我が病巣 〜カメラな日々

一番下へ



2013/9/28(土)
羽田空の日イベント。最近シグマの50〜500mmを買った同行のや氏が、試しにとちょっと貸してくれたので、では設計の旧さを満喫したまへとばかりに、 こちらのEF100〜400mmと暫し交換。流石に厳しいと人伝に聞くテレ端を重点的に攻めてみる・・・・・陽炎ユラユラな中で判り難い条件ながら、 400mmで現用よりマシなようならこれ、決まり、かも・・・・・EFの後継レンズは懐具合的にもう無理っぽい気がするし、 ましてやYSを追っかけ回すようなようなこともこの先、無さそうだし・・・・・たーだシグマのコレもコレで、でっかい三脚座はどうにかならんものか。 ヘタをすればバッグから替えねばならない・・・・・などと考えると、結局当面は現状維持、となりそうなこれがまた。 ◆とうとうスマホに手を出す。ランニングコストをあれこれ計算すると、2年で本体費用が回収出来るカラクリだったので・・・・・そんなことはさておき、 手続きの待ち時間に、EFの望遠レンズを物色。70〜300mmのLとDO、短いがやっぱでかい。その横で細っそりしてるのが、70〜200mm/f4L、 あーこれ良いかもしんない。ISでも同じくらいだっけどうだっけ。

2013/9/23(月)
関西。千里回って京都へ出て、いつの間にか出現していた京都水族館に驚きつつ、これまた久方ぶりの梅小路蒸気機関車館。かつては現役の機関区を見学するような、 良い意味で煤けた風情の同館だったのが、10年くらい前だったかに小奇麗になってたのだが、近くさらに変わるであろう風景を意識して、ぱちり、ぱちり。 ◆閉館で追い出されるまで粘ってから、駅前のヨドバシに立ち寄る。ここが開店してからこっち長らく返上中だったが、これにて全店訪問タイトル奪還。 記念にといっても特に買いたいものもなく、とりあえず、とガチャガチャのコーナーで「みどりの山手線」をゲット。うーむなんだかな。

2013/9/22(日)
関西。和田岬線から川重兵庫工場と朝も早よからド鉄モード全開。今回はEOS7DとパワーショットG12のハイ・ロー・ミックス運用な布陣だが、 18Mも画素数要るかという使い分けの一方で、ライカ判換算28〜140mm外ではもう選択肢が無い。それに暗がりなどコンデジはコンデジという局面もある。 本気モード・・・・・というのがあればだが・・・・・でもなければ、EOS7Dはオーバースペックである以上に、その大きさ重さでもって、 気力を削ぐようなところがあって。 ◆本当はバッグに放り込んだままG12だけで済ませたいくらいで、しかしなんだーかんだーでちょこちょこEOS7Dのお出ましとなって、これが聊か面倒臭い。 となると、そもそもハイ・ロー・ミックスなどと分けること自体がおかしいのではないか、と思われてきて、するとあれだ、EOS Mか、 KissX7が・・・・・全っっっ然っ、大きさ重さが違うんだこれが。 ◆今回レンズも魚眼から望遠まで、というのはいいとして、その望遠がEF70〜200mm/f2.8L IS なんてシロモノだから、ちょっと撮るにも一々大仰で。 これより軽量な望遠ズームが手許に無いわけではないのだが、なにせIS搭載第1号のEF75〜300mm、長い付き合いなのでコンディションもあるだろうが、 前に試したら流石にもう描写が厳しかった。W端5mm違いの現行モデルでは、どうなんだろか・・・・・いっそダブルズームのEF−S55〜250mm級というのも、 中古なら相当安そうだが写りはどうだろう。 ◆そんな悩みを抱えつつ、あっちウロウロこっちウロウロ、明石まで足を伸ばして東経135°ラインに建つ市立天文科学館で、国内現役最古のプラネタリウムを鑑賞。 カール・ツァイス、とだけ聞いていて、詳しくはないので五島のアレと同じようなものだろかといった、ぼんやりとした認識でしかなかったか、 こちらのはイエナ製である由。館内にあったモデルの系譜図を見ると、五島のは数年古くオプトンの方であるらしかった。 大阪市立科学館のもツァイスだったが、昨日訪問しながらプラネタリウムだけスルーしてたとゆー・・・・・そういや記念メダルにアリンコの絵面のもあったよな。

2013/9/21(土)
久々に関西。新幹線から富士山を狙ってみたが、富士川橋梁のトラスは我がEOS7D自慢の8コマ/秒でどうにかなるだろとタカと括っていたら、 270km/hだったかの速度とトラスのピッチとコマ速とが見事にシンクロして、トラスが山頂にかかったまま微動だにしないコマが量産(呆)。 ◆あれこれと詰め込んだので、カメラぶら下げてふらりというような楽しみはハナから諦めてたが、そのあれこれを巡って日が暮れて、 新世界から難波へ抜けがてら日本橋を歩く・・・・・かつて通天閣からやたら看板が見えていたのは何と言ったか、ニノミヤ、 だっけか、それからヨドバシと同じ曲がかかってたのは・・・・・・そんな諸々を思い起こしつつ、その秋葉原と同時進行的な街の変化を見てみたり。 ◆ポンバシといえばその北のはずれの日本一に、2、3軒中古カメラ店があって、たーしかコンタックスG用のモニターと言う名の投げ売りで、 ホロゴン16mmとビオゴン21mmを通販で確保したのはその一方だったが、今はもうどちらも畳んでしまったらしく、閉店跡探索する気力もなく難波へショートカット。 この先にはドウトンカメラや、ナニワ村もあった筈だが、これらも気力なくスルー。ナニワ村はもうかつての面影なく、店舗自体が移動してしまったようで、 あのカーネル・サンダースというかキダタローというか、そんなノリのおっちゃんもいずこ・・・・・東のヨドバシ、西のナニワ、と並び称されたのも、今は昔。 ◆最後に梅田へ出たが、時間が早ければ駅前ビルの中古カメラ街・・・・・下調べしてないので現状は全く不明・・・・・でも巡ったところだが、 時間も遅いし大分クタクタになっていたのでこれも割愛。それでも地下鉄で宿へ向かおうという際に、そういやこのあたりに八百富が、とふと思い出したが、 どうも見当たらづ・・・・・こちらへ来る度に片っ端から巡ってた頃が、随分遠くに思われて。

2013/9/10(火)
フォーサーズ、ついに終焉か・・・・・オリジナル規格の方。宮崎あおい嬢起用してE−410とかあのあたり、OMの再来を思わせるコンパクトさに、 軸足のEOSへさらにというのは現実的でなかったものの、これならと少々思わぬでもない程だった。 それ以前のシリーズは全然関心の中に入って来なかったのだけど・・・。 ◆今にして思えば・・・・・いや、APS、さらにはAF一眼レフの時も、いやいやライカM3ショックも恐らくそうなのだろうが、大きなパラダイムシフトが起こる時、 劣勢から新規格で打って出ようとするメーカーが現れるもので、フォーサーズもまさにそれだった。M3ショックの時にRFを棄て一眼レフへ走った国産勢、 AF化ではαのAマウント、APSではベクティスのVマウント・・・・・ん、ミノルタばかりっぽいが、少なくともαは大きなイノベーションであったし、 それまでのミノルタが「劣勢」であったか否かはさておき、他社に一泡吹かせたのは間違いない・・・・・特にキヤノンには。事実キヤノンは折衷的と言えたACマウントと、 その基本であるFDマウントを棄て、一気にEFマウントへ突き進むことになる・・・・・劣勢からの巻き返し、に留まらないところがここらしい。 ◆ベクティスのVマウントは、後のAPSーCのデジカメにそのまま移行出来た・・・・・実際あるにはあったが・・・・・ろうに、それには間に合わなかったが、 当初よりデジタル一眼レフに特化して、一気に躍り出ようとした・・・・・という気概はあった思う・・・・・のが、フォーサーズだった。 APS−Cより小さいセンサーサイズが、コンパクト化を企図してのものか、当時のセンサー事情を反映してかは知らないが、基本のアスペクトが4:3というあたりに、 「コンデジ上がり」的な思想を感じないでもなかった・・・・・いやまあセミ判のソレってことでも良いですケドべつに。 ◆規格は公開されてたと思ったが、実質的にはオリンパスだけでやってたようなもので、パナ以外は付いて来なかった。 尤も銀塩時代から続くマウントを擁するメーカーが、それを棄てて続く必然性は誠に乏しく、他の家電メーカーを巻き込むにしても、 クイックリターンミラー他諸々の機構を持つ精密機械を、一朝一夕で自社開発出来るものでもなく、オリンパスに負んぶに抱っことならざるを得ないとなれば、 素人目にその旨味について、聊か疑問がないではなかった。 ◆それでも前述のE−410あたりでそれなりの存在感を示していたのだったが、やはり一眼レフでは厳しかったか、マイクロフォーサーズなる派生規格を繰り出すことになる。 EVF或いはライブビューに特化するその在り様には、ナルホドと膝を叩いたものだったが、さらにはそのショートフランジバックによって、 Mマウントまで巻き込んでのアダプター三昧という副産物までもたらした。スバラシイ。そしてフォーサーズ自体が軸足を移していく。 ◆たーだオリンパスとパナソニックのどちらが言い出したか知らないが、「一眼カメラ」なる自称はイタダケなかった。構造的にはハナからライブビュー専用機と言えた、 コンデジをレンズ交換式にしたようなものがこの、ミラーレスなわけで、今になって光学系が「一眼」化されたわけではない。それに「一眼」と呼ぶには、 一眼式ファインダーだってあったわけだが・・・・・つまりこれは明らかに、「一眼レフ」という言葉の持つイメージの借用である。擬態と言っても良い。 ◆一眼レフレックス式ファインダーカメラ、については、今更詳らかにするまでもないが、RF機に取って代わった後のそのシステムカメラとしての発展から、 一言で言えば「本格的なカメラ」の代名詞として「一眼レフ」という言葉のイメージが育った経緯がある。「本格的なカメラ」は本来一眼レフに限ったものではないが、 大判だのRFだのより圧倒的に人目に触れ、そして手が届いたのは一眼レフであり、その言葉には、単にカメラとしての形式を表す言葉以上の意味、 ニュアンスが与えられ、そして抽象化された。一旦そうなればただ「一眼」と略されもし・・・・・マイクロフォーサーズ陣営は、その言葉を言わば横から掠め取ったわけだ。 ◆ただ一方で、一眼レフのEVF化という流れは見えている。αは既にトランスルーセントナントカ化で本来的な「一眼レフ」は絶えた。 ペンタもKマウントのままライブビュー専用機を出している。キヤノンやニコンは今のところ一眼レフのラインナップでEVF化の動きは表立って見せてはいないが、 動画との融合に向かっている以上は、いずれその必要に迫られる。これはメカトロを省く流れでもある。タイムラグや何やといったデメリットも、 いずれは実用上の許容範囲に収まるだろうし、なんとなれば内部的には動画で撮り続けて、タイムラグ分を遡ってピックアップ記録するようなことくらい当り前になろう。 ◆そんなこんなで、フォーサーズ終了。マイクロフォーサーズへ移行完了と言うべきか。マイクロフォーサーズ自体、ニッチを狙ったまさに「弱者の戦略」と言えたが、 「ミラーレス一眼」という形態の登場は、大きなイノベーションに違いない・・・・・ひょっとしたら液晶ビューカムまで遡れたものかもしれないがそれはさておき、 今のところ「強者の戦略」でいなしているキヤノンやニコンも、さてさて。


2013/8/14(水)
富士山。空模様睨みながらペルセウス座流星群の極大から1日延ばし、どうも天候の選り好みしてる状況でも無さげなので、 昨日・・・・・俄雨を凌ぎつつ・・・・・より登り始め。下界は雲の中で夜景も叶わづ、遠く雷でもあればとこれもなく、 幸い頭上は晴れているので流星に賭けるのみだったが、夜半過ぎからいくつも視認はしたものの、どうにか撮れたのは画面の端に切れたものが1本と、 山小屋の夜景絡めての、飛行機の航跡・・・。 ◆そのような具合で、この日に向けた折角のFotopro M−4MINIも、期待した程の活躍は出来づ・・・・・ホルスター様の専用ケースは、 ラムダ・ハイキングザックにイマイチフィットせず、結局裸で括り付けることになったので、岩にガチガチ当たって一夜にして年季が入った。 まあでも岩に直置きよりは、微調整も楽チンで大分具合は良い。真上はちと無理ながら。 ◆例によってへろへろでご来光と相成り、相変わらず下界は見えずで俯瞰もなし、昨年より+αは何もなく・・・。

2013/8/4(日)
富士山・・・・・のつもりが気力と身体が付いて来ない感じだったので先延ばし、しかし勿体無いなと8月恒例の麓の零戦を見がてら走りに行く・・・・・5年ぶりか。 早朝の道志みちを流し、朝練の学生が走ってたりな山中湖を巡り、ドーム館横の道の駅で「富士五湖うどん」なるものを限定50食の一言に釣られて食べてみれば、 吉田うどん独特のちくわぶのような食感の麺が、具の下から出てくるわ出てくるわ・・・・・後でよくよく確かめると、うどん500g・・・・・うーハンドルが遠い。 ◆はさておき、本題の零戦、カメラNG、荷物NG、とかよく分からないハードルが。ならばロッカーなりクロークなりと訊いてみれば、 クルマの中に置いてきて・・・・・ってあのーバイクなんですケド? 前に来た時は撮り放題だったから、この間に何があったか・・・・・携帯電話で撮るのはOK、 スマホはNGと、そこのあたりもまた謎だったが、それならそれで我がガラケーP−08Aの大活躍。スバラシイ。 ◆たーだ建物の中は薄暗く、P−08Aはスローも無ければ手ブレ補正なんぞも無く、お目当てだった一式陸攻は高感度ベタベタ画像でどうにかといった塩梅。 やれやれ・・・・・あーでもないこーでもないと格闘しているうちに、バッテリーも心許なくなり、コイツをこんな酷使したのは初めてではなかろか。 ◆零戦はまたレストア中のがあって、遊就館のそれと併せれば少なくとも4機目の筈だが、 端の方では隼の尻尾・・・・・ほんの先っちょ・・・・・があってこれも起こすらしく、手狭になったので増築もしなくちゃみたいな話で、どこまで行くのやら。


2013/7/27(土)
ついでで覘いたヨドバシ・・・・・ん、いつの間にやら110フィルムがまた置いてあるのか・・・・・コールマンのアレが出てた。 見たところエツミのストラップ2種にネオプレン風呂敷のそれぞれカラーバリエーション、ベルボンのカサカサした三脚。 あとどこだっけな・・・・・エツミの細身のストラップとネオプレン風呂敷はちょっといいなと思ったが、 バッグや何やらまでは手が回らない・・・・・いやエツミを通していないバッグはバッグ売り場で売ってるし、エツミの展開は限定的なのか。 ◆CP+の時から、今ひとつ押し出しの弱さというか腰が引けてるというか、歯切れの悪い感じがないではなかったのだが、 そもそも誰の主導なのかもよく見えず・・・・・どうなるのかなこれ。

2013/7/6(土)
碓氷。Fotopro M−4MINIを早速持ち出し、ざんげ岩で胡坐の高さを試すのは忘れてしまったが、日が暮れてバルブタイムになったところで、 丸太の柵の上に跨らせてみた。脚に巻いてあるスポンジのクッションが、結構良い塩梅でグリップしてくれる。大きい三脚では柵越しに脚を出すか高さを稼ぐか、 不安定を承知で柵に傾けて寄せるかだったが、このテが使えるなら楽勝。

2013/7/5(金)
明日クルマで出掛けようというところで、あーそーだヤマト2199のサントラ聴こーかなーなどと思い付き、ビックに立ち寄ってみたら、あった。 売り場見回してもポイントが何%とか伏せてあるのを訝しみつつ・・・・・というよりどうせアレだろ的な・・・・・レジへ向かい、一応、何パー付くんですかと訊いてみると、 5パーという。ふーん・・・・・おたくのネットだと10パーですけど? では10%で対応させていただきます・・・・・っておい、あっさりし過ぎだろ。 ◆つーとアレか、客に言われたら引けみたいな話になってんのかね。あのホレ、すかいらーくで「看板に卵がありましたね?」みたいな(やや古)。 しかしねえ、これじゃ正直者がなんとやらだな・・・・・まあいい、一言言えばいいんだな? 今度から「おたくの○○では△△だけど?」を付けてやろう。 そのうち顔見ただけで10%付けるようになるだろ。(ぉ

2013/7/2(火)
EOS70D、出ましたか。次世代イメージセンサーがあーでこーで、ここいらは動画を意識したハナシのようなのであまりアレなのだが、 DIGICもさておきまずは気になるコマ速は7コマ/秒と、最早7Dのアドバンテージは・・・・・これで7Dもいよいよ・・・・・今の7Dを放り出してでも、 という程のモノを望むとすれば、まずコマ速は10コマ/秒以上として、あとは・・・・・あとは・・・・・うーんなんだろな。 ◆キングのFotopro M−4MINIを受け取る。浅沼商会のWebの写真で若干引っ掛かるもののあったピンク色をあしらった専用ケースというかホルスターというか、 引っ張り出してみるとフツーの黒一色。ノーマルの雲台のまま、EOS7DとEF100〜400mmの組み合わせを据えてみると、案の定落ち着かづ。 クイックシュー機構部分の剛性不足と、カメラとの当り面の小ささに加え、当たり面のゴムに厚みがあり過ぎて、このグニャグニャであるらしい。 ◆駄目駄目な具合を確かめたところで早速、長いこと遊ばせてるPH−243に交換。ダイレクト感に当たり面の大きさとコルクの固さ薄さで、断然こっち。 こうなると石突のゴムの弾性が邪魔になってきそうだが、雲台は現行QHD−43あたりを意識しつつ、追々煮詰めて・・・・・って本番もう来月じゃん。


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