我が病巣 〜カメラな日々

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2024/3/3(日)
JR池袋駅でビックカメラの着メロと。西武跡に進出のヨドバシを、迎え撃つ危機感の現われか。尤も敵陣に殴り込みをかけたのは、新宿に進出したビックが先だけれども。 んであのメロディーじゃそのままカメラのナニワでも使えんじゃん? と思ったら、最近のビックは、ビーックビックビックな部分を除いて、独自のメロディーでアレンジしてるんですな。


2024/2/22(木)
野暮用ついでに横浜へ出て CP+。ずっと使ってきたメインの EOS も、Rシリーズに刷新し大体一通り揃ったところで、他社システムや互換レンズなどにも殆ど関心がなくなって、 もう純正で世代交代させながら、アガリに向かうだけなのだろうなあ、といった心持ちであるので、この催しに対しても最早そんなに熱量を伴っていないのだったが、 創刊号から並べられた CAPA の表紙だけは、見入ってしまった(笑)。あとプラレールで撮り鉄。用品カタログも。 ◆そんな中、これだけはという数少ないお目当てに、RF200-800mm があった。なかなか店頭で見かけず、ショウルームに行く機会もなく、数字だけでないボリューム感を求めていたのだったが、 ありましたよ、キヤノンのブースに、有難くも RF100-500mm と隣り合わせで・・・・・こうして並べると、やっぱでかいね、でかいわ。通勤カバンに潜ませること適わぬのは一目瞭然として(笑)、 コレの収まるカメラバッグが新たに必要なこと、現用のクッション入れたデイパックならどうにかなりそうな感じ、等々イメージは持てたか。RF800mm/F11 のお手軽さは他に代え難いが、 DOレンズ特有の弱点もあるし、開放でしか使えない難もあり、何より 100-500mm と取っ換え引っ換えする煩わしさよ。急ぎはしないが、今年あたりは・・・・・ああ R5 の後継機もそろそろか?

2024/2/17(土)
ちょいと出かけた・・・・・タイヤ公園で鉄・・・・・ついでに多摩川左岸を遡って矢口の辺り、小堀製作所の看板が、ない。「テフノンレンズ (K) KOBORI」のあの看板。 令和に入っても存在していたことは確かなのだが、都度々々写真に撮るわけでなし、さて最後に通りかかって見たのは、いつだったか・・・・・ここまで来て、今になって、 という気分と共に入口の前まで来てみると、昔から「小堀製作所」と入った方の反対側の門柱に、「小堀ホールディングス」なる新しい看板が。持ち株会社制になってたんだ・・・。


2024/1/25(木)
今日の朝ドラ冒頭で、芦ノ湖と称するどこかの湖畔で、主人公達が写真を撮り合っているそのカメラ、キヤノンのバルナックもどきですな。画面中央に黄色い二重像がうっすら見え、 なんだこれファインダー像なのか、って随分とクリアだなおい。 ◆ポーズかけて観察すると(←ヒマか)、左手側側面の専用フラッシュカプラーが無かったので、まず IV 系統ではない。以下、ファインダー倍率切替レバーが、新型。スローダイヤルのロック、無し。 巻き上げノブ上面の感度ダイヤル、これは有り・・・・・以上の状況証拠から(笑)、III A、と考えられる。尤も、小道具としてのこの個体も、生まれて 70年以上、その間にはどこか交換されてる可能性も、あるが。 レンズは、キヤノンでないことは察せられるのみ。さすがにソ連製はあるまい(笑)。手許の IVSb と比べると、効果音は 1/60 が近そうだ。 ◆キヤノンのサイトによれば、III A の発売は 1951年。ドラマの時間がいつ頃まで進んでいたかはよく判らないが、細かな識別点に目を瞑れば、L39マウント採用でファインダー倍率切替できる機種は、 もう2年程遡れる・・・・・パッと見似てるレベルなら終戦翌年・・・・・が、ギリ許容範囲なのだろうか。とはいえ、メッキが剥げてるし、出たばかりのカメラでどんだけヘビーユーザーなんだよ、 というツッコミ所は、残ったりする。


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