはないだろうケド・・・。

2010/6/18(金)
サッカーにかき消されそうな中はやぶさ情報を掻き集めてたりしてたが、ただのお祭騒ぎだったりアカラサマに日和ってたりとまあ色々ある中、 しかしボイジャーがまだ現役だったとわ・・・・・「パノラマ太陽系」なんていつの話だオイ。木星に環があってびっくりしたぞ。故郷を訊かれたら迷わず地球と答えちゃうぞ。 ◆で、はやぶさ最後のショット、あれがなにげに黄金比の塊の構図であると指摘もあったようで、また何か神憑り的な空気を醸すのだったが、 さてその、後処理でクリアにしたものが公開されていて。フレアと思ってたらスミアだったようだが、これが、あのノイズを透かして見ていた姿・・・・・何もかも皆懐かしい。 オリジナル重視な向き等々一部で評価が分かれているそうだが、どっちがどうというより、これらは2枚で、互いに補完しあう間柄なのでは、なかろうか。 スミア出まくりなオリジナルは、その生涯の最後の最後の刹那に見た残像、という迫力で迫って来るし、修正画像は、還る場所への切なさが掻き立てられる。 学術的な価値はさておいても、記録というものの本来的なところに接する心地。

2010/6/14(月)
幾筋の 星となりにし 往く鳥の 想ひは宙に 永久に舞ゆらむ・・・・・ちと怪しいが、昨夜はリポD片手に和歌山大学のネット中継にかぶり付きなのであった。 もう一首・・・・・はやちゃびの かぷせりとれば もえちょびれ うめらぽとりの はっぱふみふみ・・・・・失敬。思い起こせば4年半前、 たまたまYS−11がらみで 種子島を訪問 していて、丁度イトカワ着陸後のトラブルに見舞われていた頃で、最新情報の貼り紙など読んだ記憶がある。ここ一番で弱いかぁ、 などと思っていたのをここに白状するものだが、その後帰還が延期されいつの話だよと思っていたら、もうであった。歳喰うと、速いぞぉ・・・(汗)。 ◆和歌山大学は特別な機材を持ち込んだようで、ネット中継でグズグズながら、臨場感のある星空を映していた。今朝見たNHKニュースの映像がまた、 アングルの違いでこちらの方が劇的なものだったが、いやいやこんなものがハイビジョンでとは、まだまだ先があるだろうが凄い時代になったもので ・・・・・無理矢理豪州繋がりにするものでもないが、その昔スカイラブを落とした時、ノイズの中に2つ位の光点が見えるだけで、 たしか撮像管で残像も尾を引いてたような気もするが、何のことやらといった印象が残ってて。まさに隔世の感。 ◆再突入前に撮影された地球の写真。豪快にフレアか何かが出てる代物だったが、生まれそして還る場所、しかし地上まで辿り着くことは叶わないという、 切ないものがあり。信号が途中で途切れ、下の端が切れているのがまた、「最後の声」として迫って来る・・・・・その昔ジオットのハレー彗星突入の実況を見た。 次々送られる画像、階調強調のために極彩色に塗り分けられたそれを、テレビのツマミを回してモノクロ画像に戻して見たのも懐かしいが、 あれも描画途中で止まったのが最後となり、その後の「間」に異常に戦慄を覚えた記憶がある。ああいうのはなんというか、見届けるというか看取るというか・・・・・ はやぶさのツイッターが「みんな、ただいま!!」で止まっていた時、その言葉が、あの最後の欠けた部分に重なってじわーっと来るのだったが、 その後もまたツイートが続いたのでちょっと醒めた。(ぉ

2010/6/12(土)
久々ふらりと八ツ山。流石にここもデジな感じへ傾きつつあるようだったが、特に目当ても無く地雷も無く・・・・・今日もまたテクテク歩こうかということで、 G1と迷いつつM6。持ってるだけで心地良いボリューム・・・・・F−1はやはり嵩張った。運河沿いを歩き、先代「しらせ」のスクリューなど見つつ、 お台場豊洲と回って銀座。うー焼けちまったい。 ◆アレがコレくらいで、ソレがふむふむ・・・・・スキヤの斜向いにあったレモン社の鉄道模型店が消えており、本店に引っ越した由。 その本店へ上がると常連さんの休憩コーナーだったあたりに、模型がズラズラ。時計やら万年筆やらと、見ようによってはそう遠くもなさそうだが、で、 DPEは畳んでしまったそうで、これも時流というものか・・・・・ん、試し撮りサービスなんかはどうなったか。 ◆RVP100のストックが残り1本になってしまい、帰りに地元のヨドバシで所望。陳列棚を見ると、あれ、空箱が無いわ・・・・・いつぞや、 感度は色々あるが、フィルムサイズも色々あるが、長さも色々あるが、と聊か言葉尻がイチイチ嫌味な店員がいたこともあって、面倒臭いので空箱・・・・・ 新宿みたく20本のは置いてないので10本箱・・・・・持ってって「コレの20本の」で済ませていたのだが、無いものは仕方ないので呪文を唱え・・・・・ ベルビアヒャクノエフジャナイホウノサンジュウゴミリノニジュッポンノ〜・・・・・ドロドロドローン。後の保冷庫には1つしか見えないし、 ここらではそんなものカモ。かく言うこちとらも今年中はよゆーで賄えそうな勢いだし。

2010/6/9(水)
DPE取りに行ったついでに売り場をウロウロ。ああ、ソニーのNEXての、もうあったか。なーんか機能試作機のような、コンパクト化だけ頑張ったような、 色気の無いカタチしてるなーというか、そのまま出しちゃうんかいくらいに思ってたのが、そのまま出て来ちゃったわけだが。さてさて現物を手に取り・・・・・ やっぱ色気無えな(苦笑)。レンズとのバランスもどうだか・・・・・持ってるだけで嬉しかったソニーは、今いずこ。 ◆隣にEP−1/2、目障りなんだよもう(笑)。手に取ると掌中にしっくり収まるのも困る・・・・・って前振りではないので念の為多分。 嬉しいパンケーキも「塗り銀」が惜しいし。サードパーティー製の貼り革にあの独特の織り目模様のがやっぱり無いようで無難にライカ風か、 意外やダイヤカットの方が近いカモ、いずれにせよここをカットして往年のペンF風に・・・・・だから買わないって、ってべつにツンデレじゃないんだからね。(ぉ

2010/6/6(日)
渋谷で中古市。大師線で鉄ってて(笑)遅くなったが昼頃に会場現着。東急東横の東館から上がった成り行きで、まずは屋上から銀座線やら文化会館跡やら、 ぱちり。今日はF−1にFL28mmm/f3.5、こないだ求めたフードを着けて。FLでの測光は一手間増えるが、天気が良いし目分量でも行ける。 一応銀枠FD50mm/f1.4も備えつつ、赤白ストラップでだらーんと提げ・・・・・今となってはやや作為的過ぎる風情かこういうのも。 ◆ごった返すという程ではなくガラガラという程でもない感じの会場、¥10.9K均一セールから順繰りに回って、これといって目当ても、 特に引っ掛かるようなシロモノもなかったが、博物館のようなつもりで色々と目を楽しませてもらい・・・・・‘80年代頃の国産機あたりの値頃感といったら危険な程だが、 今ではなかなか・・・。 ◆テクテクと青山通りから神宮外苑を回って青山一丁目の角でタダ水飲んで(笑)小休止、久々にグッと来たCR−Zにしばし見惚れ、 再び歩いて今日は赤坂界隈はスルーしつつ・・・・・赤プリだけぱちり・・・・・半蔵門。カメ博では「カメラとデザイン」てのやってて。 方向的にはこれまで幾度もやってた気がするが、まず常設コーナーの方で「コンパスカメラ」が目に止まり、いつぞや「写真工業」で紹介されてて、 O−Productのモチーフの源泉をそこへ勝手に見た気がしていたものだが・・・・・はさておき、T90やらF3やらのお馴染みのそれに、出たぁサムスンの、 ポルシェの手になるハンドルみたいな形のコンパクト機。出てたのはリアルタイムに知ってたが現物を見たのは初めてだったろか・・・・・でけえ。最早弁当箱級。 ◆あにえすべーのニコンU・・・・・あったわあった。クレージュのヤツとか色々と、有名ドコロの名前やら色柄を「着せて」それを以て「デザインでござい」 と全面に出すような方向には聊か抵抗を覚えるものだがそれはさておき、そういやベネトン仕様のサムライはいずこ・・・・・ローウィだジュジアーロだコラーニだといった先に、 オリンパスの米谷氏が遺した、製品という形をした作品群、そしてクレイモデル。いやはやペンタカバーだけのクレイだとかまで、家族の元に残ってたようで。 ◆エンジニアは絵心がなくてはいけない、という言葉を昔どこかで読んで、誰の言葉だったか忘れたが、米谷氏はまさに、その体現者であった。 オリンパスのカメラには、癖もあるがその繊細な佇まいの中に一本筋の通ったような骨のある風情は、他党にあっても見過ごせぬ存在感となっていた。 企業の風土や或いは事業の規模にもよるのだろうけど、一人のエンジニアのカラー出まくりなモノ造りの時代というものが、確かにあったように思う。 今となっては旧き良き、なのかはよく分からぬが、個々の顔は見えずとも独自の道、色を持ったモノ造りというものは、まだまだ生きてる、と思いたい・・・。 ◆ジョガーとすれ違いすれ違い、皇居を回り丸の内、改築中で駅舎は覆いの中にあるままだが、それなりにシルエットの変化が、窺えて。西日に浮かぶそれを、ぱちり。


2010/5/28(金)
ふらりと中野。ジャンクのところで、いつも気に留めてないのに、吊るさってるキヤノンのフードが目に止まり。W−60−B、なーんとなくこれは、 FL28mm用のような気がして・・・・・ケータイを取り出し検索してみる。やったらでかいページに行き当たりスクロールももどかしく・・・・・ ふーむ、どうやらそれっぽいな以下略。◆早速、F−1に着けっ放しで転がってたFL28mm/f3.5に装着。おお、精悍。 まだピントリングがゴム化されていないレンズ本体共々、剥げ具合がなかなか、よろしくて。問題は出番だな・・・。

2010/5/11(火)
裏面照射CMOS、IXYにも波及。これにワイド端f2の高速玉、ナチュラ路線なキャラ立てで来た感じなのだが、 10M級とイマドキにあってはやや控え目なスペックのセンサー、そもそもキヤノン内製なんだろか、似たようなスペックのは・・・・・などという邪推もかったるいが、 劇的な改善は無いにしろ後処理への依存・・・・・或いは無理無理感・・・・・を減らす方向は、正しく「はいふぃでりちー」であると信ずるものであり。 ◆まだぽつりと1機種出たばかりで、今後はこっちで展開するのだろうが、それよかやっぱ、EOSでどうするかだろー。特にフルサイズ。 それでようやく、銀塩EOSの資産が活きるというものであろう? アダプター三昧も・・・・・まあメーカー的にはレンズも新調して欲しいところだろうケド。

2010/5/9(日)
碓氷へ行くつもりだったが起きたら著しく身体が重く敢え無くお流れ。しかしこのままでは勿体無いと歩きに出て、碑文谷方面を覗けば、 あれあれあれあれEOS600シリーズ、700シリーズが本棚のようにぎっちり詰まってて、¥1K切っちゃってたりしてて。 ジャンクの箱ではなくショーケース、今となっては意外な扱いのようにすら見えるのだったが、そおかあ、全部揃えるのもワケ無いな。(ぉ ◆渋谷〜新宿と、さらに勢いで江戸川橋まで歩く。四谷三丁目の角を曲がり外苑東通りに入ると、ああ、そういやここにもあったんだっけか。 そうそうペンEE−Sを求めたのはここだった。あれ以来の気がするからもう10年以上には、なるんだろか・・・・・ サンやらトップマンやらのレンズが当たり前のように並ぶ店というのも今や相当珍しいが、旧き良き中古店巡りな気分を味わい。 江戸川橋は以前から気になっていたが初めての訪問。ここもまた、なかなかで・・・・・なんとなーく中央前橋駅裏が想起され。 以前世田谷ボロ市で、江戸川区だか江戸川橋だかだと言ってた店があった気がするのだが、どうだったかなー。


2010/4/24(土)
久々にEOS−1を連れ出す。銀塩EOS今年の初出動、こいつに今年9本目のRVP100詰めて、テッサー45mm/f2.8MM着けてお気楽モード。 晴れたり曇ったりな空模様だったが、久しぶりに第一京浜の蒲田の踏切を撮ろうかと(笑)、既に殆ど完成ぽい高架共々、傍の歩道橋から17mmくらいでも入るのだがここは、 魚眼でどーん、と行ってみたくなり。うーむ、いいねいいね久々だね。 ◆もう8年前になるのか、EFマウントのこのシグマ玉を求めた時、これで本当に軸足がFDからEOSに移るか、と感慨に耽ったものだったが、 既にデジ化甚だしい昨今、そちらの魚眼はまだ、無い。フルサイズを待つというのも手ではあるのだがまだまだ遠く、ならばAPS−C級で・・・・・ フルサイズの円周魚眼ならその用には足りるのではと思わぬでもなかったが、トキナーの魚眼ズームが、アレなのだよな。 聞けばペンタの玉と光学設計が共通であるとかどうとか。一時、あの玉の為にペンタに手を出そうかと考えた程なのである・・・・・ カチカチ見ていると、「ズームすればフルサイズの対角魚眼にもなる」てなお話・・・・・ああっ! 目からウロコ、耳からイクラ。コロンブスの卵である。 であればいずれフルサイズに移行しても、銀塩EOSですらも対応可能・・・・・そおかあ、そおかあ。

2010/4/21(水)
ふらりと中野やら新宿やら。物色というより、寄り道そのものが目的のような具合で、ただぼーっと流す。中野のジャンクのところにNewFD35mm/f2.8、 軽さがいーなーとは思ったが、帰ればf2のがあるし、旧FD銀縁のf3.5なんてのもあり、そもそもFDの出番自体が、殆ど無し。 ◆そういえば今年のフィルム消費と言ったら、RVP100ばかりでたったの8本。未だ1ケタ、2本/月などと、ちょっと前では信じ難きこの体たらく。 110フィルムなんぞAGFAに入れたまんま年越してんじゃんか(汗)。撮ってませんというわけでもなく、コマ数そのものは相当切っている・・・・・ 尤もデジ故捨てゴマもかなりのものだが・・・・・わけで、まあ、デジに完全移行、であるな。もう少し先と思ってたが・・・。 ◆完全移行なら、コンデジじゃ頼りないし、ゴロゴロでかい一眼レフじゃなくて、というポジションのが欲しくなる。コンタG1ぽい感じで ・・・・・と見渡せばそんなの、例のペンだとか、あのへんしか無い。M9など論外である。あ、E−P1が相当値頃に・・・・・うー。 フォーサーズはレンズの造りなど割り切るしかないが、ライカ判相当2倍というあんな視野狭窄だから、アダプター三昧という気にもなれづ・・・・・そういや新宿では今日も、 50mmですと100mmでー、なんてMマウント玉を前にそんな説明してる光景があって、そこから入る人が、昨今やはり多いのか。誰が煽ってんだ。(ぉ ◆ぼーっと流しながら目に止まったEOS7D。50Dと並べてあって今更気付いたが、外見から随分違ってたのだな。50Dの単体価格はえらい下がりようだったが、 7Dもなんだかんだで、届かない話ではなく・・・・・APSサイズは40Dきりのつもりであったが、フルサイズがまだまだ遠く、 高感度域の進歩はやはり、悩ましく・・・・・ま、スーパープレシジョンマット対応じゃないしな。うんうん。

2010/4/9(金)
野暮用ついでに合間に三原橋方面から流してみたり。福音モードの前に、いつものカレーでも、と思い地下へ潜ると、丸ノ内線の改札前の、 カレー屋どころか回転寿司屋から本屋から、尽く閉店しており。何十年のご愛顧云々、という貼り紙に、この駅の出来た当時の界隈の様子を思い浮かべてみる ・・・・・あー、またひとつ、楽しみが。で、つらつらと眺めて回って、アレはあのへんの値段カナくらいで見るだけで、ピクリとも来ず。 渋谷あたりの中古市まで、何も無さげな。

2010/4/3(土)
ふとテレエルマリートM90mmを手に取り、ピントリングをクリクリ動かしていると、どうも無限遠のエンドに違和感。カツッ、と硬質な当たりじゃないのである。 よくよく見れば距離目盛も僅かに手前・・・・・こりゃ何か噛み込んだかとマウント面から裏側を覗き込むと・・・・・うわっ、 後玉のちょっと奥、グリスまみれの砂粒みたいなモンが、胡麻の牡丹餅の如くびっしりと・・・・・あひゃあ。 ◆確かにこの間横浜で強風に見舞われたが、ここまでは身に覚えが無い。とすると、手に入れた時には既にこうだった可能性大、外見は確かにくたびれていたが、 流石にここまでは見てなかったなあ・・・・・いやいや勉強になりました。で、このままじゃ困るのである。恐る恐る爪楊枝を差し入れてちょっとずつ掻き出し、 こんなところかとピントリングを回してみれば、ざり、とイヤ〜な感触。動揺を抑えつつカムの端に来たものを掻き出し、カムの溝も掻き出し、数度繰り返すうちに、 どうにか違和感は無くなった風。いずれはOHだろな。 ◆ん、バラさずここまで届くなら、グリス注してピントリングも軟らかく・・・・・生兵法の誘惑。


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